優しさって何だろう

「本当にそうかな?」

 東先生の手が止まった。


「え?」

 いぶきは先生の目を見た。綺麗な目だと思った。


「僕はになりたい。強いだけの人に魅力は感じないんだ」


「え?」


 東もいぶきの目を見て言った。


「優しさって何なのか、人によって答えは違うと思うけど。

 心を感じる事ができる事。人の心も自分の心も。まずはそこだと思うんだ。それが無ければ、優しさは始まらない。そしてそれをどう表すか。

 僕は思うんだ。いぶきはとっても優しい心を持っている。小さいころから人の心をすごく感じる事ができる子だった。

 だけど、その表し方がうまくできなかったんじゃないかな。スポーツでわざと負けるのは優しさなのかな? 

 今だってそうだ。勝つためには優しさは捨てなきゃいけないの? それってどういう優しさなんだろ? それに強がって心と違う事を言葉にしたり、心と違う行動をするのは苦しい事だよね」


「先生は‥‥‥。じゃなくって。先生のあこがれのヒーローは、優しくて強いボクサーなんでしょ? 優しい人がどうして思いっきり人をなぐる事が出来るの?」


「きっと、それはスポーツっていう真剣勝負しんけんしょうぶの場だからなんじゃないかな。勝負の場で、相手の気持ちがわかるっていうのは、すごく有利ゆうりな事なんだよ。そこをめていけるからね。

 真剣勝負の場ではたがいがたがいの気持ちを分かり合える事がある。相手も自分も大切にできる。それが優しさなのかもしれない。だから全力を出して戦えるって感じかな。なんかちょっとむずかしい事、言っちゃったね」


 いぶきはゆっくりと首を横にふった。

「すごくわかる気がします。あのレースで、鈴香との勝負はそんな感じがありました。だから私がやってしまった事ととった態度が本当にくやまれます。

 先生はやっぱりボクサーなんですね」


「ぼ、僕はボクサーじゃないけど。こんな感じじゃないかなって思っただけで」


 先生が何かをかくすように、止まっていたマッサージの手を動かし始めたので、いぶきはもうひとつ聞きたかった事を聞いた。


「ミーヤが『自然の中で生きるものたちはオートマチックにうまく動いてる』って言ってだけど、オートマチックって何ですか?」


 いぶきがこう言っただけで、東はミーヤが話した事をすべて知っているように話し出した。


「機械が自動的にする、みたいな。ほら、『オートマ車』って聞いた事ない? 自動車のスピードが上がると人が操作そうさしなくてもギアが勝手に良い位置に入る車の事。今の車はほとんどがオートマ車だけどね。

 自然にいきるものたちはそういうふうにできてるんだ。

 生まれた時からそれぞれに役割やくわりみたいなのをあたえられていて、周りの様子を自然に感じとって、それに合わせて自らも自然に動く、みたいな。

 考えて行動しなくても、みんなが自然にやっていて、それで調和ちょうわが取れている。

 ミーヤはそれをって言ったんじゃないかな。


 人間だけは自然界からはみ出しちゃってる所があるから難しいんだ。

 周りの様子を自然に感じ取れる人は少ないし、感じて動ける人はもっと少ない。

 だからなかなか1つの生命体みたいになれないし、たくさん考えなくちゃならない。


 でも役割っていうのを生まれた時にある程度しか与えられてない人間は、それを自分で選んでいく事ができるんだ。

 自分は何をやりたいか、どんな役割をやっていこうかって。


 たとえばさ。

 マウンテンバイクのレースを考えてごらん。

 選手がいるだけじゃ、大会はできないでしょ? 大会を作る人、会場やコースを作る人、当日の大会を運営うんえいする人、安全を管理かんりする人、救護きゅうごの人、それに観客とか。

 1人じゃ絶対にできない事なんだ。そういう事もちゃんと感じて、その中で自分の役割、いぶきの場合は選手としての役割に全力をそそぐ事が大切なんじゃないかな。

 感じられる優しさ、それは強さにつながるはずだと思う。

 自分ひとりの強さなんてちっぽけだけど、色んな力を感じて、それを自分の力にできれば、すごく強くなれるって僕は思ってるんだ」

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