第6話「それは頼み事みたいなお食事なの?」

「さぁさ、何でもお好きな物を頼んでください! 今日は私の奢りです!

 ──真士しんじ君! エネシア!」


 この二日で俺の周辺は大きく変化してしまった。

 どういう因果だろうか。俺と姉さんは同じ席に座り、目の前の席には双眸を輝かせながら満面の笑みを浮かべる命運めより先輩が一人座っていた。

 店内には静かげな曲以外何も聞こえてこず、夕食時だというのに人の気配一つない、がらんどうな空間に物寂しさすら感じてしまう。

 すると此方こちらの気持ちを察してか、命運先輩はバツが悪そうな表情を浮かべると申し訳なさそうに喋りだした。


「すみません……どこにでもある様なファミレスで。本当は高級料理店をと思ったんですけど、近くはどこも予約がいっぱいで──

 あぁ、大丈夫ですよ。監視カメラも録音も切らせてありますし、店員も此方から呼ばない限り来ないよう言いつけてます。今時はパッドで注文して配膳ロボットが運んできますし、これで心置きなく話すことができますね!」


 違う、こちらが不安がっている事と論点が非常にズレている。


 エネシア──その本人である姉さんはというと沈黙としたままパッドを触り、食べる物を選び続けていた。

 『呑気だな』と思っていると此方の方にパッドが回されてきて、俺はいつも頼んでいるメニューを注文した。


「ドリンク取ってくる」


 そう言って立ち上がろうとする姉さんを、命運先輩は慌てた様子で静止しようとする。


「え、いや、いやいやいやいや、エネシア先輩にそんなことさせられないですよ! ここは後輩である私が」

「そういうの良いから……あなた何が良い?」


 鬱陶しそうに聞き返す姉さんに先輩はきょとんとした表情を浮かべ、落ち着きを取り戻した。


「はぁ……でしたら私は水だけで結構です。できれば氷も」


 こくりと頷き、ドリンクバーコーナーへと歩んでいく姉さんを静かに見送った。


 ──俺、何も聞かれてない。『お前は自分で取って来い』って事か……。


「ねぇ、真士君」


 命運先輩は少し興奮気味の様子で机越しに顔を近づけ、噂話をするかのように話しかけてきた。


「エネシア先輩、とても美人ね」

「はぁ……」


 爛々としながら話して来る彼女に、俺は素っ気ない返ししか出来なかった。

 ぐいぐいと来られるのは昔から苦手である。


「スレンダーな人を想像していたけど思ってたより小柄なのね、それに……健康的な体系をしている。クールだし、結構モテるんじゃない?」

「……そっすね」


 姉の恋愛事情は知らん、姉弟だからと言って何でも知り合ってるわけじゃない。

 魔法少女だった事だって、知ったのは昨日の事だし。


「それで、彼女は普段何して」

「置けない」


 尖り声の方に振り向くと鋭い目つきで睨みつけてくる姉さんの姿が見え、先輩は咄嗟に離れ、俺は体を奥に詰めた。

 座ると、姉さんはトレーに乗せていたコップを一つずつ目の前に置きだしてくれた。

 俺の前に置かれたのは──黒色と炭酸から見てコーラ、普段飲んでいる物だ。

 横目に様子を観察するが、幼い表情は仏頂面のまま。

 命運先輩は再度気持ちの良い笑みを浮かべ「さて」と溢すと慇懃に頭を下げ、顔を上げると番組の司会のように溌剌と喋り出した。


「改めましてエネシア先輩もとい早城奈朶音はやしろ なたねさん。

──わたくし、『リリィ・ミスルト』という魔法少女をしております、月野命運と申します。

 八年前、貴方におかげで、私は今もこうして生き続けることができています。その節は本当にありがとうございました」


 命運先輩は心の底から感謝し、再度深くお辞儀をしてきた。


「……助けて貰った? 月野先輩、姉さんと面識があるんですか?」


 思いがけないことが耳に入ってきたので聞いてみると、彼女は微笑を浮かべつつ話を続けた。


「えぇ、私が魔法少女になれるようになってすぐの事よ。

