ターン・テーブル

渡貫とゐち

茜色の暗殺

『勇者・茜色あかねいろ、貴様に重要な任務を与える――』


 世界は今、混乱している。

 魔王軍との交戦、真っ只中だからだ。


 世界各地に出現した、魔王軍の【隊長】と名乗る魔族たち。

 人間の倍の大きさもある巨体、人間の体などいとも容易く両断できる腕力。高さ十メートルを軽々と飛び越えることができる脚力と、身の丈以上の斧を思い通りに振り回すことができる器用さなど、その実力の差は歴然だった。


 人間側にも武器はあるが、巨体を持つ魔族にとっては小さな針を突き刺されたようなものでしかなく、大量の武器を集めて一斉に攻撃したところで致命傷にはならないのだ。

 毒や捨て身覚悟の人間爆弾でも同じことだ。武器の威力の規模が違う。巨体に似合った防御力を備え持つ。人間にどうこうできる相手ではないのだ。


 交戦中、とは言ったものの、これは蹂躙だ。

 強者が弱者を、ただ歩いただけで踏み潰しているだけに過ぎない。

 魔族たちにとっては、侵略であっても戦闘ではないのだろう。


 敵はいない。


 ――ある『集団』を除いては。



「はい、こちら茜色、準備は万端です」


『よろしい。では、貴様の任務だが……、北の大地にそびえ立つ魔王城へ侵入し、戦闘をすることなく、魔王の首を落としてくることだ――潜入任務と同時、暗殺任務である』


「しかし、隊長。魔王と戦うためには世界各地に散らばっている魔族のリーダー……『隊長格』を倒し、『鍵』を奪い取らなければならないのではないですか? でないと魔王城に張られた結界を通り抜けることはできないと聞いていますけど……」


『問題ない。あれは魔族と人間を区別するための結界だ、悪意や殺意には反応しない。忠誠心がパスポートになっているわけでもない。種族の区別をするためだけの結界だ……。その点で言えば、貴様は魔族の血を取り入れた特殊な人間だろう、結界を突破できるはずだ……――安心しろ、前例がいるからな』


 実際、試している。

 先行して潜入していた勇者がいるのだ。その勇者は今も魔王城に潜伏している……。彼女の役目は、結界を突破できるか、の実験と同時、遅れて暗殺任務で潜入する勇者のサポートである。

 暗殺技術はない。

 裏方に徹している人材だ。

 なので、先行した勇者に戦闘能力を期待することはできない。


『各地に飛んだ勇者が隊長格を抑えている今がチャンスだ。音もなく魔王を殺害してしまえば、戦争も止まるだろう……、組織の『頭』を潰してしまえば下は止まるものだ』


 ちまちまと世界各地に出現した魔族を倒す手間をかけるよりも、静かに頭を討ってしまおうという考えだ。

 魔族たちもそれを警戒しているとは思うが、種族で区別する結界に絶対の信頼を置いているのか、それとも暗殺程度に倒れる魔王ではないと信用しているのか――魔王城の警備がかなり薄い。結界までなら小さな子供でも近づくことが可能だ。


「分かりました。では茜色、ただ今より出発します」


 コードネーム・茜色。

 夜に紛れる黒衣を纏い、彼女が魔王城へ出発した。



 魔王城を包む、薄い赤色の壁がある……これが結界だ。

 茜色が恐る恐る手を触れると、すぅ、と体が中へ吸い込まれた。

 魔族の血を持つ彼女は、魔族と認識されたようだ。


 ……彼女は、人間と魔族のハーフではない。体の頑丈さを上げるために取り込まれた魔族の血なのだが、それだけで魔族であると認識されるらしい。意外と雑な認識だ。

 魔族の血を舐めただけで通れてしまいそうである。


 結界を抜け、そびえ立つ魔王城へ素早く近づく。

 壁に背を預け、周囲を警戒しながら――三メートルの高さの窓に手をかけた。

 ゆっくりとよじ登り、窓を開ける。魔王城の内部へ侵入成功だ。


「本当に誰もいないんだね……、隊長格が出払っていても、末端の魔族ならいると思っていたけど……」


 疑ってしまうくらいの手薄だった。

 侵入してくるわけがない、と思っているなら、置く警備は無意味だから切り捨てている、と考えれば当然なのだが……。この手薄に意味があるのではないか、と勘繰ってしまう。


 こそこそとする必要はないのかもしれない。

 それでも堂々と魔王城内部を闊歩することは、勇気が出なくてできなかったが。


 とにかく、まずは先行して潜入している勇者と合流をするべきか……。

 茜色はレッドカーペットが敷かれた横幅が広い螺旋階段を上がる……。

 すると見えてきたのが…………巨大な金色の扉だった。


「…………」


 これでもかと、魔王の部屋であると主張している扉である。

 ……早々に辿り着いてしまったけれど、さすがに早速暗殺、というのは急ぎ過ぎか?


