第11話 【物知りヒスタ】


「やるじゃんコルア!うまくいったな」


無事、町へ入れたことに感極まった昌也が上機嫌でコルアの背中をポンと叩く。

布地の上からでもモフッとした毛の感触が伝わり、まるで羽毛布団のような触り心地である。

昌也達と出会う以前は体を洗う習慣が獣人にはなかったため、毛先はベタつき悪臭を放っていたものだが、今では文字通りすっかり垢抜けた様が見てとれた。


えへへ…と頭を掻きながら照れるコルア。


狭い車内で嬉しそうに振られる尻尾が両隣の昌也と康にベシベシ当たる。

その絶妙にくすぐったくウザったい動作に、普段なら文句を言う昌也も今日だけは笑って許した。


「さあ、図書館へレッツゴーです!」


コルアが意気揚々と拳を突き上げる。

騒音を響かせて道を突っ切る乗り物に驚いた通行人が続々と振り向くが、そんなのおかまいなしにトラックは進む。


「確かこの先って言ってたよね?」


青い屋根の家を曲がると同時に康はトラックの速度をやや落とした。

皆でゆっくりと左右を確認しながら前進するものの、どうにも図書館とおぼしき建物は見付からない。


「図書館なんてどこにあるんだよ…」


「あ!もしかしてあれじゃないですか?」


コルアが興奮気味に昌也を押しのけて窓に張り付いたため、康がとっさにブレーキを踏んだ。


停車してよく見ると、確かに住宅が並ぶ町中で不自然に大きめの建物が目に入った。

民家の4棟分くらいはある広い屋敷で、確かに図書館と言われたら納得してしまいそうな外観だ。

しかしそこは明らかに…


「廃墟じゃん」


植物のつるが建物全体に覆い被さり、壁の割れ目には木の板が乱雑に打ち付けられている。

それだけにとどまらず庭に植えられた木も朽ち折れていたりして、人の存在など微塵も感じさせない荒れ様だ。


「でも他にそれらしい建物なんて見当たらないですよ?」


そんなコルアの言葉にも今一つ納得できない様子の昌也だったが


「とりあえず降りて見てみようか」


康からもそう提案されたことによりしぶしぶトラックのドアを開けた。


スタッ、と昌也の足が地面へとつく。


「興味深いですね」


「うわっ!?」


直後、隣から投げかけられた声に驚いて体を震わせる昌也。

コルアと康が何事かと慌てて外に出ると、いつの間にかトラックのすぐ横に見知らぬ人間が立っていた。


身長は昌也よりも頭一つ分くらい低く、円形の赤い眼鏡をかけた少女だった。

おそらく年齢は中学生くらいだろう。

しかし色褪せや生地のほつれが目立つ古ぼけた茶色のポンチョを着込んでいるため、顔を見るまではホームレスの老人かと思ってしまうほどみすぼらしい雰囲気を漂わせていた。


(なんだこいつ…)


