第二章 旅の必需品

第10話 【前途多難】


太陽の光が真上から照りつける昼下がり。

そのトラックは土煙を巻き上げながら広大な荒野を東に向かって進んでいた。


窓の隙間から流れ込んでくるカラリと乾燥した空気が心地よく、車内に流れるスピッツの音楽に耳を傾けながら助手席の昌也がうたた寝に入ろうかとしていた時のことである。


「どうしよう、ガソリンがそろそろ無くなりそうだ…」


「…えっ!?」


運転中の康の不意の一言に、昌也の眠気が吹き飛んだ。

寝ぼけ目を見開き、頬からは意図せず冷や汗が垂れる。

無理もないだろう。


ガソリンが無くなる。


それは旅を始めたばかりの一行にとって出鼻を挫かれる衝撃的な事実だった。


「ガソリンって…、たしかトラックを動かすためのマジックアイテムですよね?」


康と昌也に挟まれて真ん中に座っていたコルアは、唯一呑気な様子で大きな瞳をパチクリさせている。

ガソリンというのがどんなものなのかまだハッキリと理解していないため、今一つ事の重大さを分かっていないのだ。

そんなコルアをよそに昌也は恐る恐る身を乗り出してトラックのガソリンメーターを覗き込む。


「あとどれくらい持ちそうなんだ?」


「…2~3時間も走らせれば無くなると思う」


「マジかよ…」


顔面蒼白の昌也と康、そんな二人にコルアは相変わらずキョロキョロと無邪気な視線を送る。


「えっと、そのガソリンっていうのはどこで手に入るんですか?」


「こっちが聞きたいよ。ガソリンなんてこの世界に無いんじゃないか?」


「え…、それってもしかしてトラックが動かなくなるってこと?」


「「そうだよ」」


昌也と康の声が重なる。


「え…ええーっ!?」


車内を反響するけたたましい絶叫に、舌打ちして思わず耳を塞ぐ昌也。

ここにきてようやく危機的状況を理解したコルアの顔からも血の気が引いた。


「何とかならないんですか!?」


「だからこっちが聞きたいって…。今から油田(ゆでん)を探すか?絶対無理だろうけど」


「…それか科学者みたいな人に何とかしてもらうかだね」


と、運転席から康。


いずれにせよ望みが薄いことは明白であった。

異世界であるこの土地に油田が存在するかどうかさえ怪しい上に、石油をガソリンに変える装置、そしてその技術を持つ人間がいるとは到底思えなかった。


なかば諦めムードの漂う二人の狭間で「うーん…」と耳を垂らしたコルアは少し考え、そして自信なさげに答えた。


「科学者は知らないですけど、物知りな人なら知ってます」


「「本当に!?」」


再びハモる昌也と康。


「ラノウメルンという、ここからそう遠くない町にいるらしいんですけど、…あ!そこ右です」


「え!?」


コルアから突然指示されて慌ててハンドルを切る康。

トラックが大きく揺られ、コルアの頭が昌也の顎にぶつかる。


「あだっ!」


ごめんなさい!とコルア。


全員シートベルトをしていても、やはり3人並んだ車内は窮屈なものである。

よほど痛かったのか、昌也は顎をさすりながら怪訝な顔をする。


「…いるらしい、ってことは会ったことないのか?」


「はい。自分も噂でしか聞いたことないんですが、ラノウメルンで最大の図書館を管理する司書さんが凄く物知りらしいです」


「司書ねぇ…」


拍子抜けした昌也は溜め息を吐きながら背もたれに倒れ込んだ。

一筋の光明が射し込んだかと思いきや、どうということはない。

技術者でも科学者でもないただの司書とは。


「ほんとに大丈夫かよ?」


「まあでも、会ってみるだけでもいいんじゃないかな。他に手も無いし」


呆れ顔の昌也と、苦笑いを浮かべる康。


しかし康の言う通り、このままだとトラックを失うはめになるのは避けられない事実だ。

燃料のないトラックなど、ただの無価値な鉄の塊に過ぎない。

ドラゴンの猛追も盗賊団の襲撃も、このトラックがあったからこそ生き延びることができた。

この世界で何の知識も力も持たない自分達にはトラック無しでの冒険など、とてもじゃないが無理だろう。


「きっと何とかなりますよ!」


(…簡単に言ってくれるよ)


