第28話【むそう】


兵士達にトラックを囲まれ、立ち往生を余儀なくされた康は運転席で歯痒そうにハンドルを叩いた。


「頼むからどいてよ!このままだと昌也君達が殺されちゃう…」


エリエスが水を操り、前方の兵士達を薙ぎ倒してくれるものの、数が多すぎて少しずつしか進めない。


「康、はね飛ばして進むしかないわ」


「そんなことしたら危ないよ。誰も殺したくない」


エリエスは振り向き、康の眼を見つめる。


「…あなたのそんな優しいところは好きよ。でも今動かないと昌也やコルアが死ぬ。それでもいいの?」


「そんなの、いいわけないじゃないか…」


「じゃあ進むしかない。今みんなを救えるのはあなたしかいないの」


「………」


ふとトラックを囲う兵士達と目が合った。

皆殺気だった恐ろしい眼をしていた。


康は怖くなって俯き、足下を見る。

このアクセルを全力で踏めばトラックはエンジンを吹かして目の前の兵士達を薙ぎ倒し、どこまでも突き進むだろう。


自分は足を乗せるだけ。

何も難しいことはない。


そう、足を乗せるだけで、目の前の人々が死ぬ…。


「…ごめん、やっぱりぼくには無理だ」


足を震わせながらブレーキの方に置く康。

彼にはできなかった。


「そう…」


康の決断に、エリエスはどこか悲しげに頷いた。








町のいたるところで発生していた戦闘は、いつの間にか一極に集中しつつあった。


その中心に立つは他ならぬ昌也。


数十人の兵士達に武器を向けられているにも関わらず、まるで感情の感じられないその目は焦点が合っているのかも怪しいほどに虚ろだ。

剣を握っているとはいえそれを構えることもせず棒立ち状態で、隙だらけなのは誰の目にも明白である。


今なられる!


一人の兵士が剣を振りかぶったのを皮切りに、周囲の者達も続々と昌也を殺しにかかった。


多勢に無勢。


しかもよりによって昌也が相手をしているのは歴戦の精鋭部隊。

武道の心得などまるで持たない昌也など、彼らにとっては蚊を潰すに等しい。

…はずだった。


次の瞬間、昌也に最初に斬りかかった者の首が飛んだ。


「っ!」


それは振りかぶった剣を下ろす間も無い、一瞬の出来事。

大勢の人間がまばたきも忘れて見ていたにも関わらず、その太刀筋を捉えられたのはアスレイただ一人。


剣を振った昌也の前で兵士の頭が地面に転がり落ち、頭部を失った体は血を噴き出しながら倒れた。

ノーモーションからの斬撃というありえない動きに怯みながらも、相手はたった一人と侮り、兵士達は怒号を上げながら突っ込む。


各々が王の剣としての絶対の誇りを持って。


死に急ぐ。


ビシャリ!

一つ、また一つと命が無くなり、そのたびに昌也の体が赤く汚れる。


信じがたいことに、兵士達が何人束になっても彼らの切っ先は昌也を掠めることすらできず、傷付くのはことごとく斬りかかった者達の方であった。


昌也の動きは意思を持つ人間のそれとは一線をかくしていた。


まるで強引に糸を引かれる操り人形の如く手足を動かし、その剣は敵を自動で狙っているのかと思うほど正確無比に繰り出される。


不規則に踊る昌也の周囲で次々に首が飛び、手足が千切れ、鮮血が舞い散る様はさながら死の舞踏。


そのあまりのおぞましい光景に、勇者アスレイすらも身を震わせた。


「…何が聖剣だ。あれではまるで…」


"魔剣"


その場にいる誰もがあの剣からただならぬ禍禍(まがまが)しさを感じていた。


「コルア…怖い…」


昌也の放つ恐ろしげな雰囲気は仲間達でさえ不安になるほどのものであった。

腕の中で怯えるユユを、コルアがギュッと抱き締める。


「…大丈夫だよユユ。マサヤがみんなを守ってくれる」


安心を促す言葉とは裏腹に、コルアの腕の震えにユユは気付いていた。


(マサヤ…一体どうしちゃったの…?)


血を浴びすぎて髪も肌も赤く汚れきった昌也の姿は、もはやコルアの知る彼ではなかった。







(…どうしちまったんだ……俺…)


あれほど激しく動き回り命懸けの戦いを繰り広げているにも関わらず、当の昌也は実感が持てずにいた。


(体が軽い…)


剣を握ってからというもの、自分の体が自分のものでないような奇妙な感覚に囚われていた。


普段意識しないような箇所の筋肉がビリビリと刺激され、本来の自分であれば到底発揮することのできないはずの驚異的なパワーやスピードを実現させる。

ほんの少し足を前に出そうと意識するだけで一瞬で相手の死角に回り込むことができ、軽く剣を振れば相手の肉体を骨ごと切断する。


重力や時間の流れすらも緩やかに感じ、今なら何もかも思い通りになりそうな気さえした。


(…?)