少し後退りして距離を取る昌也達に構いもせず、少女は眼鏡のふちを押さえながらトラックの車体の隅々まで舐めるように目を這わせる。


「この乗り物は一体何なんですか?」


少女が振り向き、短いおかっぱの髪が揺れる。

服が薄汚れている割に、髪の毛はサラサラと清潔感があった。


「トラックだけど…」


その好奇に満ちた瞳に気圧され、昌也は反射的に答えてしまう。


「とらっく?…聞いたこともないです」


だろうな、と昌也が心の中で納得していると少女は興味の対象をこちらに移したのか、まじまじと視線を向けてきた。

他人から観察される緊張感で全身が強張こわばる。

少女の視線が徐々に足元から顔まで上がってきて、やがて目が合う。


「…ところであなた達は?どうして私の家の前にいるんですか?」


「私の家………って、ここに住んでんのか!?」


まさかの事実に昌也の顔が引きつる。

信じがたいことだが、少女はこのおんぼろ屋敷の住人らしい。

昌也の大袈裟な反応に少女はムッと眉をひそめる。


「何か問題でも?…まぁ家というか、図書館ですけど」


「図書館!」


少女の言葉にいち早く反応したコルアが後ろから耳をピンと立てた。


「ほら!やっぱり合ってたでしょ!!」


と尻尾を振りながらドヤ顔するコルアの横から今度は康が少女に向かって話しかけた。


「僕達ここの司書さんに用があって来たんだ」


「…私に?」


少女の返事にまたもや一同は驚く。

どうやら目の前にいるこの少女こそが、自分達の探し求めていた"物知り"らしい。


「君が図書館の司書なの?」


康の問いに対し、少女は急に背筋を伸ばしてオホンッと勿体ぶった咳払いをすると丁寧に自己紹介を始めた。


「はい。私がこのラノウメルン図書館の司書、ヒスタです」


ヒスタと名乗った少女は胸を張り堂々とした佇まいで少しでも権威を誇示したいようだが、年齢のせいかどこか未熟さが漂っている。

大図書館の司書というくらいだからもっと賢そうな大人を想像していたのに、蓋を開けてみれば現れたのは廃墟まがいの建物と、頼りなさそうな子供。


呆気にとられる3人。

しばしの沈黙の後、昌也の口から思わず溜息が漏れた。


「勘弁してくれよ…」


そんな昌也に対して顔をグイッと近付け、眼鏡を光らせるヒスタ。


「それで、あなた達は何者で、私に何の用があるんですか?」


戸惑いと落胆でたじろぐ昌也の代わりに気を利かせたコルアが一歩前へ出る。


「自分はコルアと言います。こっちがマサヤとヤスシ。3人で旅をしてます」


「…リノルア族と人間が一緒に旅するなんて、随分変わってますね」


「えへへ…。それでこのトラックを動かすためのガソリンっていうマジックアイテムを探してるんですけど、物知りで有名なここの司書さんなら解決の方法を知ってるかなと思って…」


