吹奏楽部の父つぁん

宇部詠一

吹奏楽部の父つぁん

「なあ父つぁん、今度母さんをデートに誘うわ」

「おう、いいんじゃないか?」

 これは奇妙な家族の会話ではないし、俺と息子の会話でもない。俺はまだ高校生であり、話し相手も同級生だ。『父つぁん』というのは俺のあだ名であり、そう呼びかけたのは同じ吹奏楽部の堀越だ。パートリーダーの俺と同じくチューバを吹いており、その縁で休み時間でもよく話す。弁当を食っていたところ、唐突にそんな話を振られたのだ。

 以前から母さんが好きなのは見え見えだったが、他の連中のように他人の恋路をからかうのは嫌だったし、逆にあれこれ詮索するのも好まない。普段から見守り、相談されたら乗る程度の距離が俺は好きだ。

「けどお前、母さんの好みはわかってるのか」

「一応は」

「どこに誘うんだ?」

 堀越は俺でも知ってる少女漫画のタイトルを挙げた。映画化するそうだ。補足しておくが、堀越は実の母親とデートに行くつもりでもない。『母さん』というのはクラリネットのパートリーダーを務める赤根のあだ名だ。大体、男女混合の部活は妙なあだ名をつける奴らが多い。顔が四角いから『スクエア』とか、散髪に失敗したから『ニンジン』とか。

 ついでに、男女混合の部活は運が悪いと雰囲気がどこかチャラい。中学から吹奏楽を続けてきた俺だから高校も同じ部活を選んだが、そのあたりが不満ではある。

「いいんじゃないか? でも、なんでいちいち俺に報告するんだ? 中学以来の親友への義理立てか?」

「うぬぼれるな。……でも正直なところ、映画のチョイスに自信がない。だから次のパートリーダーのミーティングで、それとなく探ってくれないか」

「報酬は?」

「菓子パン三つおごる」

 俺は笑った。

「冗談だ。何もおごらなくてもいいから、結果だけ教えてくれ」

「ありがとう、恩に着る」

 堀越は俺に向かって拝んだ。俺はうなずき、音楽室に向かう。ミーティングは放課後だが、できるだけ楽器は触っていたい。部室からは昼休みに練習をしているメンバーの演奏が聞こえてくる。高校野球のあの曲だ。


 放課後のミーティングが終わってから俺はもう少し楽器を触っていた。赤根もそうだった。

 一息ついたタイミングを見計らって、例の映画に興味があるかどうかをさりげなく聞いてみた。行くのを楽しみにしているそうだ。俺は安心し、その旨を堀越に送った。満面の笑みのスタンプが戻ってくる。

「でも、父つぁんが少女漫画に興味があるなんて知らなかったよ」

「彼女に薦められてるんだよ。正直全然読んだことないから」

「ぜひぜひ。読んでみて」

「ああ」

 俺は堀越が来るまで赤根を引き留めていなければならず、だから不自然な会話を赤根と続けている。赤根との共通の話題はほとんどなく、部活に関する事務連絡くらいだ。

「ところで父つぁん?」

「なんだよ母さん」

「なんで『父つぁん』ってあだ名なの? 別にそこまでおっさん顔じゃないよね?」

 どういう意味だ。ちなみに俺の部活でのあだ名は『父つぁん』だがクラスでは『ボス』だ。納得がいかない。そこまでいかつい顔じゃない。中学でも『父つぁん』だったが、これは堀越が中学から読んでたのが定着してしまったのだ。

「普通に名前が敏明だから?」

 俺はとりあえず首を縦に振る。

「でも、父つぁんと母さんだと夫婦みたいだねえ」

 赤根はにやにや笑っている。俺の気に食わないタイプの冗談だ。俺には香織という彼女がいる。そのくせうちの部活はチャラいので、後輩連中には俺の自称娘が長女から三女までいる。

「なんで私、母さんなんてあだ名がついたんだろうねえ。別におっぱい大きくないし」

「……」

「あ、照れた? 今父つぁん照れたでしょ?」

 うぜえ。しかし俺のむすっとした顔に構わず赤根は笑い続けている。

「父つぁんって結構ピュアだよね」

「知るか」

「彼女さんとどこまで行ったの?」

 やめろ!

