地獄の中学時代

 道着の上下は借り物。

 防具も借り物。

 竹刀も借り物。


 剣道を始めるとなると、全部合わせて十万前後はする。

 他のスポーツにも同じことが言えるのだが、「やってみよう」と気軽に始めるには、ハードルが高い。


 始めから防具を付けての練習はせず、『摺り足』と『素振り』が基本稽古となる。


 道場の門を叩いたサラは、小汚いオッサンと顔を合わせ、ひたすら動き回っていた。


「オラァ! もっと声を出せぇ!」

「ひっ、ひぃっ!」

「ひいじゃねえんだよ!」


 20畳半の狭い室内。

 道場内の壁際には、高い位置に神棚が置かれている。

 室内は狭いのに、天井は高く、床は板。

 道場からは、緑に覆われた庭が見えるようになっており、季節によって板戸で仕切る造りになっていた。


 サラは道場に入って、まだ一週間しか経っていない。


 その新人相手に、道場の師範である國井は声を荒げ、ひたすら扱いた。

 借りた紺色の道着は汗が染み込み、肉饅頭のようにふっくらしたサラの頬は、滝のような汗で濡れている。


 ――ベシンッ。


 容赦なく尻を竹刀で叩かれ、サラは太り過ぎで腫れあがった瞼に涙を滲ませた。


「ひぎぃっ!」

「振りが遅いんだよ」

「ぶはぁ、ぶふっ、ふううっ!」

「オラ、聞け!」

「ひいいいっ!」


 サムライ映画に憧れて、夢見がちで気楽に道場を叩いた甘さはある。

 とはいえ、色々と厳しい現代で、ここまで過酷な扱いをされるとは思ってもみなかった。


 毛先の丸まった暗めの金髪は、汗で濡れて顔中に張り付いている。

 力士のように太くなった体は、呼吸をする度にブルブルと震えて、額から垂れてきた汗を袖で拭ったり、見ていられない様相であった。


「あ”の”っ! も”っ”ど、や”ざじぐじでぐだざいっ”!」

「甘ったれたこと、言ってんじゃねえ!」


 引きこもりに近い生活を送ってきたサラは、怒鳴り声にビクつき、ひたすら指示に従った。


「はい。素振り、百回!」

「びひいいっ!」


 鬼の扱きに耐えながら、サラは思った。


(入らなきゃよかった!)


 サムライという言葉は魅惑的だ。

 実際に伝統的な剣の稽古を受ければ、実物の剣ではないにせよ、相当堪える。


 汗臭いし、怖いし、痛いし、良い事なんて一つもない。

 それどころか、國井はこのご時世の新常識を無視して、尻を鷲掴みにしてきた。


「ケツを持ち上げるんだよ。どうして、こいつまで踏み込みについて行くんだよ!」

「ひぎゃあああっ!」


 地獄の稽古は、夜8時まで行われた。

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