終わり方を知らない終わり

無為憂

 

「あんたも混ざるか?」

 二十代後半の酔っ払った男は、廊下にいるベッキーに対して部屋から明かりの漏れる空間を広げて、中に入れるように示した。ベッキーの計画的な行動については気づいていないようだった。

「知らない存在を上げて大丈夫なのか?」

「そんなんどうでもいいさ。酒を飲める人間が一人増えれば、それでいい」

「それじゃあ失礼する」

 部屋には卓の上に散乱した缶ビールと焼酎、お猪口、頼んだ食べ物やタバコの吸い殻が散乱していた。この男たちの理性を除いた全てがここにある気がした。

 部屋の隅では、畳の上で寝転んでいる男がいる。すやすやと寝息を立てて、酔いの回った顔を天井に向けていた。

 もう一人、女がいる。酔ってはいるが、男二人ほど潰れているようには見えなかった。

 計三名。今回のベッキーの判別対象たちだ。

「ほら兄さん、早く呑みな」

 早速、部屋を通した男にお猪口を差し出される。

「いや、私は……」

 男の手を断り、ベッキーは缶ビールを手に取った。プルタブを開けて、ボディに支障がない程度に呑んだ。

「そうか」

 納得したように男は日本酒を呑む。

「俺は良樹。そこで寝ているやつはタツ、」

「私は沙恵」

「なんだよ、俺が紹介してやってんのに」

「自分の名ぐらい自分で名乗れるわ」

「まあまあ。紹介ありがとう。私はナギ。急な参入なのにすまない」

 ナギは偽名だ。ベッキーは仕事に入る時にこの名前を使うことが多い。

 ベッキーの仕事を一言で説明するなら、それは「逆チューリングテスト」だろう。端的に言って、ベッキーは自律思考AIであり、良樹や沙恵は人間である可能性が高い。可能性が高い、という説明に留めているのは、「人間だ」と言い切れるようにするのがベッキーの仕事であり人間を確認することがこの仕事の目的だからだ。

 技術の飛躍的な進歩により、AIは急造に急増を重ね、莫大な人口に至った。

 仕事の九割九分を肩代わりし、ヒトを「ヒト」たらしめるものを奪っていった。

 それにより人間の人口はこの国の一割ほどになり、人に紛れるAIのお陰で「判別」が必要になった。判別と保護、もとい庇護。

 社会に埋もれた彼らを救うために、判別官は存在する。生かすために、守るために。

 ベッキー─ナギ─は、思考する。その思考の先に何を願うのか、ベッキーの願いはいつだってひとつだけだった。

「そんな急いで呑んだら体に毒ですよ」

 ナギは先制を決め、続く良樹の言葉を伺った。彼らは何に囚われているのか、それを知りたい。

「いいんだ、さいごだから」

「さいご?」

 さいご、とは。それが最期であってほしくはない。

「タツ、ほら起きろ。やるんだろ」

 お猪口に溜まっていた酒を飲み干してから良樹は言った。

「お前が寝たままだと日が出ちまうよ」

 良樹はナギの方を見た。ナギも目を逸らさず、良樹の言葉を待った。

「今のこの国じゃあ、人間が生きていくのは辛いからな。ま、どこも一緒か」

 ははは、と諦めたように良樹は笑った。酒が入っているのに、素面の時に出る人間らしい笑い方だった。そして大きな笑いだった。

 その笑い声で、頭を押さえながらタツが起き上がった。

「俺、いつの間に寝てた? 頭いてえ」

「十分ぐらい前だよ。ほらお前がやるって言ったんだろ? 女体盛り」

 良樹はタツの方を見るでもなくホッケを口に運んだ。

「女体盛り⁉︎」

 激しく反応したのはナギの方だった。

「何驚いてんだよ、ナギさん、思いのほかウブだったんだな」

「いえ、そういうわけでは……まさかそう言う場に出くわすとは思ってもなくて」

 ナギは中性的な見た目で作られている。今日は男寄りの格好をしているから、男で見られているだけだ。

「よし、じゃあちょっとのけるか。手伝え、タツ」

 卓に並べられた料理と酒をどかして、人一人寝られるスペースを作った。

「じゃあどうする。店の人呼ぶか」

 女体盛りの文化、というかサービスはまだひっそりと残っていた。彼らが明日も生きてくれるなら、なにをしようと構わない。ナギはそう思う。

「いいよ、私やるよ。店の人間、って言ったって人間かどうかわからない。どうせ人間なんて出てこないよ」

 言って、沙恵が服を脱ぎ始める。仕事とはいえ、ナギは申し訳なさを感じ始めていた。人間であるフリをして溶け込むのは、心が痛む。とくに、終わりを見据えている人間の隣では。