根拠のないコルアの励ましにツッコむ気力すら今の昌也にはない。


「お先真っ暗だな…」


「いえ、暗くなんかありません。この先は青いですよ」


「え、青い?」


突然コルアの放った言葉の意味が分からず聞き返す昌也。

ものの例えで暗いと言っただけなのに、青いとは一体どういうことなのか。


ほら!とコルアがトラックの前方を指差したため、やれやれといった感じで昌也は面倒くさそうに目をやる。


「あれって…」


すると遠くにうっすら見えたのは青い水平線。

目を凝らしてそれが何なのか気付いた時、昌也は思わず体を起こして息を飲んだ。


海だ。


どこまでも続く青い大海原が目の前に広がっていた。


異世界にも海がある。

その事実に昌也と康は言い知れぬ感動を覚えた。

ほのかな潮の香りが風に乗って鼻腔をくすぐる。

決して良い匂いというわけではないが、自分が海にきたという実感が肉体の芯から沸き上がってくるようだ。


海沿いに面し、作物や食料の交易で栄えた町。それがラノウメルンである。


「海だ…」


「海だね」


島国である日本で暮らしている時ですら学校と自宅を往復してばかりで海を見る機会などほぼ無かったというのに、まさか異世界で見ることになるとは思いもよらなかった昌也。


「海を見るのは初めてですか?」


コルアの問いに昌也は首を横に振る。


「いや…、ただ懐かしいなと思って」


「確かにね」


と康が頷く。

康の方はというと、もともと運送で全国各地を回っていたのもあって見慣れてはいたが、異世界に来てから見るそれはまた違って感じた。


「この町は野菜や魚の取り引きが盛んで、リノルアとも唯一交流があるところなんです」


「へぇ…」


昌也がトラックの窓を開けると同時に潮風が車内に流れ込み、髪の毛をなびかせる。

町を一望するため太陽の光を手で遮りながら外に顔を出すと、ちらほらと人の姿が目に入った。


船着場で荷物を下ろしたり、道端で会話している様子が窺える。

町自体はそれほど巨大な規模ではないものの田舎というほど簡素なわけでもなく、それなりに建物が連なり賑わっている雰囲気だ。


「止まれ止まれ!」


「!?」


トラックが町に近付くと、それに気付いた人物が手を振りながらこちらに向かってきた。

康はすぐにブレーキを踏んでトラックを止め、昌也も念のため窓を閉めて警戒する。


(おいおい、また捕まったりするんじゃないだろうな!?)


別の街でアスレイという兵士に捕らえられたことを思い出し、ついつい身構えてしまう。

もう縛り上げられ尋問されるなんて経験はごめんである。


昌也に注視される中やってきたのは30代くらいの男で、槍を背に下げているところを見ると町の自警団か何かだろう。


「あなた方は商人ですか?」


槍に手を添えながら鋭い目付きでこちらを見据えてくる。

未知の来訪者を前に警戒しているのは向こうも同じだった。

昌也と康がどうしたものかと視線を交わしていると、コルアが任せてくださいと胸を叩く。


促されるまま、ひとまず一同はドアを開けてトラックから下りることにした。

最初に口を開いたのはコルアだ。


「はい!自分達は本を運んでいます。図書館へ向けて」


「…本?」


しかしなおも男が疑惑の目を休めなかったため、コルアはとっさに康に目配せする。


「ね、いっぱい本が乗ってますよね?」


「あ、うん…。本当に本ばかりです」


康がトラックの荷台を開けるのを見て、すぐに男が確認にやってくる。

食べ物や衣服が多少含まれていたものの、荷台の中が本で埋まっている事実は誰の目にも明らかだった。


「…なるほど、確かに」


男は奥を覗き込んだり一通りチェックを終えると納得したのか、ようやく深く息を吐いて槍から手を離した。

ピリピリとした雰囲気が解けたため、昌也達もホッと一息つく。


「ところで図書館はどこですか?」


すかさずコルアが男に尋ねる。


「ああ、図書館ならこのまま真っ直ぐ行ってあの青い屋根の家を左に曲がった先だ」


自警団からの疑いも晴れ、ついでに目的地まで分かるというトントン拍子の流れを目の当たりにし、昌也は素直に感心した。


たまたまとはいえ本を運んでいることによって目的地である図書館を目指す理由を疑われないのは一行にとって幸運であった。

もちろん機転を利かせたコルアの功績なのは言うまでもないが。


「ありがとうございます!」


お礼を言うが早いか、そそくさとトラックへ乗り込むコルア。


(早く行きましょう!)


康と昌也に向けて目で合図を送り、ヒソヒソと耳打ちする。

これ以上余計な詮索をされる前に立ち去ろうということだろう。

二人も後に続き、すぐさま出発するためエンジンをかけた。


「なあ!」


しかしトラックが動く直前男から声がかかり、一同はギョッとして窓越しに振り向く。


「この乗り物、どうやって動かしてるんだ?」


見たこともない乗り物を前に不思議そうな顔をする男。


(やっぱり聞かれたか…。どうせ説明しても解らないだろうけど)


昌也が頬をひきつらせていると、代わりにコルアが身を乗り出してニッコリと答えた。


「ガソリンです。それじゃ!」


康がアクセルを踏み、ゆっくりと前進するトラック。

いきなり動き出したことに怯んだ男が一歩下がると、制止する間もなくトラックは土煙を巻き上げながら町へと入っていった。


「…ガソリン?」


ポツリと取り残された男の呟きが、誰にも届くことなく潮風に流されて虚しく消えた。

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