ある奴隷少女の旅立ち

群青こちか

ある奴隷少女の旅立ち


注意

こちらの話には暴力、性暴力を思わせるシーンがございます

苦手な方はご注意いただきますようお願いいたします


* * *



遠い遠い東の国


国のほとんどが砂に覆われ、森もなく、年に一二度の大雨でかろうじて草花が咲くような土地ルクム。

貧困な家庭に育った私は、奴隷に売られた。


この国は裕福である、しかしそれは王と貴族のみの話。

作物がまったく育たない国の為、貿易で国家を賄っている。

ルクム最大の資源は宝石だ。

鉱山が多数あり、そこからたくさんの宝石が採掘される。

しかもどの国の物よりも美しく品質が良いとされている。


そこで働く者は、食べるには困らない程度の賃金を得ることが出来る。

しかし子供が生まれると別だ、男子なら働き手になるために育てるが女子は不要。

食事の量を区別され、小さいころに奴隷に売られてしまう。

わたしもそうやって奴隷になった。


8歳の頃、成り上がり貴族のズロイ男爵に買われた。屋敷には同じような環境の少女たちが、既に数人暮らしていた。

ズロイ男爵は慈善家という触れ込みで、貧困な子供たちを養子に迎え入れて勉学をさせているという建前があった。

なので、わたしも貴族の養女という形でこの屋敷に入った、他にいる少女たちとは皆姉妹となった。


屋敷では、部屋の掃除から雑用、力仕事まで、日が昇ってから沈むまで休みなく働かされた。

しかし三食の食事が与えられ、ベッドで眠ることができるため特に不満はなかった。

10歳を過ぎた頃、突然屋敷の主に呼びだされた。

今まで入ったことさえない、主の寝室の掃除を言いつけられたのだ。


部屋に入ると、男爵がソファに座っていた。


掃除の前に、汚いから風呂に入れと男爵に言われ、意味が分からず立ちすくんでいると足を蹴られた。

男爵のことは姿を見かけるだけで、ほとんど接触はなかったが、暴力的であるという噂は聞いていたので、言われた通り風呂に入った。

風呂から出ると衣服がなく、そのままベッドに寝かされた。

そして襲われた。


それからというもの、何かあるたびに呼びつけられるようになった。

そういえば、自分より年齢が上の姉妹たちが、仕事中に何時間も姿が見えなくなることがあったが、こういうことだったのかと確信した。


男爵は少しでも気に入らないとすぐに殴る男だった。

ひどいときは他の姉妹を呼びつけ、事が終わるまで正座のまま見ていろと命令されたり、身体の感覚がなくなるまで柱に縛り付けられたりもした。

自分が男爵に襲われているときも同様に、他の姉妹たちに見られることもあった。


そんなことが日常のように繰り返される中、ふと、自分が男爵に気にいられていることに気づいた。

他の姉妹達は顔を打たれたり、痣をつけられたりしていたが、わたしだけは絶対に顔に傷はつけられなかった。

そして男爵は、いつもわたしのことを美しいと言っていた、ルクムで一番の宝石だと。


ある日あらためて自分の顔を鏡で見た、食事と睡眠をしっかりとっているせいか肌艶が良い。

しかも、他の少女たちに比べて白目は青白く、少し珍しい灰色の瞳は大きく輝いている。

睫毛も長く、唇もバラ色だ。


わたしは気づいた、気づいてしまった、そう、自分が美しいということに。


しかし、男爵は強引な行為を好むため、身体には痣と傷がなくなることがなかった、治ったと思ってもすぐ他の場所にできていた。

こんな身体では、絶対に人前で肌は見せられない、一生ここに居なければいけないのかと思い悩んでいた。


姉妹の中には妊娠をする者もいた。しかし、妊娠しているのでは?と思った頃には屋敷からいなくなっていた。

