第22話「姉弟の真心」

 頬を触る微風そよかぜも、せわしなく移る音たちも、一寸の光すらも忘れてしまった黒一色のこの部屋くうかんこそが早城奈朶音はやしろ なたねの心そのもの。

 延々と行き止まりも無く、傷つく事への恐怖が皮膚を凍らし毛穴から内側へと入り込んでくるかのような一室。


 ──二メートル長もある荷電粒子砲カノンの銃口から硝煙が揺らめき、六人全員唖然として強張った表情で一点を瞠目していた。

 自分を殺そう大切な人を守ろうと解き放った六つの光は、自分たちの核であるクリスタルに一発も命中しなかったのだ。

 至近距離で妨げるものでもないし、相手はまず避けない。

 だからこそ、たった一つの簡単な犠牲で弟はこれ以上戦わずに済んだ。


 そのはずだったのに──エネシアたちは荷電粒子砲を手離し、へと駆け寄って行く。

 あってはならない状況に六人全員が取り乱し、慟哭どうこくする。


 壊すはずだった奈朶音のクリスタルを全身で抱きしめ、全ての攻撃から守護したの意識は既に朦朧として、今にも死に絶えそうになっていた。

 全体にシールドを張ったことにより致命傷は免れたがそのヒロイックな全身には罅が入り、隙間からは血液が雫のように毀れ落ちている。

 躰はとうの昔に限界。


 それでも、タイテイは姉の入ったクリスタルを大事そうに包み込んでいた。


「な、なんで」

「シンちゃん、どうして守ったの?」

「私が死ねば、この天使も無くなるし」

「世界も救われる」

「シンちゃんがこれ以上痛い思いせずに済んだのに」


 彼女たちが話しかけるもタイテイはその場を一歩も動かずに、血の水溜まりを広げている。


「どうし……あっ」


 すると彼は脚下がおぼつかない様子でゆっくりと振り返り、両腕を広げてエネシアたちを強く抱きしめた。

 逃げてしまわないよう、もう自分の前から消えてしまわないよう、六人全員を包み──微かに漂ってきた懐かしい姉の香りに安堵する。

 同じ思考を持った彼女たちは彼の行動に定まらぬ視線の中、ただ戸惑っていた。


「だからさ……なんで一緒にどうにかしようとか……支え合おうとか考えないの……」


 少々掠れていても聞き慣れた聲に六人のエネシア達は顔を上げ、気まずそうに視線を逸らすもタイテイは全員を近寄らせて円陣の様な体制を取らせた。


「頼りにならないのはわかってる。でも、それでも……俺は、姉さんを支えたい」


 今更知って守られていた分際なのはわかってる、酷いこと言ったのもわかってる。

 だけど、そんな俺と──


「ずっと、これからも一緒……俺と暮らしてくれよ……奈朶音お姉ちゃん」


 二人だけの家族に戻って欲しくて。




 刹那、空を切ったかのようにタイテイの躰がガクンと下がり、黒い地面へと膝をついた。


 両腕に抱きしめていたエネシアたちはいなくなっており、手の中に違和感を感じて掌を開く。

 そこにあったのは煌びやかな純白色のクリスタルの欠片たちで、下の方にも割れたクリスタルたちが無造作にばら撒かれているのが見えた。

 手中にあるクリスタルをタイテイは強く握りしめ、少しだけ寂しさが押し寄せては黒い地面へと思いを馳せるように俯いた。


 ──ピキ。


 何かが割れるような音の方に振り向くと、奈朶音の入っていたクリスタルに一つの亀裂が入っているのが見えた。

 ゆっくりと近づいて行き、タイテイは姉の入ったクリスタルを今度は優しく腕を回すようにして抱きしめる。


 すると、クリスタルは音も無く粉々になって、ひょうのように地面へ散らばると──奈朶音は産まれた姿のまま、タイテイの腕の中に抱きしめられた。

 久しい温もりをスーツ越しに感じて、無意識に奈朶音をそっと抱き寄せていく。


 掌に収まってしまうほど恐ろしく、小さく愛らしい顔。

 何度も彼の日常を守って来た、全身の傷跡が目立つ女らしい身体。

 白色の髪は彼の指で滑らかに絡め取られ、寂しそうに指の隙間から離れていく。

 流れ落ちる髪の毛が何処と無く涙の様にも見えて、もう一度掻き揚げてしまう。


 少しすると奈朶音はゆっくりとまぶたを開き、目の前に見えるタイテイの顔を不思議そうに覗き込んだ。

 子猫に似た丸い眸で凝視し、次の瞬間我に返ったかのように瞳を震わせると力いっぱいに抱き返してきた。

 彼女の力は弱くとも決して離さぬまま、タイテイの右肩に涙を落としていく。


 抱き合ったまま、二人は一枚の仮面越しにお互いの顔を見つめ合う。──罅割れた仮面から彼女の泣き崩れた表情が映り込み、彼女の白髪を指先で絡め取る。


「今まで嘘ついててごめん……」

「いいよ、それくらい」


 姉は泣きしきりながらも謝り、弟は静かに諭す。


「傷つけてごめん……」

「いつも傷ついてんのはそっちじゃん」

「巻き込んじゃって……ご、ごめんなさいぃぃ……」

「別に怒ってないよ」


 雨のように涙を溢していく彼女に微笑を浮かべ、赤子をあやすかのように背中を優しく叩いた。


「俺は……姉さんが一人でずっと苦しそうしてたのに、ずっとのほほんと十年以上も過ごしてた」


 流れる量も減り、奈朶音は鼻を啜りながらも体を少し放した。


「だって、それは……私がそうして欲しかったから……」