「ガソリン?何なんですかそれは」


眼を細め首を傾げるヒスタを見て、康がトラックの給油口の鍵を開けて中を指差す。


「この中に入ってる液体なんだけど」


言われるがままヒスタは給油口を覗き込むも、入り口が狭くて中までハッキリ見ることができない。

代わりにガソリン特有のツンとした香りに鼻腔を刺激されて思わず鼻を押さえる。


「酷い匂い…」


「はは…」


「…残念ながらこの乗り物も、こんな香りの液体も私の知識の中にありません」


キッパリとそう言い切ったヒスタに昌也が「ほらな」と声を上げた。


「やっぱりこっちの世界の人間にトラックのことなんて分からねーよ」


やはり自分達で解決法を探すしかないのだろう。

これ以上ここに居ても仕方ないと吐き捨てるように身を翻す昌也の様子に、康やコルア達もトラックに乗り込もうとした時である。


「…でも」


ヒスタの口から不意に漏れた声に一行は振り向いた。


「そのガソリンというものが液体なら、恐らく何とかする方法を知ってます」


「えっ!?」


予想だにしなかった一言に3人が驚きの声を上げる。

希望はまだ失われていなかった。


「どうすればいいんだ?」


「2000カロン」


「…へ?」


「情報は無料ただじゃありませんよ」


興奮気味に詰め寄る昌也に向かって冷めた眼差しでそう言い放つヒスタ。


「何だその2000カロンって…」


聞いたこともない単語に昌也が戸惑っていると、コルアがボソッと耳打ちしてくる。


「お金ですよ、お金」


「お金?そんなの俺達持ってないぞ…。コルア持ってるか?」


「村に置いてきちゃったんで全然無いです…」


「マジか…」


昌也達は今さらながら、この世界で生きていく為のお金を持ってない問題に直面して焦りを覚えた。


お金が無ければ何も手に入らない。

よく考えれば当たり前の話だ。

一番最初に滞在したリノルアの村ではお金のやり取りなど一切無く、皆親切にしてくれたためそういった概念が完全に抜け落ちてしまっていた。

所持金0で旅を始めた自分達の無謀さに気付いたところでもう遅い。


「俺達全然お金持ってないんだけど…」


「え、1カロンも?」


「…ああ」


「呆れた…。それでよく旅ができますね」


ヒスタは大袈裟に溜息を吐いた後少し考え、別の提案を持ちかけた。


「…じゃあ特別に何か貴重品などの物々交換でもいいですよ。あなた達はどんな物を持ってますか?」


それを聞いて目を合わせる3人。

言葉を交わさずとも、考えていることは皆同じだった。








「な、な………」


トラックの荷台に積まれた大量の本を目の当たりにし、言葉を失うヒスタ。


「俺達持ってるのこれくらいなんだけど…」


そんな昌也の言葉が聞こえているのかいないのか、ぶるぶると肩を震わせて輝く瞳は本の山に釘付けだった。


「本が、こんなにっ!!?」


これまでのクールな印象を吹き飛ばすくらいのキラキラとした眩しい表情。

そのまま静止する間もなく、ヒスタはトラックの荷台に入り込み本の物色を始めたではないか。


「おいっ!?」


「凄い、こんなの今まで見たこともない!」


まるでオモチャを前にはしゃぐ子供のように、次々と手に取って興味津々に眺めている。

予想以上の好反応に手応えを感じた昌也は、しめたとばかりに口角を上げる。


「その中のどれか一冊と交換でどうだ?」


「え!?ちょっと待ってよ!」


昌也の唐突な提案に慌てたのは康だ。


「あれ会社の物品だから無くなったら怒られるよ!」


「一冊くらい大丈夫だって。それにもう二度と元の世界には戻れないかもしれないんだぞ」


「それはそうだけど…」


「それよりも今生き残ることを考えねーと。ガソリンが無くなったら本どころの話じゃないだろ?」


「うーん…」


昌也のもっともらしい主張に、確かにと納得する康。


実際のところ元の世界に戻れなければ本なんて大切に持っていても仕方ないし、ガソリンの情報には代えられないのは理解できる。

それでも会社の所有物を自分の一存で手離す決断は、気の弱い康にはそう簡単にできるものではなかった。


「…分かった、一冊だけだからね」


渋々決断した康に、荷台のヒスタはうーんと唸り声を上げる。

本の表紙に目を配り、あれでもないこれでもないと取っ替え引っ替えするヒスタに、昌也は腕を組んで欠伸あくびをする。


「まだかー?」


「うーん…」


急かされたヒスタはやがて目ぼしい品を見付けたのか、ようやく一冊を手に取って出てきた。


「これにします」


昌也と康、コルアは差し出された本に見入る。


「…オズの魔法使い?」


童話の本である。

何故数ある本の中からこれを選んだのだろうか。


「これって魔法使いの手記ですよね!?魔法使いについて具体的に書かれた本なんて初めて見ました!」


なるほど、と昌也達は納得した。

どうやら本の内容を実話だと勘違いしているらしい。

いちいち説明するのも面倒なのでそのまま交渉を続けることにしよう。


「…それで、お前の知ってる解決法っていうのは何なんだ?」


ヒスタは一息置き、上がりきっていたテンションを落ち着かせた。

さっきまでキラキラしていた瞳がまるで別人のように大人びた細い目付きへと変わる。

そして本を大事そうに脇に抱えると、静かに語り始めた。


「…あなた達、水の魔石って知ってますか?」


「水の魔石?何だそれ?」


もちろんこちらの世界に来たばかりで、そんな物見たことも聞いたこともない昌也達は呆気に取られる。

そんな反応も想定内といった感じでヒスタは話を続けた。


「水の魔石は、あらゆる液体を培養したり自在に操ることができる幻のマジックアイテム。それが眠っていると言われている場所を私は知っています」


「…水の魔石ねぇ。本当にそんなので何とかなるのか?」


「聞くところによると、魔石を浸けた液体は水だろうがワインだろうが永久に無くならないそうです。もしそれが事実だとしたら、そのガソリンという液体も無限に保てるはず」


「じゃあこれからずっとガソリンの心配しなくてもいいってこと!?」


夢のような話に、思わず康の声も弾む。

一方で昌也はというとその情報に懐疑的であった。


「そんなチートみたいなアイテム本当にあんのかよ…」


「あそこ」


ヒスタはおもむろに遠くに見える山を指差した。


3つほど大きなでこぼこがある歪な形の山である。

それほど標高が高そうには見えない割にはところどころ雲のような靄(もや)がかかっており、緑の木々が白く覆われているのが遠目からでも観てとれる。


「石はあの山のふもとの、涸れない泉という場所にあります」


「ふーん…」


「結構遠そうだけど、あそこまでならギリギリ燃料持つかな…」


康はそう呟いたものの、正直なところ自信はなかった。

それほどガソリンの量は逼迫ひっぱくしていた。


しかしここまできたら、せっかく見えた解決の糸口を掴まない理由はない。


「行きましょう!今から行けば夕方までには着きますよ」


拳を握って出発の意向を見せるコルア。

その決断力や行動力に救われることも少なくはないが、さすがに今日は1日長距離移動が続いてうんざりしていた昌也はあまり乗り気になれなかった。


「どうせなら明日の朝に…」


だが、言いかけてハッとする。


自分達の周囲に、徐々にではあるが人集ひとだかりができはじめていたのだ。

得体のしれない乗り物とよそ者に、町の人達が好奇の視線を向けるのは自然なことだろう。

住人同士で何やらヒソヒソとこちらを見ながら会話している様子は不穏な空気を感じさせた。


「…すぐに出発した方がいいんじゃない?」


「だな…」


不安げな康に昌也も同意する。

少し休みたかったというのが本音だが、あまり長居をすると何が起こるか分かったものではない。


「行くぞコルア!」


昌也はすぐさま助手席のドアを開けてコルアを中に入れると自分も続いて乗り込んだ。

康も運転席に着き、エンジンをかける。


突然大きなエンジン音を上げて揺れ動くトラックに、人々からどよめきが起こる。

周囲の人間と同じようにその場に立ち尽くしていたヒスタに向かって、コルアは窓越しに手を振った。


「それじゃ、ありがとうございました!」


ゆっくりとタイヤが回り、車体がその場から動き出す。


「あ、ちょっと!」


ヒスタが何やら慌てて駆け寄ってくるが、運転席の康には見えていない。

彼女の制止も虚しく、そのままトラックは発進してあっという間に住宅街を走り抜けたのだった…。


「石は魔物が守ってるって言おうとしたのに…」


遠ざかって徐々に小さくなっていくトラックの後ろ姿に投げ掛けられたそんな言葉を聞くものは誰もいなかった。

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