師の本心

 夜。

 國井は着替えないまま、道場の縁側に座り込んでいた。


「なんだい。まだいたのかい」

「ああ、先生」


 縁側から庭の木々を眺め、深いため息を吐く。

 竹内は隣に腰を下ろして、一緒に庭の景色を眺めた。


「時代には、勝てねえのかなぁ」

「らしくないねぇ」


 一昔前では、しごくのが当たり前だった。

 厳しくする理由は、将来を考えての事。

 簡単にへこたれない強い心を作るために、剣道のみならず、他のスポーツでも、うんと扱いて厳しくした。


 現代では、若い人の事を考えることが、まるで通用しない。

 考えれば考えるほど、悪者になる。


「俺はさ。特に、剣道が好きなわけじゃねえよ」

「はは。お前さん。昔からサボり魔だったものな」


 それでも、剣道をやっているのは、伝統を守る義務感と剣道を通して若者を支える大人になりたい、と思ったからだ。


「それでもよぉ。世の中のバカげた風潮で、勝手に作られた理不尽なルールとやらによぉ。若いのが苦しめられんのは、まっぴらごめんなんだよ」

「優しく教えてあげることはできんかったのかい?」

「俺だって優しく教えてあげれるんなら、そうするさ。でも、……今の剣道の現状分かってるだろ。ありゃ、女をイジメ抜くためのルールだ。連盟が決めたんじゃねえ。世の中のバカな大人が、流行に乗った結果、若い女が一方的に苦しめられるルールになっちまってる」


 苦虫を噛み潰した顔で、自分の手を見つめた。


「本当は、……あいつをよぉ。本物に育てて、クソみたいなルールを真っ向からぶっ潰してやるつもりだったんだ」


 國井が落ち込む中、竹内は何かに気づき、門の方を見た。

 隠れてるつもりだろうが、横幅の大きいサラは、腹がはみ出ていた。

 あえて、何も言わずに、竹内は笑みを浮かべる。


「将来は期待できたのかい?」

「ああ。あいつよ。外人の血入ってるだろ。骨が太いんだ。骨盤もしっかりしてる。あとは使い方さえ覚えて、技巧を磨けば、絶対に輝くぞ。……もう、おせぇけどな」


 國井は、サラが入門して間もない頃、体中を触りまくった。

 下心で触ったわけではない。


 指は長くて、太い。

 特に、手首はガッチリしている。

 腕は長くて、足も長い。

 サラが泣き喚いたのは、國井が振ったからだ。


 サラの事を全部吐き出すと、國井は後悔したように頭を抱えた。


「……そうかい」


 竹内は門の所に目を向ける。

 まだ、大きなお腹が見えていた。


「おい。コウちゃん。お茶を淹れてくれよ」

「自分で入れろよ」

「コウちゃんのお茶が一番美味いんだ。ほれ。行った、行った」

「ったく。……わがまま言いやがって」


 ぶつくさと言って、國井は腰を上げる。

 そのまま道場から渡り廊下に行き、足音が遠ざかると、竹内は手を口に当て、門の傍に立っているサラへ声を掛けた。


「おい。お嬢ちゃん。おい」


 一瞬だけ、ビクッと震えた。

 だが、道着を返さなくてはいけないので、逃げるわけにはいかない。

 恐る恐る顔を出し、申し訳なさそうにサラが出てきた。


 両手にナップサックを持ち、下を向いて近づいてくる。


「はは。あいつ、お嬢ちゃんにフラれて落ち込んでるよ」

「……っ」

「まあ、なんだ。私が言いたいのはね。お嬢ちゃんが嫌いで、きつくしたわけじゃないんだ。あぁ、それ、返しに来たんだね。はい」


 手を差し出すと、サラはおどおどした様子で、道着だけを渡す。

 竹内は優しい笑顔を浮かべて、サラが忘れやすいように、言葉を選んだ。


「ここでの日々は、まあ、変わった奴がいたってことでな。さっさと忘れて、学業を頑張ってな。夜遅いから、気を付けて帰ってくれい」


 歯を見せて、ニカッと笑う。

 サラは会釈をして、背中を向けた。――が、竹内が気になるようで、門の場所でもう一度振り返った。


「……ありがとう……ございました」

「はいよ」


 今度こそ、家路に就いたサラは外灯の少ない道をとぼとぼ歩いていく。

 解放されたはずなのに、どうして後ろ髪を引かれる思いがするのか。


 サラは、迷いが生じてしまった。

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