すれ違う思い

 稽古が終わった後、國井は道場の掃除をする。

 小さな道場だが、國井の身を置いてくれる、唯一の居場所。

 丁寧に掃除をするのには、気持ちがこもっていた。


「コウちゃん」

「んお?」


 道場には渡り廊下に繋がる扉がある。

 その先に母屋もやがあるのだが、稽古が終わったタイミングで、道場の正式な運営者である竹内がやってきた。


 頭がつるっぱげの腰が曲がった爺さんだ。

 段位は七段。

 國井にとって、恩師である。


「あの子、泣いてたぞ。ちと、イジメ過ぎじゃないかい?」

「先生。分かっちゃいない。女には、絶対に手加減しちゃいけないんだ」


 、絶対に加減はしてはいけない。

 明確な理由がある。


「あいつ、今のところ、何の影響か知らねえが、浮ついた心でここにいる。もし、将来よ。高校に入って、そっちで剣道やるってなったら、きっと地獄を見る」


 イジメるのが好きで、意地悪をしているわけではなかった。

 サラが来た時には、やっと入門者が現れたと思い、跳び上がるほど喜んでいたのだ。


 だけど、サラの事を思えば思うほど、熱い気持ちは空回りするだけ。

 稽古が終わる度に掃除をして、國井が落ち込んでいるのに、恩師は気づいていた。


「まあ、辞めるってなったら、止めはしないよ。俺も加減はしてやれねえ」

「ふむ。……難儀だねぇ」


 自嘲し、國井はちり取りでゴミを拾う。

 寂しい背中を恩師は黙って眺めていた。


 *


 海と山に挟まれた自然の多い町にサラの自宅はある。

 大きな病院が近くにはあり、反対側には大きな橋がある。

 サラの家は、橋を渡って十字路を曲がった先にあった。


 普通の日本家屋と違い、屋根は瓦を使っていないし、中も洋風。

 ただ、アメリカのように土足で上がることはなく、ここは日本式だった。


「だだいまぁ」

「お姉ちゃん!」


 妹のクラリスが、ちょうどトイレから出てくると、疲れ切って倒れ込む姉の姿を発見した。


 二つ下の妹は、現在小学五年生。

 金色の長い髪に、姉と同じ青い目。

 肌は白くて、全体的にクリクリとして可愛らしい子だ。


 とてとて駆け寄ってくると、突っ伏してモズクのようになってる姉の頭を叩く。


「お姉ちゃん。こんなところで寝ると風邪引くよ」

「う、うぅ」

「あと、お姉ちゃん。最近、体臭ひどいよ。臭いもん」


 道着の臭いである。

 しかも、サラはいわゆるデブなので、汗が酷くて、臭いがきつかった。


「う、ぐぐ。もう、やめ、る」

「何を?」

「ひっく。もう、いやだぁ」


 初めて門を叩いた時は、見た目こそ怪しいオッサンだが、きっと親切にしてくれると心のどこかで甘えていた。


 尻は揉んでくるし、叩いてくるし、やわな性格のサラには地獄だ。

 初めて会ったときの事は、覚えている。

 電話を掛けて、「入りたいんですが」と言ったら、後日来るように言われた。


 行った時、國井が出てきた。


『お、デカいな。身長何センチだ?』

『160……です』


 中学一年で、身長はかなり高かった。

 横幅もあるので、かなり大きく見えた事だろう。


『いいねぇ。とりあえずよ。入るからには、全力で教える。道着とかは、しばらくウチのを貸すからよ。買うのは、本格的にやるって決めてからにしてくれ』


 國井は先の事を考えて、あえて買わせなかったのである。

 そうとは知らず、サラは全身筋肉痛でガタガタと震え、泣きながら床を這っていく。


「お姉ちゃん! お風呂!」

「……いい」

「だめ! くさい!」


 妹に髪を引っ張られ、サラは仕方なく風呂場へ向かった。

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