第27話 リンゴのすりおろし

 ――暗い、暗い、漆黒の中――




 ――光無き闇とも違う、本当の黒――




 ――その中で意識を取り戻したが――




 ――直後に痛みが襲ってくる――






「うっ……ううっ……」




 何度も瞬きを繰り返し、ようやく視界に入ってきたのは白い石造りの天井。そしてベッドの造形も見たことあることに気付いた。



 ここは私の部屋だ。屋敷や王城よりも離れた、教会にある部屋……




「ジェイド……ジェイド、どこ……」






「……!!!」





 ジェイドがいたのは床だった。床で仰向けになって倒れていて、虫のような細い息をして目を閉じている。




 全身は傷だらけで、今も出血が止まっていない。射抜かれたであろう穴の数は多く、鱗も剥がれ落ちて、爪や翼や角には欠損が見られる――





「い、嫌だ……死なないでジェイド!!!」





 ドラゴンは一体どんな攻撃を受けたら死ぬのか、それはわからなかったけど、私はそう叫んだ。




 あんなに傲慢な態度だったジェイドが、ここまで追い詰められているんだ。何か手立てを打たないと、本当に死んでしまうかもしれない。





「何か、何かしなくっちゃ……でも、何を……」



「……そうだ!! うっ、ぐっ……!!!」





 ベッドから立ち上がり移動する。しかし私の肉体も、相当傷付いており行動する度に痛みが走った。出血をしているのは私もなのだろう。



 でも――主君が辛い思いをしているのに、助けてあげなければ、何が従者だってんだ……!!!