 家族とのドライブ中に天使の襲撃に会ったの。車が突然切り落とされて両親が捕まって、私は何もできないままただ二人が殺されるのを見てたの……次は自分が殺される。

 その時に、私はエネシア先輩に救って貰ったんだ」


 天使によって親を失った子供たちは今時珍しくもないが、命運先輩もその一人だったとは。

 切なそうに自らの過去を語る彼女に、なんて言ってあげればいいかわからなかった。

 その一方で姉さんは先程から空気も読まずにジュースを飲み続け、コップが空になるとストローから唇を離して言葉を返した。


「ごめん、覚えてない」


 爆弾発言とは、こういう事を言う。

 平然と『普通に忘れてた』と言いたげのどうでもよさそうな声色で返答してしまうのだ。

 あまりの発言に唖然としながらも、視線を徐々に命運先輩へと切り替える。

 先輩は小さく口を開けたまま、黙って姉さんを見つめている。それを見て、俺は不思議と息を吞んだ。

 すると、先輩の口元が徐々に緩みだし、何が怪訝おかしかったのか微笑を浮かべだした。


「……あははっ、ですよね! そんな何億という命を助けたエネシア先輩が、私如き一人の人間なんて覚えていられませんよ! アハハッ!」


 それは壊れた機械のように加速していき、素直に恐怖を覚えた。


 先輩が一通り笑い終わると料理を運んでいる配膳ロボットがテーブルの前で停止した。

 命運先輩は嬉しそうに全てのメニューを受け取り、それぞれの目の前に並べると掌を合わせ「いただきます!」と大きな声を上げた。

 それに続いて、俺と姉さんもぎこちなく掌を合わせ食べ始める。

 先輩は頼んだすき焼き丼大盛サイズを勢いよく口に入れ、姉さんは一緒に頼んだオムライスと苺パフェを前にフライドポテトを一つずつつまみ、俺は180グラムのハンバーグステーキをこの異様な空気の中、まるで地獄の作業をするかのように食す。

 美味しい物を食べているはずなのに、味がまったくしない。


「ごちそうさまでしたッ‼」


 元気な声と共に勢いよく箸を置き、見てみると既に先輩の丼は空になっていた。

 彼女はあろうことか、大の大人ですらも時間をかけるであろう大盛サイズを二分ほどで食べ終わり、バッグから取り出したハンドタオルで自分の手を拭いた。


「では、食べながらで良いんで、私の話を聞いてください」


 タオルをしまい、表情は相も変わらず笑みのまま話を再開させ──未だに意図の読めない先輩の前面、フライドポテトを食べ続ける姉さんは先輩に視線を送ろうとすらしない。


「単刀直入に言います。──エネシア先輩、政府公認の魔法少女になってください」


 衝撃な内容を言われても尚、姉さんエネシアは食事の手を止めようとはしない。

 先輩は相手にされずとも、そのまま話を続行した。


「エネシア先輩はこの十三年間、何処にも属さず非公認野良の魔法少女として戦ってましたよね? 世界で一番強いと言われている魔法少女が非公認なんて勿体ないとは思いませんか?」


 確か侑弥ゆうやもそんなことを言っていた。

 国に手続きをしていない魔法少女は犯罪者とみなされる、とか。

 となると今の状況はかなりマズい。相手は公認の魔法少女、姉さんが警察に捕まってしまう。

 されど彼女の話し方や表情からして、捕まえようとしているわけではなさそうだが。


「魔法少女は変身した際、自分の本能のままに行動してしまう習性があります。その為、犯罪に走ってしまう魔法少女が後を絶ちません。

 ですが、貴方は違う! 本能心の底から人々を救いたいと願わねばあんな早く、そして巨大な敵を倒すことなんてできませんよ!」


 目を輝かせながら語る先輩の口調は更に強くなっていき、話も熱さを増してくる。

 されど、姉さんの表情は冷徹なままフライドポテトをつまみ続けている。


「あなたは野良でありながらその力で人を殺めず、何度も人々を救っています! 今までの実績と私の紹介があれば、貴方は無罪のまま公認の魔法少女となって、人類の希望……正義の使者になれるんですよ!」