 だけど、こうしている今も、被害は増えている……。

 ここで躊躇った数秒が、死者数を変えてしまうことになる。


 どうしてあと数秒早く魔王を倒してくれなかったのっ、お母さんが死ななくて済んだのに! と子供に泣きつかれたら、後悔が茜色の首を絞めるだろう。


 焦って良いことなどないが、理由もなくまったりしているのも意味がない。

 とりあえず、場所は確認できたのだ、あとは上の階や屋根裏部屋へ侵入し、魔王の死角から襲撃するのが基本だろう。


 思い、引き返そうとしたら…………聞こえた。


 魔族の血を取り入れたおかげで様々な性能が強化された茜色である。

 頑丈さや腕力、脚力――純粋な魔族には劣るが、人間を越えた存在にはなっている。


 そのため聴力も強化されている……だから聞こえたのだ、いびきが。

 もしかして……眠ってる?

 しかもちょっとやそっとでは起きないような熟睡なのでは?


「…………」


 罠です、と言われているようなものだ。

 だが、千載一遇のチャンスだとすれば? これを見逃すのは、戦争が数年、いいや、世界の支配者が魔族に代わり、先の百年、人間は劣悪な生活を強いられるかもしれない……――そう考えると、たとえ罠でも、引っ掛かって損をするのは茜色である。

 なら――、確認だけでも、するべきなのではないか。

 暗殺が失敗しても戦争に負けたわけではない。隊長格を抑えているのは勇者だ、抑えられているなら、倒すことも不可能ではないはずだ――この罠が(罠ではないかもしれないが)、大局を変えるほどの影響があるわけではない…………はずだ。


「……茜色、いきます」


 黒い刃を握り締め、茜色が扉を肩で押し開ける……そこには。



 大仰な椅子に座る魔王の姿があった。

 背もたれに体重を預け、大きな鼻ちょうちんを作り、豪快ないびきをかいている。


 その声と呼吸だけで、茜色が吹き飛ばされてしまいそうだ。

 魔王もやはり巨体だ。隊長格も大きいが、それ以上である。

 魔王の人差し指と茜色が同じくらいの大きさで……――頭の上の二本の角は、後ろに反り返っている。角と言うより触覚のようでもある。


 老いた姿だが、魔族で魔王となると実年齢は予想ができない。こんな見た目でもまだまだ若いのかもしれないし……、でも赤い顔に白い髭である……ほうれい線も深い。

 額の傷などは長い時代を生きた証にも見えるし……、こんな巨体に、手に持つこのナイフの刃が入るのか?


 暗殺なんて、土台、無理な話だったのではないか?

 豪快ないびきをかいているので、ちょっとやそっとの衝撃では起きないだろうと思い(睡眠薬でも盛られたか?)、茜色は遠慮なく魔王の体の上を伝って、顔のすぐ近くへ。

 ……酒臭い、ので、横へずれる。耳の隣だ。


 首。

 頸動脈けいどうみゃくは、人間と同じだった。人間よりは頑丈な造りにはなっているだろうが、たとえ硬い地面でも何度も叩いていれば脆くなっていくものだ……それと同じで。


 見えた頸動脈に、茜色がナイフを打ち付けていく。刃が曲がっても関係ない。斬るのではなく砕くように。小さな穴を穿つように――頸動脈を集中的に狙い……やがて。


 ぱぁん、と、頸動脈が破れた。


 小さな穴から噴出する赤い液体が茜色を押し飛ばし、魔王の部屋があっという間に真っ赤に染まる……――赤いプールだ。


 流れに乗って泳いだ茜色は、扉の僅かな隙間から脱出する。

 ……あれで魔王が死んだ、と思ってもいいのだろうか……?