その姉妹たちはどこにいってしまったのか、誰一人戻ってくることがなかったので意味が分からず、ただ恐ろしかった。


姉妹たちの中に、少しだけ年上で自分と同じ褐色の髪の少女がいた。

名前はハンナ、彼女は自分の国にいたころ13歳で結婚させられすぐに子供を身ごもったのだが流産してしまい、そのまま子供が産めない体になってしまったそうだ。

そのため、嫁ぎ先から厄介払いのように奴隷に売られてきたのだ。


ハンナは妊娠できないため、この屋敷からは追い出されることはなかった。

しかし、男爵はあきらかに少女を好んでいるので、夜の相手をすることがなくなり、いつのまにか新しく入ってくる姉妹たちの教育係となっていた。


お風呂に入るとき、ハンナに体を見せてもらったことがあった。

青あざは全くなかったが、鞭を打たれた痕や皮膚が裂けたであろう痕が残っていた。


こんな身体じゃどこへ逃げても無駄、恋をしたいなんて考えもない。

新しい姉妹が増えるたびに胸が痛むけど、でもどうしようもないの、私はここにいるしかないんだものとハンナは泣いていた。


わたしは考えた。

そう、わたしは初潮が来ていない、まだ妊娠はしない。

しかし、これから先いつかはその日が来る、いくら気に入られてるとはいえ恐ろしい。

姉妹たちが消えてしまうことより、あいつの子供を身ごもることが絶対に嫌だった。

ここから早く逃げ出さなきゃ……。



ある日、遣いを頼まれて、ハンナと市場に行った。

皆がこちらを見ているのがわかった、やはりわたしは美しいのだ。


ハンナにそれとなく聞いてみる。


「ねえ、皆が見てるわ、奴隷だから見られているのかな?」

「違うわ、あなたが美しいからよ」


それからハンナは、あなたは特別だ、今までにいた姉妹達とは男爵の態度が全然違うと言いはじめた。

そして、もし妊娠したとしても、あなたならこの屋敷にいられるのではないかと思っている、と。


ゾッとした。


妊娠もそうだが、あの屋敷にずっといなければいけないなんて考えたくもない。

わたしはまだ14歳、この国では婚姻できる年齢は15歳だ。

もし今と同じ生活ができると言われても、これから50年以上なんて気が狂ってしまう。


そういえば、ハンナはこの屋敷で姉妹たちの指導や世話を何年もしている。

妊娠した子たちが居なくなるのもわかっている……もしかして、その子たちがどうなるのかを知っているのではないか?


買い物を終えた帰り道、ハンナに聞いてみた。


「ねえ、妊娠した子たちはどうなるの? どこかへ連れていかれるの?」

「疑うかもしれないけど本当に知らないの。ただ、妊娠したことに男爵が気付いた数日後に一台の馬車が来るの。皆それに乗って行ってしまうわ……」


馬車が来る……。

それに乗れればここから離れられる……!


その日から、自分に初潮が訪れないように、そして他の姉妹が妊娠することだけを祈って暮らした。

一カ月もしないうちに、一人の少女が妊娠をした。

妊娠が分かると男爵からハンナに連絡があり、ハンナが指定された場所に手紙を送る。

その二日後には必ず馬車が来るようになっていた。


妊娠した少女に聞くと、跡継ぎを産む身体だから別荘に移動させると言われたらしい。

本当なわけがないとハンナは言っていた、もちろんわたしもそう思った。


昨日ハンナが手紙を出した。

明日の夜、馬車が来るということだ。

馬車が来たらすぐに教えてほしいとハンナに伝えた。

何をするのと言われたが、おかしなことはしないからお願いと頼み込んだ。


翌日の夜、馬車が裏門に到着したとハンナが耳打ちしてきた。

今日の仕事は全て終わっている、出発を待つ少女には、まだ馬車が来たことを伝えていない。


わたしは裏門に向かって走った。まよわず外に出る。

いた!