 ここでは部外者の俺から見ても、彼女の言っている事は正しいのかもしれない……しかし、強引すぎる。

 なんだか、今ので判った気がする。

 命運先輩この人はきっと良い人には違いない。だが実態は、自分が良いと思っている事を押し付けるだけのただのなんだ。


「さぁさ! どうですか! エネシア先輩!」


 立ち上がり手を差し伸べて来る命運先輩──すると姉さんの食べる手が止まり、視線は斜め下のまま頬杖をつきだした。

 そして……


「やだ」


 子供のように断る。


 予想外の反応だったか、現実が受け止められなかったのか、先輩は苦笑しだした。

 ウイルスに感染したバグパソコンの様に笑い、笑い続け、口元を腕で抑え、それでも笑いは止まらず──一変、納得の行かない表情へと変わり声を荒げだす。


「せ、世界の為に! 人類を天使から守りたいと思わないんですか⁉」

「……別に」


 姉さんの答えに先輩の笑みは徐々に崩れ出し、余裕が薄れだす。


「お、お金が問題でしたら心配いりません! 月に良い額が振り込まれますし、国や国連からも生活の援助が」

「……テレビとかに堂々と映るの嫌だし……今の生活で満足しているし」


 先輩の情熱勧誘は冷徹な拒否に消化され、勢いを削がれていく。


「どうしてですか! 貴方はみんなの希望になるべき人間です! 皆が貴方を探しています! その力を持っているのに皆に示さず、時々しか戦わないなんておかしいですよ!」

「誰が決めたの、その基準」


 命運先輩の講義は必死そのもので、姉さんは俯きながらも面倒くさそうに断り続けているがその手は小刻みに震えていた。

 他人との会話どころか、言い合いに慣れていない彼女にはストレスが掛かる最悪な状況なのだ。


「どんな人のピンチにも駆けつけ、人類勝利の指導者となるべき人がどうして……! どうして正義の為に戦わないんですか‼」


 そして、限界は来てしまう。


「私たちの親を……がいるとこに、なんで私が入らなきゃいけないの」


 必死に上げた聲は拙いながらも自分の心情を響かせ、空気を一瞬にして変えてしまった。

 先輩は少し呼吸が荒くなった姉さんを見下ろし、沈黙のまま此方へ視線を移してくると俺は小さく頷いた。


「十三年前……俺の母さんと、姉さんの隼人はやとさ──父さんが再婚して、二人で海外に新婚旅行へ行ってきたんです。そこで政府公認の魔法少女に銃殺された……らしくて」


 驚いた表情を浮かべたまま、椅子へと尻をつけ先輩は爪を噛みだした。


「十三年前……無差別魔銃乱射事件……」


 ※


 母さんは毎日多忙な人だった。シングルマザーで俺を育てて、家にいる時間の方が少なかった気がする。


 そんな母がある日、知らない大人の男と知らない女の子を家に連れて来た。

 大人の男は『新しいお父さん』、女の子は『新しいお姉ちゃん』と嬉しそうに紹介してくれたのを今でも覚えている。


 新しいお父さんは本当の息子の様に俺と遊んでくれたが、八歳上の新しいお姉ちゃんとは会話すらなく、仲良くできる気配すらなかった。

 そんな不安も知らぬまま二人は俺たちを友人夫婦へと預け、海外へ新婚旅行に行き──二度と帰ることはなかった。


 日々の戦闘によるストレスを抑えるために、麻薬を乱用していた魔法少女がいた。

 彼女はある日、普段よりもっと強い薬に手を出して心を深く落ち着けると、昼食でも食べようかと街へ向かった。

 その時だった、彼女の周りが突然全て天使だけとなってしまったのだ。


