桜の樹の下には

朝比奈爽士

美しい花

「桜の樹の下には死体が埋まっている」

 

 いったい誰がこんなことを言い出したのかは知ったことではない。

 かの有名な「檸檬」の著者・梶井基次郎の短編小説がもととなっているらしい。


 この言葉を僕が知ってしまったのは小学生の頃だった。

 確か国語の時間に、豆知識みたいなものとして教えられたんだっけ。


 その時の僕はあまりの衝撃によって、頭の中が漂白された、表情が緩みまくるほど強烈な好奇心を持った。

 その瞬間を今でも夢に見るほどよく覚えている。


 その言葉を脳裏に焼き付けたまま、僕は大学生にまで成長した。

 今までその言葉を確かめたいと思ったことは何度もあった。

 ただ桜の樹に用なんぞないため、ただ時間だけが過ぎていった。


 転機となったのは大学3年生になった頃だった。

 僕は同じ研究室に配属されたミオという女性と肉体関係を結び、やがて恋愛関係へと発展した。


 ミオは春みたいに優しい雰囲気で、包み込むような暖かさを持つ女性だった

 ミオを想う時間はどんどん増えていったし、会えないと胸が苦しかった。


 そんなある日、僕は唐突に決心した。

 明日の夜に2人で桜の樹がある公園へ行くことにしたのだ。


 ついに長年の謎が分かる。

 そう心の中でつぶやくたびに、遠足を控えた幼稚園児のような心持ちになる。


 この夜はベッドに入ることすらできず、夜を更かした。

 ミオはといえば部屋の床で静かに眠っているようだった。

 


 当日の夜。僕はミオを車の助手席に座らせて、エンジンをかけた。

 シフトレバーを「D」に、ガチャンと入れ、アクセルを踏む足にじわじわと力を込めていく。

 窓からの景色が流れていき、さらに車が速くなる。


 夜空に存在を主張するかのように、ピカピカと輝いている公園近くのコンビニに車を停車させる。

 エンジンを切ったのを確認した僕は急いで助手席まで回り込み、扉を開けた。

 ミオはぐっすり眠っているようで起きる気配はなかった。

 

 僕は心の中でやれやれとつぶやきながら、彼女をお姫様のように丁寧に抱きかかえる。

 ミオの赤色に染まったドレスが風になびく。


 彼女の花のような香水のいい匂いを鼻いっぱいに吸い込んで、僕は何だか幸せな気持ちに浸っていった。

 しばらくして目的を思い出した僕は、無言で公園の方へと歩き出した。


 入り口から公園の中に入ると一面に砂がまかれている。

 歩くたびに、ジャッ、ジャッ、ジャッ、という砂を潰しながら歩く音が響く。

 昼間は大勢の子供たちが遊んでいただろう奥にある遊具たちは、すっかり暗闇に溶けてしまっていて、目を凝らしてもよく見えなかった。

 

 風が僕の頬を撫でて、短い髪も揺らしていく。その風はミオの長い髪もさらさらとなびかせた。

 ブランコも風に吹かれて、キィー、キィー、と不気味な音を立てている。

 

 僕はそんなことお構いなしに桜の樹へと進み始めた。もうあまり時間がない。

 

 桜の花びらがひらひらと舞い、風と共に去っていく。

 その先には僕たちが目指していた大きな一本の桜の樹が咲き誇っていた。

 

 周囲には散っていった大量の桜の花びらたちが落ちている。

 僕はその樹の偉大さに心を奪われ、しばらく目を離すことすらできなかった。


 ようやく我に返った僕は、抱きかかえていたミオをそっと地面に下した。

 今日の朝、木の影に隠していたスコップを手に取り桜の樹の下を力いっぱい掘り始める。

 

 ザクッ、ザクッ、ザクッ、と土を一心不乱に掘る音が、静まり返った深夜の公園に響いていく。

 大粒の汗が静かに僕の頬を伝う。

 

 だんだん木の根が顔を出してきて、掘るのが格段に難しくなってくる。

 僕は汗を拭いながら、必死に掘り続けた。



 どれだけ長い間掘っているのかも分からなくなってきた。

 穴の外では朝の光が宝石のようにキラキラと輝いている。

 

 その光を合図に僕は掘った穴から、一気に飛び出した。

 確認して見ると、穴は人間が一人入っても余裕ができるほどには大きく、深いものとなっていた。

 だが死体は見つからないどころか、出てくる気配すらない。

 

 僕は嬉々としてミオのもとへ行き、笑顔で囁いた。


「良かったねミオ、まだ死体が埋まっていなくて」


 ミオからの返答は何もない。


 氷のように冷たくなった彼女は放置された人形のように脱力していた。

 さながら死体のように青白い。

 赤く染まったドレスからは鉄の匂いがした。


 あの日、君が別れ話なんて切り出さなければこんなことしなくて済んだのに。


 僕は心の中でつぶやいた。

 あの日まで彼女は僕のことを愛していたように感じるし、僕も彼女のことを心から愛していた。


「これで、君は僕のものになったね」


 そう言いながら、冷たいミオの死体を掘った穴の中へ勢い良く投げ捨てた。

 だらんとした身体は、思いのほかスムーズに穴に収まった。

 

 そのまま彼女の身体に、少しずつ土をかけていく。

 散ったピンク色の桜の花びらが混ざった土が、彼女の体を彩ってゆく。

 その光景は今までに見たどの絶景よりも、神秘的だった。

 

 やがてミオの顔以外全て埋めた辺りで僕は手を止めた。


「さようなら、僕が愛していたミオ」


 言い終わった後、彼女の冷たい唇に優しく口付けをする。

 きっと僕とミオの最後になるであろう口付けは、土の味がした。


 ミオを完全に埋めた後、一人で車に戻った僕は静かにつぶやいた。


「桜の樹の下には死体が埋まっている」

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