裏門から出て、最初の角、そこに真っ黒な荷台付き馬車が闇に紛れて停まっていた。


御者席に駆け寄り「あの」と声をかける。

突然のことに驚いた御者は、大きな声を出しそうになるが息を吸い込んで堪え、目を見開いてこちらを見た。


「驚かせてごめんなさい、窓からみていたら何かが落ちるのが見えたので……」


真っ白な木綿のハンカチを、まるで今拾ったかのように男に渡す。


「え? 俺?」


戸惑う男に、思いっきり笑顔を向ける。その瞬間、男の頬が緩むのが分かった。

やはり私は美しいのだ、微笑むだけで男を魅了できる。


「はい、違いますか?」


そう言いながら、御者台に座る男の太ももに手をかける、男の顔が薄暗い中でも赤くなるのが分かった。

わたしの手を払おうともせず、受け取ったハンカチを見つめ「ああ、俺のだ、ありがとう」と笑顔を見せた。

二十歳は過ぎているだろうか、さえない感じの間抜けそうな男の顔がそこにあった。


「よかった、じゃあ戻りますね」


太ももから手をひこうとすると、男がその手をぎゅっと握ってきた。


「この辺りの子かい?」

「はい、こちらのお屋敷に入ったばかりです」


本当はもう5年以上もいるが嘘をついた。男が眉を顰めるのが分かった。


「そうかい……」

「はい、まだこの土地も初めてで、お友達もいなくて、でもあなたのような素敵な方に会えたからよかったわ」


男が手を放そうとしたので、そう言いながら握り返した。

男は黙ったままだ。


「またお会いできるかしら?」


わざと覗き込むように顔を見つめる、男はさっき以上に顔を赤くして目をそらした。


「月に一度は、ここにくるから……」

「まあ! じゃあまた会いに来ますね、私の初めてのお友達になってください」


男は辺りをきょろきょろと見渡しながら、小さく頷いた。

私は男の手を自分の頬にあて「ありがとう」と言って、その場から離れた。


それから月に一度、多いときは二度男と会った、男の名前はジョンと言った。


ジョンは、この仕事をやめたいが報酬が良いのでやめられない、この屋敷の男爵に嫌なことはされていないか? と毎回同じようなことばかり聞いてきた。

小さな花束を持ってきたこともあった、完全にわたしのことを好きになっているのが分かった。

そろそろだと思っていた。


ジョンと話すようになって半年くらい経った頃、とうとう初潮が来た。

恐れていたのもが始まってしまった。

栄養が足りていないと遅くなる、体重が軽いと来ない、そんな迷信を信じて昼食だけ食べ、朝と夜はスープのみで暮らしていた。

それでも胸は膨らみ続け、薄い腰回りもふっくらと女らしくなってきていた。

もう15歳になろうとしている、まわりに比べれば遅めではあるがやはり来てしまった……。


私に初潮が来たことを男爵が知ったら、態度は変わるのだろうか。

変わらずとも、これから妊娠の恐怖に怯えながら夜の相手をすることになる。

いやだ、わたしはこんなところにいたくない、早く逃げださなきゃ!


その夜、今まで男爵にもらっていたお金と少しばかりのアクセサリー、それをすべてハンナに渡して、ジョンを呼んでくれと頼み込んだ。


ハンナは反対をした、しかし、妊娠して先が分からない未来なら、この目論見が失敗してその場で殺されたとしても同じ。

もし成功して逃げることができたら、必ずあなたにも何らかの形でお礼をする、そう言って頭を下げ続けた。


ハンナはずっとわたしを可愛がってくれていた。

いつも美しいと言って、髪を編んでくれた。

年齢は10歳くらいしか違わないのに、まるで母のように大事にしてくれた。


ハンナはたぶんわたしと同じ、遠い東の国出身なのだろう、言葉のなまりが似ている。その地域は女でも骨が太く、長身のものが多い、私の母もそんな感じだった。

私が特別なだけなのだ。そしてこんな私の容姿をハンナが羨ましく思っているのもわかっていた。


泣くつもりはなかったが、ハンナに頭を下げていると、色々なことを思い出して涙があふれて止まらなかった。

ハンナはわたしの髪をやさしく撫で、そのあと抱きしめて「わかったわ」と呟いた。


翌朝、朝食の準備をしていると、明日の夜ジョンの馬車がいつもの場所に来ると、ハンナに教えられた。

恐怖なのか期待なのかはわからないが、聞いた瞬間、体がぶるっと震えた。

今日がここで眠る最後の夜となる、男爵に呼ばれない事だけを願いながら一日の仕事を終えた。


翌日、曇天の朝、今にも雨が降りそうだった。

雨が降ってくれたほうが音が聞こえなくていい、もっと大雨になることを祈り続けた。


昼食後、男爵に呼びだされた。

いつものように裸になり、身体を執拗に触られたが、出かける用があると言われ行為には至らなかった。

全身を押さえつけ縛り上げられたため、治りかけていた太ももの傷が裂け、腕に血が出るほどの擦り傷がついた。

これが最後の傷になるのだろうか……。

ハンナに傷の手当てをしてもらい、仕事に戻った。あとは早く日が暮れることを願い続けた。


夕飯の時間になり、10数人いる姉妹たちと食卓を囲んだ。

いつも夕飯はスープだけにしていたが、そのスープさえ喉を通らなかった。

片づけを終えるとすっかり外は真っ暗で、しかも大雨が降っていた。


行かなきゃ……。


ハンナに目配せをして、ワンピースが汚れたと言いながら食堂を出る。

部屋に戻り、新しいワンピースに着替えた、手荷物は何もない。

誰が見ても、屋敷で働くいつものわたしの姿だ。


窓から外を確認すると、外の道に小さな明かりが見えた、ジョンが来ている!

