第2話

 ドアにつけられたベルが鳴る音がした。私はその音が大嫌いだ。昔はこの音が大好きだった。パパが帰ってくる音。ただいま、と帰ってくる音。


 ため息をついて、広げていた参考書とノート、筆箱を抱えて部屋に逃げようと立ち上がる。あいつが帰ってきたときは、気配を消して部屋に閉じこもるのが一番いい方法だ。あのゴミ屑みたいな男は、今日もどうせあの女とヤッてきたのだろう。


 汚い。穢らわしい。消えろ。


 そんなドス黒い思いが込み上げてくる。私が部屋から出ようとした時、あいつも丁度部屋の中に入ってくるところだった。鉢合わせしてしまった。


「美月」


 あいつの口が開き、私の名前を呼ぶ。やめろ。やめろ。元から大嫌いな名前だけど、その汚い口で言葉にされると余計に嫌いになる。


 無視をして側をすり抜けようとしたとき、あいつがぎゅっと私の手首を掴んだ。振り解こうとすると、手に力がこもった。強い力で押され、私は思い切り白い壁にぶつかる。ばさばさと音を立てて参考書や筆箱が床に散らばる。


「触らないで」


 下から思い切り睨みつけると、あいつはもう片方の手で私の頬を挟んで押し上げた。


「ずいぶん反抗的だな」


 顔が近付いてくる。頭の中が真っ白になる。動けない。どうして私は動けないのだろう。抵抗したら、殴られる。情けない恐怖が込み上げてきて、私は震えた。


 べちゃりと嫌な感触がして、私の頬に唇が押しつけられる。吐息が耳元にかかり、私は思い切りあいつの胸を押した。震える手で散らばった勉強道具を拾い上げ、部屋に逃げ込もうと足を踏ん張る。


 けれど、最後に何か言わずにはいられなかった。抵抗できなかった自分が心底腹立たしかった。あいつに触れられた箇所が、炙られているかのように疼き、じんと熱を持って燃えているかのようだ。


 消えてしまいたい。


「あんたなんて兄弟じゃない」


 精一杯の反抗だった。けれど、あいつは鼻で笑っただけだった。


「俺は兄弟になりたいんじゃない。血が繋がってないんだから、他のものになれる」


 下卑た笑いが、あいつの顔に広がっていく。

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