第56話【異世界転生】


~ピッ~ピッと、何やら電子音のような小さな音に鼓膜を刺激され、意識が戻った。


ゆっくり瞼を開けると太陽の日差しと共に視界が開ける。

真っ先に目に入ったのはシミひとつない真っ白な天井。

そしてシーリングライト。灯りはついていない。


少し顔を横にずらしてみる。

白のレースカーテン越しに、窓から太陽の光が入ってきていた。

反対を向くとベッドの横に精密機械があり、先程から音を発している正体はこれだった。


ここが病院の一室であることを理解するのに、そう時間はかからなかった。


(…あれ…俺……)


朦朧とした意識の中で体を起こすと、腕に点滴のようなチューブが繋がれていた。


ちょうどその時、部屋の扉が開く。


入ってきたのはナース服を着た若い女性。

恐らく見回りに来た看護師だろう。


目が合うや否や、看護師は驚いたようにしばらく硬直していたが、事態を飲み込むと恐る恐る声をかけてきた。


「…松下 昌也さん?」





それから昌也は、やってきた医師によって自分の身に何があったのか詳しい説明を受けた。


それによるとどうやら自分はある朝通学路でトラックにはねられて頭を強く打ち、数日間意識を失って生死の境をさ迷っていたらしい。


しかし昌也はそんな医師の説明にも関心を示さず、心ここにあらずな状態でただ呆然とベッドに座っていた。

何故なら頭を巡るのはそんな事故の内容などではなく、仲間達と一緒に異世界を旅した思い出ばかりなのだから。


とはいえ時間と共にだんだんと意識や記憶がはっきりしてきて、きっと長い夢を見ていたんだろうと昌也は自分自身を納得させる。

よくよく考えれば荒唐無稽こうとうむけいな話である。

トラックに轢かれた衝撃で異世界に転生して旅を始めるなどと、自分の願望が夢として表れたとしか思えないような物語だ。

昌也は心の中に残るしこりを無理矢理押し潰した。



何日か経って、昌也の入院する病室に看護師でも医師でもない見慣れない二人組の人物がやってきた。

警察だ。

話を聞くと、今回の交通事故に関する実況見聞を行いたいとのことだった。


断る理由もないため昌也が承諾すると、もう一人、別の男が緊張した様子で入室してくる。

警官ではなく、自分と同じ入院服を着ていた。

どうやら事故の時にトラックを運転していた男のようだ。




「………あ!」




目が合った瞬間、昌也と男から同時に声が出た。

お互い事故の記憶が曖昧で、顔を合わせるのはこれが初めてのはずなのに、それは誰よりも見知った顔だった。


「おっさん?」

「…昌也君!?」


そんな二人の反応に、警官達は不思議そうに顔を見合わせていた。




「はぁ…、それで二人はその…喋る犬と蛙を乗せて世界樹?…とかいうでっかい樹にトラックで突っ込んだと…」


昌也と康の話を聞いていた警官はあからさまに呆れたような、小馬鹿にしたような態度を取りつつ、とりあえず形だけ小さなメモ帳にペンを走らせていた。

もう一人の警官に至っては呑気に外の景色を眺めながらあくびをしている始末。


「嘘じゃないんだって!あれは確かに現実だった」


「そうですよ!こうやって二人とも記憶が一致してるのがその証拠です」


興奮気味に詰め寄る二人に圧倒されながらも、警官の視線は相変わらず冷ややかだ。


「そうは言ってもねー…。あなた方二人は事故の後ずっと病室で意識を失ってたって医者は言ってるし、看護師さんも見回りの時に毎回姿を確認してるんだから」


ここで窓の外を見ていた警官が昌也達の方に向き直る。


「でも、赤の他人同士が同じ夢を共有するなんて話を聞いたことがあるんで、もしかしたらお二人もそれなんじゃないですかね?」


「…夢を共有?」


「確か脳波がシンクロするとか何とか…難しい話はよく分からないんですけどね」


「………」


それを聞いて無言になる昌也と康。

確かにそれなら理屈は通る。

事故の衝撃で意識を失った二人の脳波が何らかの理由でシンクロし、昏睡中ずっと同じ夢を見ていた。


だが頭では理解しても、あの時体験した鮮明な嬉しさや悔しさ、痛みや温もりなどがただの夢だったとは到底思えないし、思いたくなかった。


二人が不満そうな顔を浮かべていると、不意に警官の胸ポケットの無線から声がした。


「…はい、…はい」


昌也達には小さくて何を言っているのか聴き取れなかったが、警官は耳を傾けて頷いていた。

やがて通信が切れると、警官達は揃って慌ただしく病室の扉に向かう。


「何があったんですか?」


康が質問すると、警官は振り向く。


「どうやらこの付近で熊が出没したみたいで…、一旦お二人の実況見聞は保留にして、今から市民の安全誘導に向かわせてもらいますね」


「熊?」


こんな都心の真ん中で珍しいこともあるもんだなと、昌也は呆気に取られた。


警官が出ていき、取り残される二人。


その直後、病院の外から女性の悲鳴が上がった。


「!?」


キャー!と耳を突き刺すその声に弾かれ、昌也と康は慌てて窓の外に目をやる。


見ると、道路を行き交う車列が乱れ、その中心で茶色い獣が走り回っているではないか。

あれはきっと先程警官が話していた熊に違いないと、昌也と康は窓に張り付いて目を凝らす。


すると遠目ながら、その獣はまるで人間のように二足歩行で移動していることが分かった。


「マジかよ…!」


「まさかあれって…!?」


その事実に気付いた二人は瞳を輝かせながら一目散に病室を飛び出したのだった。




外では既に野次馬や警官、そして猟友会の人間が銃を構えて獣を取り囲んでいるところであった。


「ストップ!ストーップ!!」


「待って!撃たないで!!」


そんな中、病院から叫び声を上げながら昌也と康が飛び出したことで、その場の全員の意識がそちらに向く。

両手を大きく振りながら前に出た二人は、獣を間近で見るなり「ハハ…!」と安堵の笑顔を浮かべた。


「マサヤ!」

「康!」


その獣の正体は紛れもなく異世界で自分達と共に旅をした仲間、コルアであった。

肩の上には蛙のエリエスも乗っている。


コルアとエリエスも昌也達の無事な姿を確認して顔を綻ばせる。

一体何が起こっているのか理解が及ばず置いてけぼりの観衆達は、頭に?マークを浮かべていた。


どういうことかは分からないが、やはりあの異世界での出来事は現実で、昌也達が向こうに転生したように今度はコルアとエリエスがこちらの世界に転生してきたらしい。


異世界を救って旅が終わったかと思いきや、まだそうではなかったようだ。

再会を心から喜ぶ彼らに、これからどんなことが待ち受けるのかはまだ誰も知る由がない。

この世界で何を選択し、どう行動するかを決めるのは彼ら自身。


そんな彼らの旅は、まだ始まったばかりだった。





異世界の運び屋 完


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