部屋を飛び出そうとした瞬間、扉の向こうからノックが響いた。


「ジュリアいる? ハンナよ。男爵様がお呼びだわ」


慌てて扉を開ける。

目の前には、ハンナが泣きそうな顔で立っていた。

こうやって呼びに来たふりをすれば、少しの間姿を見かけなくても他の侍女が不審に思わないでしょ、と。

胸にこみあげるものを抑え、その場でハンナと抱き合い、裏口に向かった。


まだ、駆けてはいけない、わかっていても気が急いてしまう。

階段を降り、屋敷の廊下を抜け、裏口の扉を開けた。

跳ねるしぶきが白くなるほどの大雨だ。よし、行こう!


わたしは馬車に向かって駆けだした。


「ジョン!」


御者席にいるジョンに声をかける。


「どうしたんだい、ずぶぬれじゃないか」


ジョンは慌てるが、いつもの『女の子を運ぶ仕事』だと思っているので、馬車には乗せてくれない。

しかし、座席に置いてある毛布を掛けてくれた。


「ありがとう」


毛布を頭からかぶり、御者席の横に無理矢理に座る。


「駄目だよ」


慌てるジョンに首を横に振り「今日の仕事は嘘なの、わたしもうこのお屋敷にいたくない、あなたと一緒になりたいの」ともたれ掛かった。

そして、驚いて口をパクパクさせているジョンの手を取り、思い切りキスをした。

本当はすっごく気持ち悪い、でもこうしなければいけない、ここから離れる最初で最後のチャンスだ……。

さらに胸を押し付け、背中に手をまわしてキスをし続けた。

唇をはなすと、ジョンの目が困惑しながらも自分を求めているのが分かった。


「二人で逃げましょう、この土地に未練はないと言ってたじゃない、ねえ、遠く、そう北へ行きましょう! きっと誰も追ってこないわ」

「……」


その時、後ろで何か気配がした。


ジョンの腕を掴んだまま、窓から外を見ると、ハンナがこちらにむかって走ってきているところだった。

全身ずぶ濡れで息が上がっている。手に何かを抱えているように見えた。

窓から少しだけ顔を出す。


「ハンナ、どうしたの」

「ごめんなさい、これ、さっき渡すのを忘れていたの」


渡された袋の中を見ると、わたしがハンナに渡したお金と宝飾品が入っていた、いや、それにしては金額が多い……。


「ハンナ、これ……多すぎるわ」

「いいの、それに私にはこれはもらえない、ちょっと多いのは旅の足しになると思うから使ってちょうだい、幸せになるのよ、ジュリア」


ずぶ濡れになりながら、ハンナは優しく微笑んだ。

わたしがこのままここを出ていったら、きっとハンナは責められるだろう。

今ではもう乱暴されることもなく、ただの使用人として信頼され、普通の暮らしをしているハンナ。

しかしあの残虐な男爵のこと、この後ハンナになにをするかわからない……。


「あ、ありがとう」


なぜか横でジョンがお礼を言っている、なにこの男、ほんっと嫌だ。

わたしは御者席から飛び降り、荷台を開けてハンナを押し込み、自分も一緒に乗り込んだ。


「ジュリア!」


ハンナは驚いて馬車から降りようとするが、扉の前にわたしがいる為、簡単には動けない。


「駄目よジュリア、私は戻らなきゃ」

「戻らなくていい何されるかわからないわ、それに大丈夫、ハンナがこんなにもってきてくれたんだもん、なんとかなるわ」

「なんとかって」

「んもう! 一緒にこの家を出ましょうって言ってるの!」


そう言ってハンナの頬にキスをして、荷台から顔を出し、あたふたしているジョンの肩を叩いた。


「さあジョン、北へ向かって! 北に行きましょう!」


会話もかき消されてしまうような大雨の中、一台の馬車は暗闇を駆けて行った。




~ 完 ~


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ある奴隷少女の旅立ち 群青こちか @gunjo_cat

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