球面のタスク

そうざ

The Spherical Task

 世界最高峰を眺めながらのハーブティーは、渇いた心に染み込む一服の清涼剤だった。

 愛機の端末に地図を表示させ、現在位置を確認する。旅はまだ予定の半分にも至っていない。思わず溜め息が漏れたが、同時に自己満足の使命感も再び湧き上がった。

 見事に達成出来れば、前人未到の快挙なのだ。

 山稜を見納めようと視線を上げると、蒼天の白い月の近くに黒い点が見えた。

 鳥が一羽、あんな高所を――そんな筈はない。

 やがて、頭蓋保護兜ヘッド・プロテクトの集音機能が定量の異音を捉えた。人工音である事はあきらかだった。

 噂は本当だったのだ。

 点が大きく、そして形を成し始めるに連れ、束の間ハーブティーで潤っていた心が更に活性して行くのが判った。僕は慌てて原動補助式自転車あいきを駆動させ、空に向けて発光信号を瞬かせた。

 果たして、天翔あまかける同型車は速度を解き、前方の岩場へゆっくりと着地した。

 早速に駆け付けると、記録者レコーディストが似たような保護兜を外し、眩し気な笑みを表した。同時に長い髪が風に遊ぶ。

「偶然って起きるのね!」

「初めまして……同志!」

「私はナル」

「僕はヌル」

「名前まで似てるわね」

「出逢うべくして出逢ったのかな」

 僕達は意味もなく断続的に笑い合った。人間と相対した事が奇妙に可笑しい。この感覚を分かち合える事自体が奇跡のようにも感じられ、僕は堪らなく嬉しくなった。

「君の出発地は何処?」

「南半球の……何処だったかな」

「地名も何もあったもんじゃない」

「国境なんてないしね」

 行程記録カウンターを繰ると、これまでの総移動距離は12万3千459キロと出た。旅を始めて約2千時間後の遭遇はちあわせだ。数字にすると大した偶然ではないようにも思えるが、二度目があるかどうかの保証は全くないのだ。

 僕は改めてハーブティーを煮出した。今度はティータイムではない、ティーパーティーだ。出立の予定が狂う事になるが、束の間の閑談にはその価値がある。

「今はこんなものしかないけど」

 彼女が分けてくれたのは乾パンだった。ここ数日、ずっと同じ献立はらごしらえだという。

補給ほどこしを受け取れてないのかい?」

「もう半周すれば、落下供給地点ドロップ・ポイントに辿り着けるわ」

「君の支援者アシストは手厚いかい?」

「勿論。貴方の支援者は?」

「一人また一人と還ってしまったよ、付き合い切れないってさ」

「……残念ね」

 彼女が視線を遠くへ移す。精悍な面差し、日に焼けた大腿筋も眩しい。

 動力補助機能が付いているとは言え、無給の自転車じんりき旅に志願するなんて、僕達は似た者同士、変わり者同士に違いない。

 彼女の動機は何だろう。僕は失恋がきっかけ、だなんて恥ずかしくて言えやしないが、志を同じくする人と出逢う偶然に意味を投影したくなるのは人情だろう。

「旧約聖書のアダムとイヴは――」

「ごめんなさい、私は無神論者なの」

「僕だって……今度の旅でまだ林檎も蛇も見掛けてないよ」

「そろそろ行かなくちゃ」

「もう?」

「今日中に極点を越えたいと思って。もう何回目の極点かしら」

「そうか、君は僕よりも大変そうだな」

「大変さは同じよ、私達は同志でしょ?」

 緯度の旅も、経度の旅も、見えない道を辿る事に違いはない。

 そして、自己満足の旅に色恋は厄介物おにもつなのだろう。

 同志の気配が飛び去った後、僕は世界最高峰へと落ちて行く残月をグラスに浮かべ、ハーブティーを一気に飲み干した。

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