 ──どういう理屈かわからんが大変だ。皆を護らなくては、いつの間に現れた天使どもめ、ぶっ殺してやる。


 正義感の強い彼女はその場ですぐに変身し、応援を呼ぶと手に持った魔銃で迷うことなく発砲を開始した。

 天使の数が多いが、今回のは一発撃たれただけで痙攣して死ぬ、脆い種だった。


 しかし妙だ。天使は本来、人を見かけたらすぐに襲い掛かって来るというのに、ここにいるのは自分から逃げていくものばかり。


 足の遅い奴から打ち殺し殴りつけ、ベビーカーを引きながら走っていたのを蜂の巣にし、ベビーカーの中で寄声を上げていた小さな天使を魔銃の銃口で何度も殴りつけ、眼玉や脳漿らしき物を飛び散らせた。


 二人の魔法少女が現場に駆けつけると彼女らは戦慄し、我が目を疑いだす。


「天使が逃げていく! 手伝って!」


 応援に来た魔法少女らに呼び掛けるも、二人は──その手に持つ武器を、同僚の方へと構えた。

 其処にいたのは紛れもない、一般人を殺し続ける一人の悪魔の姿だった。


 偶然、その場を歩いていただけの人々が。

 偶然、そこにいつもよりも強い薬に手を出した魔法少女が現れて。

 偶然、撃たれて。

 偶然、嬲られて。

 偶然、殺されて。

 偶然、帰れなくなった。


 偶然、その中に二名の日本人がいた。それだけの話。


 ※


 命運先輩は眸を大きく開いたまま言葉を失っていた。事件に巻き込まれた二名が憧れていたエネシアの両親だったとは、思ってもみなかったのだろう。


「で、ですが」


 衝撃的な事実を知ろうとも、先輩は何とか言葉を紡ごうとする。


「彼女はその後、死刑が執行されましたし……十三年前と違って今は体制も大きく変わりました! 弟さんの安全も保障します! ですから……」


 先輩はしぶとく、勧誘を諦めようとはしない。しかし先程まで堂々と喋っていた態度とは裏腹、言葉からはよそよそしさが伝わっていた。


「いや……今の生活が、良いの。──そ、それに」


 姉さんエネシアの舌が震えていた。

 言葉が途切れ、桜色の唇をもぞもぞと動かし調子を整えると、姉さんは続きを語り出した。


「……魔法少女は、きょ、今日で、退、したの」


「「え」」


 俺と先輩の声が、重なり同時に驚いた表情を浮かべる。


「もう、戦わないし、変身もしない。私は、普通の人間」


 弱々しくも途切れ途切れに話す声色に、微かだが真剣さを感じられた。

 令凍の空気に三人しかいない店内は満たされ、俺の心臓は一瞬だけ止まり動きだす。

 刹那の停止、原因は解っている。

 それは考えるまでもなく俺なのだから。

 俺が心無いことを言って、姉さんを散々責めたから。


 姉さんは何事も無かったかのように一人黙々と食事を再開し、デザートの苺パフェまでも完食した。

 その間、俺たちは終始無言で頼んだ料理に一つも口をつけられなかった。


「それと、奢りなんていい。姉弟きょうだいの分くらい自分で払えるから」


 姉さんは立ち上がり財布を取り出すと、こと細かに中身を確認した。

 何度も同じ札入れと小銭入れを見て、カード入れなども確認してを繰り返し──


「…………今回だけは、お言葉に甘えさせてもらいます。ごちそうさまでした」


 無表情でコップを握りしめていた命運先輩に、『ぺこり』という擬音が付きそうな会釈をした。

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