第5話

 懇親会の部屋を出たアリア様は真っ直ぐ裏庭の方へと向かう。少し離れて後を追う僕には気づいていないようだ。

 足早に歩いていく彼女は人目につきにくい奥まったベンチに腰を下ろすと、天を仰いでため息をついた。


「……本っ当にもう……フラグを立てないために婚約を先にしてもらったのに……これだから俺様キャラは嫌いなのよ……」

 先程までとは違い、ぶっきらぼうに呟くアリア様。こっちが素なんだろうな。……しかし、フラグとか俺様キャラって何の事だろう?

 独り言を不思議に思いつつ、サルガス皇太子とのやりとりで落ち込んだ様子はないのでホッとする。

 フォローの必要はなさそうだし、少しこのまま隠れて見ていようかな。アリア様の違う一面が見れそうだし。

 継続して気づかれないように身を隠しつつ、僕はアリア様を観察する。


 彼女は顔を空に向けたまま独り言を続けていた。

「サルガスの性格は判ってたけど、実際されると鳥肌ものね……。サルガスファンの気がしれないわ……」

 隣国の皇太子をまさかの呼び捨て。

 ……近くに誰もいないよな? 流石に誰かに聞かれると色々問題になりそうだ。

 そう思って周囲を確認したが、人の気配は自分とアリア様以外にない。胸を撫で下ろす僕にはお構いなしにアリア様のぼやきは続く。

「……でも攻略対象が皆声かけてくるとは思わなかった……イベントを起こさなきゃ会えないキャラもいたのにな……え?」

 ぼそぼそと呟いていたアリア様は不意に眉をひそめた後、表情を変えてベンチから勢いよく立ち上がった。


「私のせい⁉ ……あ、何。ベテル様と婚約したから開放条件を満たしたって事? それなら私がこれ以上フラグ立てなきゃ大丈夫かな……後はシリウス君の周囲に気をつけて二年を無事に過ごせれば安心できるわ……何よ、良いじゃない。召喚時の契約通り国の内乱を治めたんだから、その後は好きに動いて良いって約束でしょ?」

 再びベンチに座り直し、空を見上げながら誰かと話しているアリア様。ただ、その視線の先には空しかなく……申し訳ないが、怪しい人物にしか見えない。

 自分の名前が出たのも気になるし、誰かに見られるとアリア様の変な噂も流れそうだし……そろそろ声をかけようかな。


「アリア様」

 僕は隠れるのを止め、アリア様の前に姿を見せる。

 突然現れた僕にアリア様はギョッとした顔をして──わたわたしながらベンチから立ち上がった。

「シ、シリウス君! 何でここに……」

 ものすごく慌てた様子で僕に問いかけをしようとして。ハッと我に返り咳払いをひとつ。

「……シリウス様、いつからいらっしゃいましたか?」

 今更取り繕っても遅いけど。と思いながら僕はにっこりと笑う。

「言葉の意味は判りませんが、フラグだとか俺様キャラがどうだとかの辺りから」

「ですよね! 最初からですよね! そんな気はしてました! お約束ですよね!」

 若干やけになったように早口で話すアリア様、面白いなぁ。

 ……まぁ、やっぱり何を言っているのかよく判らないけど。約束ってなんだろう。した覚えないけどなぁ。


 黙ってアリア様を見ていた僕だが、彼女はこの後学院長に呼ばれていたはずだ。あまり長話する訳にもいかないだろう。

「何も言わずに見ていた事は謝罪します。申し訳ありません。リゲル様の指示で後を追いかけさせて頂きました。……お声がけをしようかとも思いましたが、どなたかと話しているようだったので様子を見ておりました」

「…………」

 すらすらと弁解を述べる僕をアリア様はじっと見ている。

 ……まぁ、嘘ではないし。

 微笑みを張り付けて言葉を返すと、彼女はふっと上空に目線を動かし──それから、小さく息を吐いてからこちらに向き直った。


「……いえ、気付かずに気を抜いていた私にも問題はありましたし……その、おかしな誤解をされたくはないので弁解だけしておきます。……ドラーガナ、悪いけれど可視化してちょうだい」

 アリア様が上を見ながらそう言って。

 しばし間を置き、彼女の右上がゆらりと歪んで──……そして、小型のドラゴンが姿を現した。


 透き通るような水色の鱗。

 時折羽ばたく翼は水面の様に陽の光を反射してキラキラしている。

 ……間違いない。

 聖女が使役するという聖獣—水龍だ。

 噂話でしか聞いていなかったが、その美しさに僕はゴクリと息を呑んだ。


『……間抜けじゃな、アリア。そこの小僧から見れば独りでブツブツ呟いている怪しい女子おなごだったろうて。そうじゃろ? 小僧や』

 水龍の声は見た目の美しさから想像出来ない、低くて渋いものだった。

 そのギャップもさながら、いきなり声をかけられたものだから僕は声をつまらせてしまう。そんな僕を見て水龍はカラカラと声を上げて笑った。

『いい反応じゃ! ベテルは儂を見ても平然としていて詰まらんかったからの。うむ、矢張り人間は儂をもっと畏れ敬うべきじゃ』

 うんうんと頷きながら満足そうにしている水龍。……想像していた神聖な聖獣とはちょっと違うな……。


 そう思っていたのが伝わったのか、アリア様が半ば呆れ気味に息をついた。

「ドラーガナ、もう姿を消してもらって大丈夫よ。後は私が説明するから」

『む、相変わらずアリアはせっかちじゃな』

 ドラーガナと呼ばれた水龍は若干不服そうにしながら、僕の方に向き直る。

『もう少し面を合わせて話したいところじゃがの。アリアの言う事も聞かねばこやつ、すぐに拗ねてしまうのでな。儂はいつでもアリアの近くに居る。また機会があれば話そうぞ』