「母さんの期待してるようなことは何もない」

「なーんだ」

 俺は部活のこういうノリが苦手だし、だから香織は小学生時代からの幼なじみだとは黙っている。バレたらどっちから告白したのか聞かれそうで面倒くさい。

「……というかお前のあだ名が母さんなの、普通に面倒見がいいからじゃないのか?」

「そうかなあ? あ、そういえば疲れてない? キャンディちょっと余ってるけど食べる? レモン味とミルク味どっちがいい?」

だからだよ。というか彼女について詮索してくるやりかたが俺の母さんそのものなんだよ。

「さっき菓子パン食ったからいいや」

「そっかー」

 入口に人の気配がした。堀越だった。赤根が俺の視線に誘導されるように堀越を見つけた。赤根が堀越に手を振ると、堀越は顔を真っ赤にして、ロボットみたいな動きで入ってきた。俺は邪魔なようだから帰ることにした。


「それで、結局その二人はつきあったんだ」

「ああ」

 数ヶ月後、宿題が終わったので香織は俺のベッドの上でごろごろしている。それからふと起き上がり、縁に腰かけた。

「それで敏明、部活やめたいって本当?」

「……誰から聞いた」

「ごめん! 担任の牧田先生にやめたいって相談してたよね? 敏明君すごく演奏がうまいのに、なにか人間関係のトラブルがあったんじゃないかって牧田先生がすごく心配してて、それで私に話しちゃったの。彼女なら何か知ってるんじゃないかって」

 おいおい。担任が生徒の秘密を漏らすのはまずいし、香織も聞きだすならもっと遠回しにやればいいのに。……とはいえ、そんな素直な香織だから付き合ってる面もある。

 香織に余計な心配はかけたくない。俺は香織の隣に腰かけた。

「別に吹奏楽が嫌いになったわけじゃない。大学でも続けたい。ただ、雰囲気がチャラいのに耐えられなくて」

「そうなの?」

「堀越って下の名前は正雄なんだけどさ」

「うん」

「最近やつのあだ名が『まお』になったんだ」

「それで?」

「『間男』の『まお』なんだよ」

「へっ?」

「『父つぁん』がいて『母さん』がいて、その彼氏だから『間男』。俺はこう言うのは嫌いだ」

「あー、それは私も嫌かも」

「だろ? たまに普通に他の連中が『おい! 間男』って呼ぶんだよ。しかも堀越のやつが赤根から『まおまお』と呼ばれるのを喜んでてな。見てらんないな。親友だが、ああいうやつだとは思わなかった」

「そっか……」

「聞いてくれてありがとう」

 俺は軽く香織をハグした。

「もう『父つぁん』ってあだ名も、部活を思い出して嫌?」

「わかんね。ずっとそう呼ばれてたから」

「でも、敏明のあだ名が『父つぁん』な理由を知ってるのが、この高校では私だけってのがなんだか嬉しいな」

 俺は苦笑する。

「あまり思い出したくないんだが」

「ごめんごめん」

 香織は声を上げて笑う。

「でも似てたよ、映画のルパンの物まね」

 俺の名前が父つぁんなのは敏明だからではない。小学生のころ、目立ちたがり屋だった俺はことあるごとに「不二子ちゃ~ん」とか「あばよ父つぁ~ん」とかやってたのだ。なんであだ名が「ルパン」にならなかったのかは謎だが、あだ名はそもそも不条理だ。

「もう絶対やらないからな」

「うん」

 それから香織の顔をまっすぐに見る。

「部活のことはもう少し考える。聞いてくれて本当にありがとうな」

「うん」

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