 矜持とでも呼ぶべき感情を胸に、私はキッチンからリンゴと道具を持ってきて、すりおろしを作った。



 そして気合でジェイドをベッドに動かし、スプーンを使って口に流し込む。






「ほら……ジェイドの好きなリンゴだよ。食べて、食べて、美味しいんだから……」





 手で強引に口を開け、スプーンで流し込み、顎を上げて飲み込ませる。一連の動作を疲労と恐怖で身体を震わせながら行う。




 何度こぼれてベッドに落ちたかわからない。器に盛ったすりおろしがなくなる度、また作って食べさせるのを、際限なく繰り返す――








「……」




「……これは、食べたことのない、リンゴだ……」








 やっと祈りが通じた。ジェイドの瞳が開いたのだ。翡翠色の瞳と目が合い、私は思わず彼の肉体に覆い被さる。




「ジェイド!!! うっ、ああっ、よかった、よかった、よかった……!!!」

「サリア……はは。お前を助けたと思っていたが、お前に助けられていたとは……」




 ジェイドは深く呼吸をしながらゆっくりと話す。それでも普段の不遜な態度を崩さんと、奮闘しているのがうかがえた。




「ううっ……そうだ、そうだったね……ジェイド、私を助けてくれて、ありがとう……」

「お前が気に病むことではない……お前を見失ってしまった、余の責任だ。人に紛れて見失うとは、余も落ちぶれたものよ……」

「しょうがないよ……人結構多かったもん……」




 そんな話をしていると、ぐぅぅぅと音が聞こえる。安心感から私の身体は空腹を感じたらしい。




「あ……ね、ジェイド。私もリンゴのすりおろし食べていいかな」

「構わない。人間は竜よりも空腹に弱いのだから、先に腹を満たせ」

「優しいね、ジェイド……」




 その気になれば私を床に置いて、自分がベッドで休むこともできたはずだ。だけどジェイドはそうしなかったんだ……




「だが腹が満たされたら、どうか余にリンゴを食べさせてくれないか。不甲斐ないことだが、余は指一本も動かせぬ程疲れていてな……」

「うん、それはもちろん! そんな傷でまだ動けるって方がおかしいよ……!」





 それでジェイドの体力回復に繋がるのなら、私はいくらだってすりおろしを作るよ。



 ……本当にジェイドは何を栄養源にしているんだろう? わかっていればこの状況で、もっと効率のいい体力回復手段を作ってあげられたのに……








 どれぐらいのリンゴを二人で消化したのか、それにどれ程の時間がかかっているのか。空は分厚い雲が覆っているので、時間経過が一切わからない。



 でも今はそれでいいと思った。時間なんて忘れてしまう程に、ジェイドと一緒にいたい。






「……指ぐらいは動かせるようになったか。これもリンゴのお陰、ひいては食べさせてくれたサリアの賜物だ」

「よかった……リンゴ買っておいて、本当によかった……うっ……」






 ジェイドが回復していくにつれて、私の肉体に迸る痛みは増していく。身体の奥底から炎が沸き立ち、それに燃やされてしまうような感覚。




 ジェイドと話していないと、身体に触れていないと、意識を失ってしまいそうだ。リンゴのすりおろしが入っていた器を手放し、私はジェイドの手を握る。






「サリアよ……お前は余と契約を結んでいる。故に余の持つ力が流れているのだが……直に余は本当の力を取り戻すことになる」

「本当の力……ドラゴンの……」



「竜は人間よりも大いなる存在。故に人間は……竜の持つ力を流し込まれると、生身で立っていられなくなる。お前が今感じる痛みは、それに反逆している証拠だと思っていい」

「……そっか。そうなんだ」





 事前にこんな痛みが伴うと知っていたら、あの時の私は契約を拒んでいただろうか? それとも赤ちゃんだからと言い訳して軽薄に交わしていただろうか?




 いや、今なら確信できる……痛みが伴うと知っていても、赤ちゃんじゃなくても、契約は結んでいただろう。





「こんなのちっとも痛くないよ……心地いいぐらいだ……だってこの痛みがなくなったら、ジェイドといられなくなるんでしょ?」

「……いくら心で前向きに捉えようとも、肉体は正直だ。そう遠くないうちに、お前の肉体は痛みに降伏し、お前の心はこの世界に無念を残して散っていく」

「そんな……」




 嫌だ。ここに来て自分の力不足、それも生まれ持った体質なんかで、かつてない幸福を逃すなんて。




「そう落胆するな……方法は残っている。力を取り戻した余と改めて契約を結べばいい。そうすれば余からお前の存在を保護する力も送られていく」

「力を取り戻す……」




 思わずごくりと息を飲んでしまう。未だって立派な青年に見えるのに、ここからどう力を取り戻すんだろう?




「今までは、こうして成長してこれたわけだが……言い換えるなら、それは眠っていた力を引き出していただけのこと。元より存在していないものを取り戻すことは、どうやら『竜帝』でも不可能らしい……」

「じゃあ、じゃあそれを見つけられたら……!」




 探す。いくらだって探してやる。それで可能性が切り開けるって言うなら。




「ああ、余は遂に復活するのだ。今にでも捜索に行こうと思っていた所だ……余が封印されていたこの地に必ず存在する筈。その為に戻ってきたのだから……」

「わかった、とにかくそれを探してくればいいんだね!」




 もうやるべきことはたったそれだけだった。婚約破棄をされて、身分を失った私は、生きたいという本能のはけ口をジェイドに向けようとしている。



 他人に奉仕しないと生きていけないなんて、誰かが私を見かけたら、滑稽なことだと後ろ指を差すだろう。でも私はジェイドがいないと生きられない。私にはジェイドしか残されていない。






 ジェイド、ジェイド、私のジェイド。




 湧き上がってくるこの気持ちは、果たして滑稽と一蹴できることだろうか?




 炎のように揺らめき盛る想い。ああ、初めて気付いた。この気持ちには名前が付けられている、それは――







「……う゛っ……!!!」




「げほっ!!! げほっ……おえっ……!!!」






 突然周囲を煙が覆った。薄い黄土色を纏った、視界を阻む悪意の集合体。






「――貴様等!!!」



「……!!!」






 存在を確かめるべく腕を伸ばす前に、ジェイドは立ち上がった。怪我なんてしていないような身のこなしでベッドから降り、私を横切り背中に立つ。






「ぐっ……小癪な、真似を……!!!」





 何がいるのかわからなかった。だからそれを確かめようと、後ろを振り向いた。




 でも、ちょうど目に入ったのは――





「――」








「は……ははは!!! 見たか、おれの剣がこいつの首をぶっだ斬ってやったぜ!!!」




「ドラゴンってこんなにも、こぉんなにもぉ、呆気なく死ぬもんだなァーーーーー!!!!!」






 私を守ろうと両手を広げた、ジェイドの首が――




 で―








「あっ……」





「あああああああああああああああ――!!!!!」










「へっ! 人をたくさん殺した犯罪者らしい、きったねえ雄叫びだぜ!」


「聖女サリア……いや、今となってはただの、もしくは地獄ですら手を焼く罪人サリアだな……落ちぶれたものだ」


「いいかよく聞け、叫び散らかしてもその口塞いで聞かせてやる。先程ルーファウス様から勅命があったのだ――貴様を強制連行し、ただちに処刑せよとな!」

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