「ドラーガナ」

 圧が強くなったアリア様の声を聞き、ドラーガナは『おぉ、怖い怖い』と言いながら姿を消した。……まぁ、見えなくなっただけで同じ場所にいるのだろうけど。

 はぁ、と大きくため息をついた後、彼女はこちらに頭を下げてきた。


「お恥ずかしいところをお見せしまして申し訳ありません。一人で話していたのではない事は判って頂けたかと思いますが……出来れば、先程の姿はシリウス様の胸の内に仕舞っていただけると有難いです」

 彼女にしてみれば立場上毅然とした態度を意識しているはずだから、さっきみたいな姿を他者に見せる訳にはいかないのだろう。……人の前では聖女であろうと頑張ってるんだろうな。

 何となく親近感を覚え、僕は自分の表情が緩むのを感じた。

 それを見たアリア様が驚いた様に目を瞬かせる。……おっと、流石にちょっと聖女様に対して失礼だったか。


 ……でもまぁ、学院の中でも一人くらい彼女が気を抜ける相手がいてもいいんじゃないかな? 自分がその相手になるというのは少し驕っているかもしれないけれど、偶然とはいえ見てしまったし。

 僕は考えをまとめてアリア様に顔を向ける。


「先程の事は誰かに話すつもりはありませんが、学院にいる間ずっと気を張るのはお疲れになるでしょう。気を抜きたい時はどうぞお声がけください」

「……え……」

 その言葉に彼女は声をつまらせてこちらを見た。

「もちろんアリア様が宜しければ、です。……実のところ、僕も立場上リゲル様以外に気を許せる方がいませんので。そういった相手が増えるのはこちらとしても助かるのです」

「…………」

 アリア様は口を閉じて僕をじっと見ている。

 こちらの事情を判っている彼女だ。気遣い半分くらいに思われているだろうけど、僕の言い分も理解出来るはずだ。


 しばし考え込んだ様子だったが、不意に斜め上を見上げる。……ドラーガナが何か言っているのかな。

 アリア様は「な!」と短く声を上げ──それからハッとこちらを見て、咳払いをしてから向き直った。


「……判りました。では、何かあった時は宜しくお願い致します」

 そう言って彼女は頭を下げる。

 良かった。こちらとしても有事の保険は多い方がいい。……学院生活の中で二〜三人、信用出来る人間が見つかれば良かったが、国を救った聖女……しかも現国王に認められた婚約者であればこれ以上ない程頼もしい。

 ……これで仮に僕に何かあっても、リゲル様の事を頼める人が一人出来た。

 僕はホッと息をつく。

 安堵の気持ちから自然と笑みが浮かぶのを感じながら、アリア様へ顔を向けた。

「有難うございます。こちらこそ宜しくお願いします」


 その瞬間。


「うっ!」

 アリア様が胸を押さえてその場に膝をついて倒れた。

「だ、大丈夫ですか⁉」

 慌てて駆け寄り、体を支えながら声をかけるけれど、彼女は荒い息を吐きながら胸を押さえたまま。


「うぅ……推しの無邪気な笑顔とかいきなりくらうとツライ……何今の笑顔……死ぬかと思った……」

 ぼそぼそと呟いているアリア様。

 よく判らないが僕が笑ったのが原因みたいだ。笑顔で人を殺すようなスキルは持ってないはずなんだけど。

 よく判らないまま、とりあえず落ち着かせようと背中を擦る。ビクっと体を震わせ、彼女は僕の方を見て──そして。

「──あ、あわわ!」

 地面から飛び上がり、その勢いで僕から距離をとった。今の動き凄いな。中々の身体能力……。

 感心して彼女を見れば、その相手は顔を真っ赤にしながらあわあわしている。

「すすす、すみません! 何て言うか、推しにこんな──し、失礼します!」

 アリア様は何度も頭を下げ、くるりと踵を反して走り去っていく。ものすごく速い。流石は聖女……。

『すまんな、小僧』

 すでに遠くにあるアリア様の背中を見ていたが、上から降ってきた声に顔を上げる。そこには呆れの表情を浮かべたドラーガナがいた。

『アリアはたまにああやって暴走するでな。まぁ、今後も仲良くしてやってくれ』

 それだけ言って姿を消すドラーガナ。

 一人取り残された僕。


 ……そういや、召喚時の契約とか何とか言っていた事は聞けなかったな……。

 また今度聞いてみよう。

「……一旦戻るか」

 ポリポリと頭を掻いた後、まだやっているであろう懇親会の会場へ足を向けた。

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