第14話 敗北、そして……


 何があったのか。俺があの後どうしたのか。うまく思い出せない。まるで泥の中にいるような、不愉快な浮遊感。体がうまく動かない。ここはどこだ? 俺は何だ? 体がドロドロに溶けていく。俺は……俺は……。


「ッ! シエル!」


 体を起こして手を伸ばす。あたりを見回して、ここが自室であるとようやく気が付いた。

 自分の部屋の、自分のベッドの上、体がじっとりと濡れている。

 夢……?


「……大丈夫?」



 声をかけられて横に視線をやる。ルナが、不安そうにこちらをのぞき込んでいた。


「ルナ……。し、シエルは……!」


 無事なのか? そう言いかけたときに体に激痛が走った。体の内側がきしむような痛みに俺はベッドの上でうずくまる。


「それはこっちのセリフよ……アンタ、外で倒れてたし……シエルはいなくなってるし、もう、何が何だか……。いったい、何があったの……?」

「……」


 そうか、夢じゃなかったんだ……。一瞬、逃避的にあんなことを考えた自分を呪う。


「シエルが、ミストに連れ去られた……」

「ぇ? いま何て……?」

「戦いを挑んだが負けた……情けない限りだぜ……。大丈夫。すぐに連れ戻す」


 そう、後悔は一瞬だ。そんなことをしている暇があるならば動け。体を無理やりたたき起こして、俺はベッドから転がり落ちるように立ち上がった。


「ちょっと! 無茶よ! 今は一回休んでッ!」

「そんな暇なんかあるかッ!!!」


 肩をびくりと震わせるルナを見て、俺は自分の過ちに気が付いた。


「わるい……。冷静じゃなかった」

「別に。気にしてないから大丈夫……」


 時計の秒針が進む音が、やけに大きく聞こえる。沈黙が、しばらく続く。


「それでも、シエルを連れ去られたのは。俺のミスだ……俺が弱かったばっかりに」


 ミストという男の力は、圧倒的だった。その力を前に、俺は傷をつけることさえもできなかった。その無力さのせいで、俺は再び失った。


「だ、だったら尚更突っ走っても仕方ないでしょ!? それに、そのミストがどこにいるかもわからないじゃない!」

「だからって、じっとしてることなんかできるか……。大丈夫だ……ルナはここで待っててくれ。絶対に二人で戻ってくる」

「っ。それ、どういうことかしら……?」

「お前を危険にさらすわけにはいかない。ミストの所在に関しても心当たりがないわけじゃない。何とかする」


 それは噓だった。心当たりなどあるはずもない。ただ、ここから駆け出すための出まかせ。

 裸の上半身の上からシャツとパーカーをまとう。ズボンは、このままでいいだろう。


「アンタいい加減にしなさいよ! 私じゃあ力不足だっていうの!?」

「いや、力不足なのは俺だ……。だからお前たちを上手く扱えない。正面切っての戦闘で今のおれに勝ち目はない。でも生身でなら油断を誘えるかもしれない。俺の命と引き換えならまだチャンスがーー」


 言いかけたその時、俺のほほに鋭い痛みが走った。

 ルナが、今にも泣きそうな顔でこちらを見上げている。頬を叩かれたのだと、気が付いた。


「自分のことはどうでもいいって!? 最低! アンタバカなんじゃないの!?」

「……。俺は……」


 その瞬間、携帯の着信音が響いた。音のする方に視線をやれば俺の形態が震えている。発信者は……


「非通知?」

「……」


 ルナの様子を一瞬うかがってから電話を手に取る。まるで、見えない何かに導かれるように……。まるで、この状況から逃げるように


「やぁ。新庄 紅葉に裏切り者のルナくん」

「!?」

「そ、そいつ、いま何て……?」


 まるで、機械でゆがめたような不気味な声。とっさにスピーカーを起動し、ルナにもはっきりと聞こえるように設定する。


「君の、いや、君の無様な敗北っぷりは見させてもらったよ。ハハハ」

「お前……何者だ……?」

「名乗るような名前はないが呼び名がないのも不便か……。そうだな、ジョーカー。よし。今日から君たちにはジョーカーを名乗ろう」


「……そんなことは聞いてないわ。いったいあなたがどういう存在かってことを訪ねてんのよ」

「君たちの協力者。いや、或いはミストの敵対者……といったところか」

「なるほどな。敵の敵は味方ってわけだ」


「如何にも」

「で、俺たちに何の用だ」

「ミストの所在を。知っている」


 ソレは、喉から手が出るほどに欲しい情報だった。俺は息をのんで、ジョーカーの言葉を待った。


「取引をしようではないか。この俺と。悪くはないだろう?」


 目の前に転がされたどうしようもなくほしい情報。それを前に俺は……。


「わかった。お前は何を望むんだ?」



 内容も分からないままに取引に臨むよりほかになかった。

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