「それは解ってる。でも……やっぱそういうの……知りたいし、支えてあげたいじゃん。守られてばっかじゃ……ちょっと性に合わないっていうか……」


 そう考えてしまうのは『自分が男だからなのだろうか』と少し考えたが、タイテイはその考えを内心で否定した。


「辛かったら言って欲しい、相談に乗るし支えになるから……最後は笑い話にしちゃおう。

 寂しくても言って欲しい、そん時は二人でどっか出掛けてバカみたいに遊んで忘れちゃおう」


 熱く実った彼女の頬と目元が愛らしく映り、毀れ落ちようとしていた涙を指先で拭う。


「俺はそういう事でしか支えられない人間だけど……二人だけの家族だから、俺なりに……大切にしたいんだ」


 そう言うと彼女は少しの間視線を逸らし、ぽろぽろと涙を溢しながらも恥ずかしそうに笑みを浮かべてくれた。

 その時の彼女の表情は梅雨の日の雨粒が琥珀色に輝くお天気雨によく似ていて、彼女の額に自分の額をそっとくっ付けた。


 無言のままお互いの額を擦り合わせ、電波を送り合っているかのような光景は誰が見ても『  』と錯覚してしまうほど──






「──失礼ソーリィ我が魔法少女マスター、何かしら着用した方が良いと考えられます」


 突如──タイテイの中からボンコイの音声が響きだし、奈朶音は勢いよく飛び撥ねると胸を隠しながら落ち着かない声色で話しかけた。


「そ、そうだね、ボンコイ! さ、さすが、私の相棒!」

「そのお言葉ワードを久しぶりに聞けて何よりです。

 ちなみに、先程シンジが我が魔法少女マスターの胸部や秘部を見ていた回数は──」

「バカっ! 見てねぇよ‼ ──……ッ!」


 咄嗟の事に自身の大声で全身の痛みがぶり返すも、奈朶音はしゃがみ込んだまま彼を疑いの眼差しで睨みつけていた。


「……と、とにかく! なんか着せてあげろ!」


 姉が向けてくる鋭く痛い視線に背き、体に纏っているボンコイへと声を上げる。


「そのつもりです。──では我が魔法少女マスター装着リボーン


 その台詞と共にタイテイの躰から光の粒子が溢れ出し、その全てが奈朶音の全身へと纏われていく。

 彼女の全細胞を創り変えていき、神秘たる薄桃色の繊維が彼女の特殊魔製女服ジェネレイティブ・スーツとなって装着される。


 愛らしいミニスカートを可憐に回して、ピンクメッシュが刻まれた白菫色のツインテールを翻す。

 地球最強の魔法少女──本物の『エネシア』がこの場に復活した。


 彼女の再誕に多少感動しているとは自分の体を見て、ある事に気付く。


「アレ? なんで俺、変身したままなんだ?」


 ボンコイは姉さんの方に移る、と思い込んでいたはずがデバイスは一つしかないのに何故二人も変身できているのだろう。


「──それは私が最初から我が魔法少女マスターが変身する分の魔動力燃料マナを残しておいていたからです。

 私の意識体はサポートが必要なシンジの方に残らせていますが我が魔法少女マスターは単体で魔道力燃料を制御する必要があります。問題ないですか?」

「うん。力は普段と何も変わってない」

それは何よりオーケィ、ここからはお互い手を繋いで行動しましょう。

 魔道力燃料の源である私はシンジの方にいますのでくっついていれば我が魔法少女マスターも自動的に供給されます」

「うん、わかった」


 そう素直に頷くとエネシアは積極的にタイテイの手を繋ぎ、話さぬよう力強く握ってきた。


 ──ボンコイ……超有能どころか、段々ご都合設定になってないか?


「それでは脱出しましょう」

「うん、じゃあ手っ取り早く……モードサイス!」


 武器の名を叫んだ瞬間、スカートに装着されていた七つの武装パーツが空中に浮き、一つの大鎌へと瞬時に合体すると彼女の手の中へと静かに収まった。

 すると大鎌を持ったままエネシアは体を右へと仰け反り、プロピッチャーのように構えると──


大鎌・弾斬サイスショットッ‼」


 砲丸投げの様に勢いよく大鎌を投げ、そのまま奥の黒へ、黒へと音速をも消し去ったまま回転をし続け──闇を切り裂いていく。

 その隙間からは晴れ渡る青空が見え──タイテイは不思議と懐かしさを覚えてしまった。


 ※


「クソッ! どうすればッ!」


 ローゼバルは目の前の光景に言葉を洩らし、シンデレイクは冷静にその場を見定め続けている。

 両腕の治療を受けていたミスルトは、今まさに振り下ろされんとしている二本めの剣に奥歯を噛み締めていた。


「私たちはここで……死ねない」


 剣は、またも世界みんなを斬ろうとする。


「そうでしょう……エネシア」






 瞬間、が円盤のような高速回転を見せながらブラックエネシアの肉体から飛び出してきた。


 高速で動く物体を注意深く観察してみると──それはエネシアの持つ大鎌サイスに酷似しており、勢いに乗ったまま斜め四十五度に上がる妙な軌道を繰り返して、百キロもある巨剣をのだ。

 全員で立ち向かってやっと破壊した最強の武器が二メートル程しかない大鎌にいとも容易く、原形も残すまいとしてその剣は次々と破壊されていく。


 圧倒的な状況を見て皆が唖然とする中──リリィ・ミスルトはただ一人、を確信して笑みを溢した。

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