第29話【追憶】





「もうっ!また喧嘩したの?」


彼女が呆れたように言った。


小麦色の頬がプックリと膨れ、柔い唇がツンと尖って上を向く。

女だからか幼なじみだからか、怒っていてもそこに威圧感など無く、俺はまるで仔犬にでも吠えたてられているような気分になった。


「先に喧嘩売ってきたのはあいつらだ!…まぁ、返り討ちにしてやったけどな」


「そんなに顔腫らしてちゃ説得力ないわよ」


ほら、と彼女の指が俺の頬をなぞる。

ひんやりとした冷たさと同時に走った鋭い痛みに、俺は思わず声を上げた。


「痛っ!!」


「当たり前でしょ。血が出てるんだから」


彼女はそのまま指に付けた薬を俺の傷に塗り広げる。

俺が痛がろうがお構い無しだ。

細い指が行ったり来たり繰り返すたび、痛みの他にぞわぞわとしたむず痒さもあって顔が歪む。


目の前には傷口を覗き込む彼女の顔。

ほんの少し頭を動かせばぶつかりそうなほど近い。

彼女の無意識の吐息が肌に当たった瞬間、俺は肩や拳に力を込めて必死で声を押し殺した。

そんな俺の気持ちもつゆ知らず、彼女は長いまつげを伏せて処置に集中している。


彼女はやはり綺麗だった。

生まれつき虚弱体質でさえなければ引く手あまただったろうに、子が産めないせいでもう18歳だというのに嫁ぎ先が無く、皆から白い目を向けられている。

誰よりも魅力的なのに誰からも相手にされないなんて、こんな不遇があっていいものかと運命に怒りすら沸いてくる。


「…?」


俺の視線に気付いた彼女と目が合い、心臓が引き締まる思いがした。


「そ、そういえばこれ!」


俺は気まずさを誤魔化したくて、ポケットからある物を取り出す。

それは色とりどりの宝石がちりばめられ、チェーンは黄金でできた豪華なネックレス。

先日盗賊団の一員として、商人から盗んだばかりのお宝だ。

本当は族長に渡さなければいけないところをこっそりくすねたのはここだけの話。


「綺麗…」


触れこそしないものの、彼女はネックレスの輝きを瞳にキラキラと反射させながらうっとりと見入る。


「お前にやるよ」


「え?」


まさかそんなことを言われるとは思わなかったのだろう。

彼女は目を見開きうろたえたが、すぐに鼻で笑い飛ばした。


「冗談はやめて。マーナ族の男が女にネックレスを贈るのは婚約の時だけよ」


「そんなの分かってるよ!」


声が上擦る。

俺は緊張していた。

恥ずかしくなって顔を背けたことで、彼女はようやくこれが冗談などではないと気付いたようだ。


しかしその後の反応は俺が期待したような甘いものではない。

次第に口角が下がり、顔から笑みが消えたのだ。

不安に襲われる俺に、彼女は諭すように語りかけてきた。


「…ジェイド、あなたはいずれ族長になる。跡継ぎを産めない私とは一緒になれないの」


はっ、と俺は鼻で笑う。

何かと思えば、ここにきて立場の話など。

族長族長、今まで耳にタコができるほど散々周囲から聴かされ続けた言葉が彼女の口から出たことを少し残念に思う。


「だったら族長の座はセクタスにでも譲るさ。あいつは俺と違って皆から好かれてるし、賢いからな」


「そんなのあなたのお父さんが許さないわ」


「そん時は力ずくで認めさせる。俺はこの町で一番強えから、誰にも文句は言わせねぇ!」


今までも、立場のことで俺を冷やかす奴らを何度もぶちのめしてきた。

力をつければ誰にも馬鹿にされることもないだろうと、誰よりも強くなった。

この傷だらけの拳が俺の人生の指針であり、自由に生きるための武器なのだ。

気持ちが高ぶった俺は、その勢いのまま彼女の手を取る。


「だからサリーナ、俺のものになれ!その代わり何があっても俺がお前を守る」


「…だったら」


サリーナはネックレスを俺の手の上に返す。


「こんな盗んだものじゃなくて、あなたの心がこもったネックレスが欲しい。もし私のために作ってくれるなら、私はずっとあなたのそばにいるわ」


「はあ!?そんなの、やったことねーよ…」


サリーナから出された予想外の提案に、今度は俺がうろたえる番だった。

喧嘩や盗みに関しては誰にも負けない自信があるが、ネックレス作りなんてしたことがない。


「じゃあ他の人にやり方を聞いたら?」


ぶっきらぼうにそう言ってサリーナは立ち上がると、背を向けて歩き去ろうとする。


「おいっ!?」


俺の声に彼女は立ち止まる。

しかし振り向くことはせず、背中を向けたまま


「…待ってるから」


とだけ言った。


ずるい、と思った。

そんな言葉をかけられてしまったら、たとえ時間がかかろうとやるしかないじゃないか。

握った拳に汗がにじむ。

彼女の背中を見送りながら、俺は絶対にやり遂げてみせると心に決めた。




俺は早速、サリーナの親友のエシャという女のところへネックレス作りを教わりに行った。

荒くれ者で有名な俺から突然話しかけられてエシャは怯えた様子だったが、事情を知ると一転、悪戯いたずらっぽい笑みを浮かべて快く了承してくれた。


予想外だったのはそれから日ごとに噂を聞き付けた町の連中が俺のもとへとやってきて、からかいつつも助言や手助けをしてくれたことだ。

