仕事

無為憂

 

 1999年生まれ。岩手県出身。埼玉県在住。2019年に「さよならの時を越えて」で優秀賞&審査員特別賞を受賞し、デビュー。幼い頃から現実が嫌いで、フィクションを好んでいた。『シャボン玉のように誰かに知られた後、泡のように誰にも知らない形で死んでいきたい』を目標にしている。その性格は作風にも及んでおり、二作目の「終わりの味を知らない。」は卓越した感性と当時の作者の言動から話題になる。代表作は、「汚さないで」「痛みを知れ、リッカ」。リッカに関して、著者はこれで最後の作品になるかもしれないというコメントを残している。葎花がはじめて一万円札を手にしたのはいつの頃だろうか。

 今では触れない日はないほど、その指紋が擦り切れてなくなるほど札束を擦っている。

 葎花は正規の仕事に就いていない。しかし、彼女は稼ぐ手段を持っており、それをなにおり天職だと思っている。大学を出てから三年目だが、これで生活が回っている。日に二人の相手をし、二十人ほどと連絡をとっている。そんな日常を彼女は、苦労だとも思っていない。

「だって、私はプラスな存在になりたいだけだから」

 辛くなる時、彼女はそれをお守りのように唱える。

 十四時からの約束のために彼女は家を出た。明日のパパとのデートのために今日は軽く済ましたかった。十四時に約束したパパとは、初回で顔合わせだけだから、一時間程度に抑えられるだろう。そして今日の夜はゆっくりと夕食をとればいい。

 葎花にとって、人を切る、ということはあまりしたくないことだった。金を出来るだけむしりとりたいし、葎花にはそれが出来る能力があるし、人との出会いを大切にしたい分、切る時の痛みは人一倍感じるからだ。 

(傲慢かな)

 葎花は笑うように、心の中で呟いた。嘲笑うと、墨汁が和紙に広がっていく時のような行き場のない感触を覚える。

 約束の場所であるカフェへは、五、六分ほど遅れて着いた。本当に来るのか来ないか、そわそわして楽しんでほしいという気持ちが葎花には多少なりともあり、そして女の子は遅れてくるべきという価値観が彼女には常識としてあるからだ。

 その人は、本を読んでいた──。葎花が待ち合わせ場所に来た時、目が合わない人物などいないはずだった。それは、主観的な評価でも、客観的な評価でも、同じく。彼女には誰しも一度は見てしまう魅力がある。

「佐伯さん」

 だから、葎花が先に相手の名前を呼ぶのは初めてだった。それも、店に入ってから相当遅れて。探すことをしていなかったから。

 顔合わせの今日のパパは、その相手は、自分が名前を呼ばれたことに気づいていなかったのか、本から顔を上げることはなかった。それとも上げる必要がない、と思われたのか。どちらにせよ、葎花にはそれが不服だった。地雷パパだと察した。

「佐伯さん。葎花です、はじめまして」

 葎花は席に着いて、パパに挨拶をする。とびっきりの愛嬌を振る舞うと、嘘くささでパパは冷めてしまう。葎花とパパの間に気持ちを作ることが、顔合わせの役目であり、大事だと考えている。だがしかし、敬意とマナーは大事だ。切ることも大事だが、今日の分のお手当をもらう前に、帰ることは出来ない。

「どうも」

 栞を挟んで、本を閉じる。ワンテンポ遅い動作だと思った。

「今日は天気がいいですね。あ、遅れてごめんなさい」

「それは別に」

 そう言うと、パパはカバンから何かを取り出した。一通の封筒を机に出す。葎花にはそれが何を意味しているのかおおよそ理解できたが、何か他に意図があるかもしれない、と考えをワンテンポ置いて待った。

