魔法をかけたくて

リウクス

魔法にかけられて

 昼休み、オフィス街の通り。

 一人の魔法使いが長いスカートを小さく揺らしながら散歩をしている。

 街路樹の隙間から金色の光が差し込んで、彼女は眩しさに目を伏せる。

 視線が低くなると、3人の小学生が視界に入った。みんな傘を持っていた。

 銀色の舗道に映えるピンク、青、黄色。


 2、3年生くらいかな。そういえば今朝は雨が降っていたっけ。


 魔法使いは、なんとなく、その女の子たちが気になった。

 長靴が水たまりの上を跳ねて、水滴と笑顔が輝いていた。

 穏やかな風が彼女たちの耳を掠めて、柔らかい髪がなびく。「涼しいね」と弾んだ声。


 若いなあ。私もまだ若者ではあるけれど。


 25歳。新卒で魔法使いになった彼女は、十数年前の自分に思いを馳せた。あの頃は楽しかったと、月並みに懐古しながら。


 少し歩くと、一人の女の子が傘を差し始めた。雨は降っていないのに。

 彼女はその傘を頭の上で閉じ、小間で顔を覆うようにしていた。石突から露先まで、小さな体がすっぽりとおさまっている。なんだかからかさ小僧みたいだ。

 それから、くるくると中棒を回すと、透明窓が正面に来たところで、ピタッと止めた。

 ピザをひとかけら切り取ったような小窓から、うっすらと幼い顔が覗く。


 一体何をしているのだろう。


 すると、その子に続くようにして、他の女の子たちも、同じことをした。

 透明なビニールの奥で、三日月みたいに上がった口角だけが見える。それから、少しこもった笑い声。悪戯っぽい足取り。

 オフィス街に突如現れたちびっ子お化けが三体、木漏れ日の中を闊歩する。その荒唐無稽な見た目に、通りゆく人々はみんな薄笑いを浮かべていた。


 そんな光景を前に、魔法使いは考える。

 あの小窓からは、どんな景色が見えるのだろう。私はそれがいつから見えなくなったのだろう、と。


 昔は何をするにしても、何も考えていなかった。思うままに、好きなように、やりたいことをやっていた。たとえそれが何の意味をもたらさなかったとしても、何か意味があるような気がして。

 ただ、笑っていられたら、それでよかった。


 それから魔法使いは、自分が持つ魔法の力について思案した。


 私は、この十数年で、魔法を身につけることができた。子どもの頃の自分には決して使えなかった、大きな魔法。高校や大学にも通って身につけた魔法。

 けれど、それは何のための魔法だったんだっけ。どうして魔法を学ぼうとしたんだっけ。

 好きだから、その魔法を使って仕事をしていたはずなのに、ワクワクしないのはなんでなんだろう。


 幼いお化けたちには、きっと何の魔法も使えない。なのに、あの傘の小窓からは多分、魔法みたいな景色が見えている。

 それは一体どうしてだろう。


 魔法使いは頭を悩ませた。大人になって見えるものが変わったとか、それだけなのだろうか。

 どんどん視界が狭まって、その端っこで女の子たちが消えていくような感覚がした。


 しかし、そうして世界が濁っていく一瞬、彼女の眼中に何かが止まった。


 あれは——


 3人の女の子たちが一斉に傘を開く。

 弾け飛んだ雨粒が日光を反射して煌めく。


 ——透明窓を除く7枚の小間に描かれた模様は、有名な魔法少女アニメの変身アイテムだった。


 ……そうだ、そうだった。


 魔法使いは少しずつ思い出す。


 子どもの頃、日曜日の朝、早起きしてアニメを見ていた。そのアニメに出てくるキャラクターはみんなキラキラしていて、輝いていて、私もあんなふうになりたいと思ったんだ。

 それから何年か経って、魔法少女にはなれないことを知った私は、せめて子どもたちに夢を与える魔法使いになりたいと思い、絵の描き方や物語の作り方を勉強して、ありとあらゆるクリエイターを目指した。

 小説家、漫画家、絵本作家、イラストレーター……

 結局、どれにもなれなかったけれど、幸い、中小企業でシナリオライターとして雇ってもらえることになった。ただ、自分の描きたいものは書けなくて、言われた通りの世界観で、言われた通りのキャラクターで、言われた通りの展開で物語を書き続けた。


 魔法を使えても、いつからか誰のための魔法か分からなくなって、ターゲット層という言葉もただの記号になっていた。


 けれど、たった今、思い出した。

 魔法にかけられた女の子たちを見て、私が魔法使いを志したそのきっかけを。


 私は、あの子たちみたいな子どもたちに夢を与えたくて魔法使いになったんだ。


 視界が一歩ずつ拓けて、摩天楼の隙間に青空が伸びていた。

 視線が高くなると、陽の光が眩しくて、彼女は苦笑した。


 私も、小窓のついた傘を買ってみようかな。


 お化けたち、もとい魔法少女を追い越すと、彼女は長いスカートを大きく揺らしながら仕事に戻るのであった。

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