そのおかげで一週間後にはそれなりに納得のいくものを作ることができた。

とはいえ完成したネックレスはというと、質素なビーズやカラフルな紐を編み込んだだけなので、お世辞にも綺麗とは言い難い。


俺はあまり乗り気ではないまま仲間達に背中を押され、再びサリーナの前に立った。


「…これ。言われた通り作ったけどよ…」


ポケットからネックレスを取り出したものの、やはり渡すのを躊躇してしまう。


「やっぱりこんなのより他の…」


慌てて引っ込めようとした俺の手を握り、サリーナがくしゃっと笑った。


「ありがとう。大事にするわ」


周囲から歓声が上がる。

いつも盗みと暴力ばかりで大勢から嫌われてきた俺にとって、経験したことのない喜び。

こんな気持ちになったのは、生まれて初めてだった。




俺達が夫婦になって一年ほどが経った頃。

体調が優れないサリーナを町医者のヤハブのところへ連れていった。

もともと体が弱かったので、病弱体質が悪化したに違いないと慌てたものだ。

不安がる俺とサリーナに向かって、診断を終えたヤハブは驚いた顔で言う。


「…妊娠しとるよ」


腰を抜かしそうになった。

俺もサリーナも。


子供は望めない身体だとずっと言われてきたため、まさかそんなはずないと思った。

サリーナは思わず口元を覆って涙を流していた。

しかし喜びも束の間、ヤハブから聞かされたのは重い現実。


「子を産めばサリーナの命が危ない」


薄々勘づいていたが、奇跡には代償が伴う。

俺はサリーナを失いたくなかったが、彼女もまた同じように、お腹の中に宿った命を失いたくはなかった。


「あなたの子が産めるなんて、こんな幸せはないわ」


彼女はお腹をいとおしそうにさすりながらくしゃっと笑った。

妊娠という奇跡が起きたのだ。きっと出産もうまくいく。

俺もそう信じて笑い返した。





病室に産声が響いた。

ついにサリーナはやり遂げたのだ。

産まれた赤子は男の子だった。


「…見て…あなたの子よ…」


サリーナから手渡され、俺は震える手でその子を抱き上げた。

その子に触れた瞬間、あたたかな体温が手のひらから全身に伝わっていくような感じがした。


なんて小さくて柔らかいんだろう。


「はは…」


頬が自然とゆるみ、俺は笑っていた。

そんな喜びを分かち合いたくてサリーナの方を向くと、彼女はベッドの上でぐったりとしていた。


「サリーナ!?」


赤子を抱いたまま俺は彼女のそばに寄る。

その顔からは血の気が引き、まるで生気が感じられなかった。

サリーナは不意に弱々しい動作でネックレスを外すと、それを赤ん坊の首にかける。


「…このネックレスを作ってくれた時の気持ちを、この子にも注いであげて…」


それがサリーナの最期の言葉だった。

腕がダランと垂れ、彼女はベッドの上で静かに息を引き取った。


希望と絶望が同時に生れたその日、俺は初めて地面に膝を落とした。




その日以降、俺は族長として、そして父親として一族とユユを守ることに全てを捧げた。

誰かが飢えれば商人への襲撃を増やし、顔を見られれば皆殺しにした。


ある日偶然にも聖剣を手に入れた時、この力があれば皆を守ることができると確信した。


だが皮肉にもセクタスから刺されて、俺はようやく自らの過ちを知る。


「周りを見てみろ。多くが死んだ」


周囲には俺があれほど守ろうとしてきた仲間達が見るも無残な姿で横たわっているではないか。


(こんなはずじゃ…)


もしも俺が強引な盗みをしなければ、聖剣に手を出さなければ、きっとこんな結果にはならなかっただろう。

俺がやってきたことは一時しのぎの蛮行ばかりで、蓄積していく怨みや憎しみにいずれ押し潰されることになると気付いていなかった。


…いや、本当は気付いていたのかもしれない。


仲間の為と思い込んでやってきたことは、サリーナを失った虚しさから目を背けたかった自分の自暴自棄な行動でしかない。

盗みと殺しの喧騒に身を埋めることで、空っぽの心を満たし、早く誰かに殺されることを望んでいたのだ。


…サリーナに会いたい。


そんな叶うはずもない身勝手な願いに皆を巻き込んだ。


『…このネックレスを作ってくれた時の気持ちを、この子にも注いであげて…』


(ごめんサリーナ…約束守れなかった…)


遠退く意識の中、大好きな彼女の顔が心に浮かぶ。


「パパ!パパ!」


目の前に泣きじゃくるユユがいた。

死にゆく俺を必死に抱き締めている。


その顔にサリーナの面影が重なる。


(…そういえばあのネックレス、ずっとしまいっぱなしだったな…)


サリーナを思い出すのが辛くて、あの日以来部屋の中の棚に入れたままだった。


(もっと早く、ユユに渡せば良かった…)


最期の力を振り絞り、俺は血まみれの手でユユの手を握った。

まだ殺しも盗みも知らぬ、柔らかく、温かい手。


(ごめんな、守ってやれなくて…)






一筋の涙で頬を濡らし、昌也は深い眠りから目覚めた。

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