全日本の大会 その①

 レース当日は天気予報のとおり雨だった。

 雨音で目覚めた鈴香は「やっぱり雨か」とベッドの中でつぶやいた。


 一方、いぶきは「わーい! やっぱり雨だ!」とふとんからガバッと体を起こした。


 女子のレースは午後からだ。以前よりも参加人数が増えたと言っても、まだまだ男子のように人数のそろわない女子は、全日本では全クラスが同時にスタートする。

 クラスによって周回数しゅうかいすうは異なり、表彰ひょうしょうもそれぞれのクラスで行われる。



 鈴香は午前中、予定通り父親と一緒に男子のレースを見ながらコースの状況をチェックしに行った。

 2人でしばらく例のジャンプセクションの所で見ていた。

 ユースのレースでジャンプしているのは先頭の方を走る5人くらい。他の選手は迂回路うかいろを走っている。

 難しいセクションには迂回路があって、少し遠回りになって時間はかかるけど安全な道だ。


 鈴香が父に向かって話す。

侵入しんにゅうさえあのラインを外さなければ問題ないと思う。着地の地点もグズグズになってれていかなければ良いけど、ドロがひどくなってきたら迂回路に回った方が良いかもね。競り合いになっていたら本当にその場の判断はんだんになるね」


「鈴香はきちんと判断できて、無茶をしない子だから父さんは心配していないよ。勝ち負けは重要だけど、大きなケガだけはしないように。いつも通りな。さあ、早めに切り上げて車でゆっくりしよう」


 いつも通り。鈴香に変な緊張きんちょうはなく、レース前の準備を淡々たんたんと進めていった。



 一方のいぶきはカサもささず、カッパを着て走り回って男子ユースのレースを見ていた。

「とべー! とべー!」

「いよっ! カッコいい!」

「ほらっ! もっとがんばれ!」

 気ままにチーム員を応援している。

 でも応援というよりは、雨にぬれたコースの横を足で走るとすべるのが楽しいらしく、時々しりもちをつきながらオーットットなんて言いながら一人遊びを楽しんでいるようだ。


 その様子をチラリと鈴香は見ていた。

 すごく運動神経うんどうしんけいがいい子だな。だけどレース前にあんなにはしゃいでいるなんて信じられないと思っていた。


 雨が降っているといっても、7月のムワッとする空気の中、運動すると汗がにじみでてくる。レースのためにはムダな体力はなるべく使わないようにしたい。


 でも、いつもいぶきはこんな感じなのだ。チームの監督はいぶきには出来るだけ好きなようにさせている。

 いぶきはしばられるのが嫌いだし、レースになればしっかりと集中して全力を出す子だという事が分かっているから、よほどの事がない限りしかる事はない。


 2人の準備のやり方は対照的たいしょうてきだ。

 これからこの2人が真剣勝負しんけんしょうぶをするなんて、とても思えない。



 雨はふり続いていた。雨がやむと水分が飛んでドロとなり、タイヤや自転車にドロがまとわりつく最悪の状態になりやすいけれど、ふっていればシャバシャバと水を切りながら走れるので意外と走りやすい。

 そうは言っても雨だと滑りやすく転びやすくなる。高いテクニックと丁寧ていねいに走る事が求められる。



 間もなく女子のレースが始まろうとしている。

 全員で50名ほどのスタートとなる。一番上級のエリートは5周で、いぶきたちのユースクラスは2周でゴールとなる。

 ユースはスタート位置が後ろの方になるけれど、注目されているのは鈴香といぶきの対決で、2人が先頭を争う事は間違いないと思われている。


 スタートラインに立った時、2人から午前中のあどけない姿は消え去っていた。

 選手らしい鈴香の姿と選手らしいいぶきの姿は、50人の選手の中で浮かび上がっているように見える。

 鈴香は濃くて細いピンクのラインが入ったグレーっぽいウエア。いぶきは紺色こんいろをメインに黄色いラインが目立つウエアに身をつつんでいる。

 両端りょうはじに位置する2人はそれぞれのオーラを発している。


 観客かんきゃくたちのボルテージが上がる。

 どちらが勝つのか?

 スタート3分前には選手たちに傘をさしたり、雨具を受け取るスタッフ達もコースからはなれた。


 スタート1分前。選手たちは自転車にまたがり片足をペダルに乗せる。

 30秒前の合図。みんなが前かがみになってスタートの合図に耳をかたむける。


 パン!

 かわいたピストルの音と共に、選手たちはいっせいにペダルをこぎ出した。

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