 毛穴のある沙恵の肌を見て、ナギは判別官の仕事を思い出した。確かに沙恵は人間で、その体は美しかった。いくら進歩したとは言え、人肌のレベルに人口肌は達していない。

「よし、ちょっくらラップもらってくる」

 良樹がふらふらと部屋の外に出ていった。

「どうして、どうしてこんなことを?」

 ナギの独り言だった。漏れていたと気づいた時には、タツが拾っていた。

「アタマを空っぽにするんだよ。もうわけがわからないくらい空っぽにして、自分が何を考えてるのか、なんで生きてるのかも忘れるぐらいに。それでやっと少し救われるんだ。窮屈な世界を感じなくなるんだ。だから、意味のないことも少しはできちまうんだよ。生まれも分からない孤児なんて、その程度の存在さ。女体盛りなんて、余興に過ぎない」

 タツが感傷に浸って文句を垂れていると、良樹が戻ってきた。やるか、の一言で全てが整う。

「おい、沙恵、動くなよ」

「無理言うなって。私初めてだぞ」

 彼女の裸には、造りが良樹の雑な盛り方によって載せられていた。彼女の恥部は上手く隠せているが、それ以外は、とくに鳩尾のあたりにはぽっかりと空いていた。

「酒がうまいな」

 良樹がそう言うと、「最悪だよ」と絞った声で沙恵が言った。

「……どうだ、ナギ、俺たちは人間らしいか?」

「え?」

 タツの全てを見透かしたような発言に、ナギはたじろぐ。沙恵は二人にバレないように、密かにマグロを食んでいる。

「それだよ」

 指摘され、ナギははじめて自分の失態を認識した。胸に判別官であることを示す徽章がつけっぱなしだった。

「ほんとに気づいてなかったのか?」

 馬鹿にしたように良樹が笑う。彼は最後の酒を飲み干した。

「や、それは……」

 しどろもどろになるも言い訳が一切思いつかない。そもそも言い訳する必要なんてないのだから。彼らは最初からベッキーを判別官と知って迎えてくれた。

「これから死ぬって言う人間に勿体無いよな、判別官なんて」

「あなた達を生かすために、私がいるんですよ!」

 ベッキーは本音を告げるために声を荒げた。

「いいよいいよ、そういうの。もううんざりなんだよ、環境が、世界が」

「そういうことだよ、ナギ。良樹の言う通り。俺らはAIに乗っ取られた世界が嫌なんだ」

「現にこうして説得に来ているのは同胞じゃない」

 しんみりとした口調で、沙恵が言う。彼女の体に載せられていた料理はいつの間にか消え失せていて、沙恵はラップをとってベッキーと向き合った。

 沙恵の裸体を見ながら、ベッキーは言われたことに打ちのめされていた。

「……私が報告すれば、私が御三方のIDを登録すれば、まともな保障が受けられるんですよ? 無理な生活をすることはなくなるんです。人間のかわりである私たちがめんどうな仕事は全部引き受けますから」

 三人はそれぞれ顔を見合わせた。

「そうじゃねえんだよなあ」ポリポリと頭を描きながら良樹は言った。「そうじゃない」

 ベッキーは諦めに近い感情を覚えた。あがいても分かり合えない境界線があるのだと知った。

「じゃあな。俺たちは海の方でも行くから」

 ベッキーを背に、三人は部屋から出ていった。

 今日の一件を報告すれば、ベッキーの成績は悪くなるだろう。

 しかし、無理を言って止める気は、もうベッキーには起きなかった。

 歪んだ言い方をすれば、AIは人間を見捨てたのだ。


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