ふと横を向くと、コルアとユユが身を寄せ合ってこちらを見ている。

まるで何か恐ろしいものでも見るような眼だった。


(二人ともどうしたんだろう…)


周りを見渡した昌也は、自分が大勢の兵士に囲まれている事実に気がついた。


(…そうか、こいつらのせいで怯えてるんだ。俺が皆を守らないと)


昌也が剣を強く握ると、再びジェイドの声が頭に響いた。


『…守れなかった』


(…っ!一体何なんだよこれは)


『守れなかった』


(…俺はあんたとは違う。俺が皆を守るんだ!)


一瞬、昌也の瞳の奥が赤く揺らいだ。


それと同時に躍起になった兵士達が一斉に襲いかかってくるも、今の昌也には彼らの動きがスローモーションに見えていた。

例え敵が何人いようと負ける気がしない。


昌也は人間離れした速さで縦横無尽に戦場を駆け巡り、兵士達の首を次々と聖剣で切断した。


兵士達は昌也の動きを目で追うのが精一杯で、ひとたび接近されるや不可視の一太刀により瞬く間に死が訪れる。

この数秒ではたして何人が死んだだろう。


自分に対して敵意を向ける相手を一通り殺し、昌也はまるでシャワーで身を清める時のように返り血を頭から受けた。


(…凄いぞこの力!これでもう誰にも馬鹿にされないし、頼る必要もない)


うっとりと恍惚の表情を浮かべる昌也は、ゆっくりと振り向いてコルア達の方を見る。


(見てくれよコルア。俺は強(つえ)えんだ!)


「…マサヤ……」


血で染まった口元を上げ、見たこともないような満面の笑みを上げる昌也に、コルアは背筋が凍る思いをした。


その戦慄はやがて兵士達にも伝染し、いつしか彼らを支配するのは任務遂行への闘志よりも死への恐怖。

100人以上いたはずの大部隊も、気付けば立っているのは3分の1ほどに激減していた。


「全員撤退!命を捨てるな!!」


「!?」


戦場を漂う異様な空気感と死にゆく部下達に限界を感じたアスレイが叫び、兵士達は驚いて振り向く。


「でも王の命令が…」


「赤の盗賊団の壊滅には成功した。これ以上犠牲を増やすわけにはいかない」


「聖剣はどうするんですかっ!?」


「…あれは誰かが持っていいものではない。たとえ王であってもだ!」


撤退の姿勢を見せる部隊に対して、昌也は追い討ちをかける。

背中を向ける者に対しても容赦なく斬りかかり、その手を止めることはなかった。


「……くっ!」


やむなくアスレイが兵士達を押し退け、剣を構える。

左腕が使えなくとも、時間を稼ぐつもりだ。


(逃がすかよ!全員俺が…)


昌也とアスレイの剣が交わろうとしたまさにその時。

エリエスの操る水の精霊が二人の前に立ち塞がった。


「!?」


「戦いは終わりよ!これ以上の死は無駄になるだけ」


康も慌ただしくトラックを降りて駆け寄ってくる。


「昌也君大丈夫!?」


昌也の全身が血塗れなのを見て、きっと大怪我をしてるに違いないと康は焦る。


「死にたくなければ早く行って!」


「………っ!」


剣を構えるアスレイに対してそう言い放つエリエス。

突然割り込んできた彼女の存在に戸惑うアスレイだったが、今は立ち止まっている場合ではない。

言われるがまま剣を納めると、踵を返して部下と共にその場を立ち去った。


あとは昌也を説得するだけ。


「…昌也、剣をしまって。あなたはよくやったわ。今はとにかく怪我人を助けましょう」


「………」


エリエスの言葉を聞いて昌也は剣を振り上げると、次の瞬間水の精霊に斬撃を放った。


「昌也!?」


聖剣に付着した血が精霊と混じり、赤い水滴が地面をビシャリと濡らす。


(邪魔すんなよエリエス!もうちょっとで敵を全滅させて、俺は英雄になれるんだ!)


精霊に斬撃は効かない。

何度繰り返そうと水は舞い戻って、欠けた部位を再構成させる。

それでも昌也の放つ異常なまでの敵意をひしひしと感じてエリエスは息を飲んだ。


「どうしちゃったの昌也君!?」


康もようやく昌也の様子がおかしいことに気付き、止めようと近づく。

聖剣が妖しく光った。


「ヤスシ、駄目っ!!」


血しぶきが弾ける。


とっさに康をかばって飛び出したコルアが右腕を斬られたのだ。

幸い切断には至っていないものの、すぐに腕を押さえて倒れ込んだ。


「…昌也!」


限度を過ぎた暴挙に激昂したエリエスは、水の精霊で昌也の全身を覆った。


(!!)


ゴポゴポと吐く息が泡に変わり、呼吸が封じられる昌也。

がむしゃらにもがいて剣を振り回すも、エリエスは逃がすまいと必死で押さえつける。


(クソが…!どうして…こんな………)


脳への酸素供給が途絶え、視界は濁り、薄れていく意識。


そのまま体が大きくビクンッと痙攣したかと思うと、昌也の意識は深い闇へと堕ちたのだった…。

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