「これ、気持ちです」

 葎花は中身を確認する。確認するまで、確定しないからだ。

「こんなのもらえないです。それにまだ早いっていうか」

 およそ一回で貰える額ではなかった。なぜいきなりそんな額を? 札が十枚ほど入っていた。

 この人の考えが読めない。葎花はある程度の認識で、この仕事をサービス業だと思っている。自分がサービスしている感覚があるからこそ、満足して受け取れるし、貰うのがそれに満たない金額だと、やる気を無くす。絞り尽くせたとわかれば、そこですぐに切る。

 しかし、会ってすぐにこの金額はバグだ。常識がないというか、モノの価値を知らないと言うか。葎花はそう思って、失笑した。

「面白い方ですね、佐伯さんは」

「どういうことですか、それは」

「言葉のままです。不思議な方だなと」

 佐伯は、メガネをかけている理知的な男性だ。二十歳を超えた大人であるはずだが、一見それを覆すほどの若々しさを感じた。もしかしたら葎花より若いかもしれない。しかし、それら全ては作られた感じのするものだった。

「金額は、正直、気持ちというより、短い関係になるから、というものです」

 葎花は頷いて先を促した。

「短い間でしか、お金を渡せないので、その分多めに出してあります」

「そうですか」

 少し、残念だった、と葎花は思う。地雷パパと太パパの境界線を行き来していた佐伯は、確かに太パパであることはわかったけれど、時間制限付きのものだったからだ。

(やっとサイクルが整ってきたのに。この人が抜けたらまた調整しないとか……)

「気にしないでください。その分、楽しみましょう。会えるだけ会いましょう」

 慰めようとそう言ったが、気落ちしている様子は微塵もなかった。最初からそういう気だからだろう。

「無理しないでください」

「そんなことはないですよ」

 この時ばかりは、自分の張り付けた笑顔が嫌になった。普段、葎花はそういう邪魔くさい演技はしない。愛嬌と言い換えることも出来るが、その手の気遣いは、心の機微に聡い人は、すぐ気づいてしまうからだ。何より、葎花自身が疲れるというのもある。葎花にとって、この仕事は天職であるから笑顔を貼り付ける必要もない。ただ、楽しめばいい。

 しかし、顔合わせは少しばかり状況が違う。お互いがお互いを知らないし、初対面だから何より他人だ。他人と他人が知り合うのは、疲れる。笑顔も自然と張り付く。

 それから、何度か会話を重ねた。葎花にとって、相手を計り知れない、というのは疲れることだった。大抵のパパは、葎花のことを知ろうと会話を繋げようとするが、佐伯にはそれがなかった。葎花の後ろの部分を知ろうとしているようだった。それが怖くもあり、そういう人間なのだと解釈できる材料でもあった。

「そろそろ時間ですね」一時間ほど経って、頼んだ飲み物が両方とも空になった時、葎花はそう切り出した。「結構話しましたね」

 なんだかんだ言って、会話が途切れることはなかった。謎が多いパパだが、今後トラブルがなければいいと葎花は願う。

「実は、騙していたことがあるんです」

 そう言って、佐伯はバッグを漁って、質感のある万年筆とノートパッドを取り出した。

『佐伯がその後に続けたのは、「これは私からしたらパパ活などではなく、ただの取材になるんです。先ほど想定よりお渡したお金が多かったのは、そこに取材の協力費があったからです。もう会っても二回かそこらでしょう」さらさらと走り書きで、しかし読める字で、佐伯はそれを書くと葎花に渡した。

 葎花は「はあ、そうですか、」と謎が解けて満足したのか不服だったのかわからないような表情をした。

「このことは他言無用でお願いします」

 念を押すように佐伯は言う。

「大丈夫ですよ、私も人に話せるような仕事はしていませんし」

 とても冷めた目で葎花はそう言い、カフェを後にした。後からLINEを交換するのを忘れたことを後悔したが、過ぎたことはもう遅いと言い聞かせた。』

 それを書き終えたころ、店内にいる客は佐伯ぐらいのものだった。

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仕事 無為憂 @Pman

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