 扉が壊れ、大量の血液が流れ出てくる。失血死に相当する量が魔王城から外へ放流され――


 上へ上へ回避していた茜色は、魔王城の屋根の上で、先行して潜入していた勇者と合流する。


「コードネーム・茜色?」

「えっと、はい……あなたは?」

「コードネーム・黄金色こがねいろです」


 茜色と同じく黒衣を纏う少女だった。

 目元以外は真っ黒なので、互いに顔は分からない……。

 人目を忍ぶ姿は己の顔さえ仲間には明かさない。


「コードネーム・茜色、魔王の暗殺は成功した、と見てもいいのですか?」


「……これを暗殺、と言うのかは分かりませんけど。この血の量であれば、死んだと思いますよ。死んでいなくとも瀕死になっているのではないですか?」


「確認してきます」


 黄金色が、魔王城の中へ。

 魔王の状態を確認しにいったようだ。

 ついていくべきか、と思った茜色だが、頸動脈に穴を空けるだけでかなりの体力を使った。山に穴を空けるような労力で、両足両腕が限界だった……。

 こうして立っているのもきつい。気を抜いたら魔王城の下へ真っ逆さまだ。


 ふら、と意識が落ちかけたが、戻ってきた黄金色が肩を支えてくれたおかげで落下することは免れた。


「死亡していましたよ。暗殺、成功です」

「そっか……それは良かった……です」


「わたしが背負いますよ。帰りましょう……隊長への報告はわたしにお任せください」

「……では、任せて、しまいますね……よろしくお願いします……」

「はいっ、お任せを!」


 黄金色が茜色を背負う。互いに黒衣なので二人が密着すれば大きな一人に見える。

 夜に紛れてしまえば、誰にも認識されないようになるのだが……。

 とにもかくにも、任務は達成だ。


 これで、魔王軍の攻撃は止まるはずだ……。

 魔王という頭がいなくなったのだから、魔族たちは目的を見失うはず――


 新たな魔王の座に誰が座るのか、仲間内で揉めて共倒れでもしてくれれば一番良いけれど……。




「おい、魔王が死んだみたいだぜ?」


 と、喜んだのは魔族だった。

 隊長格の一人である。彼はさっきよりも動きが速くなり、疲弊していたはずだが、元通りになったように体力が満タンだった。


「コードネーム・虹色にじいろだったか? 悪いがさっきまでのオレは半分の力も出ていなかったんだぜ?」


 巨大な斧が振り回され――隙がなく、連撃が迫ってくる。

 虹色は回避することしかできず、連撃の速度が虹色の回避を追い抜いた。


 胴体に刃が食い込み、下半身が置いていかれた。

 刃に乗った上半身が弾き飛ばされる。


「魔王のヤツの手枷のせいで、オレたち魔族は存分に力を発揮できなかったが……どこの誰かが殺してくれたみたいで助かったぜ。こっちは一枚岩じゃねえんだ、どっちかと言えば、魔王が単独で、オレたち魔族が徒党を組んでいたようなもんだぜ。魔王アイツを眠らせて放置しておけば、オレたちに敵わねえと悟ったオマエらが、横着して『頭』を叩くだろうってのは予想できたからな。あえて魔王城はからっぽにしておいたし、結界もテメエら勇者だけが通れるようにしておいたんだよ、ボケが。――って、聞いちゃいねえか。もう聞ける状態でもねえだろ」


 トカゲの魔族。

 通称『カオスグループ』。

 三メートルもある彼は、身の丈以上の斧を肩に担ぎ、


「早々に魔王を殺して解決ってのは、楽観的な話だな。頭を失って止まるオレたちじゃあ、ねえ――こっからが本番だ。残党、って言い方は好きじゃねえが、特定の頭を持たねえオレたちは個人で好きなことをしてテメエらを蹂躙するぜ。統率は取れてねえが、だからって脅威が下がったと思われたら心外だな――。個人で結果を残せるのが、オレたち魔族なんだよ。震えて生きろ、怯えて眠れ、ニンゲン共」


 勇者と魔王の戦いは、勇者と残党の戦いへ、移行する――。



 ―― 完/しかし戦争はつづく…… ――

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ターン・テーブル 渡貫とゐち @josho

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