虚無の支配する教室

樹村 連

教室

 Aはほぼほぼ立方体に近い容積の室にいて、その部屋の前方の黒板の前に木偶の坊みたいに立っていた。教育実習の初日、自分と年齢も一回りと遠くない人間らを前にして彼は出鼻を挫かれた。自分の目の前の席にいる生徒が千羽鶴を折っておりそれがようやく999羽目に達しつつあることはいいにせよ、窓のすぐ近くにいる少女が授業のことなどそっちのけで電話帳を読み耽っていることにはAも突っ込まずにはいられなかった。

「あの、Bさん。あなたはそんなに私のする国語の授業が退屈なんですか?」

「もちろん退屈ですよ。退屈な授業なんてなんで受ける必要なんかあるんですか」

「そんなに電話帳を読みたいならいっそのこと教室から出て、私の視界に入らない所で読んだらどうですか」

「あ、ありがとうございます。じゃあ行ってきます」

 顔から汗を流すAと埴輪のような顔を浮かべている生徒らを尻目にBは消えた。生徒が1人欠落した。さっきの2人の押し問答で授業が一時中断され不穏な空気が流れていた。しかしそれがAにとっての教師になるための実践練習を無駄にするとも限らなかった。咳払い一つせずにAは授業を再開した。

「『る』と『ろ』がそっくりなのは、前者がくるりと曲がる包容的な先端を持つ一方で後者が尖った槍で武装している、つまり…」


 授業はまるで台風一過のように終わった。Bと千羽鶴を折っていた者以外の生徒は馬鹿みたいに号令をして締め括ったが少なくとも授業の内容を真に理解したものはいなかったであろう。千羽鶴は千羽、全て完成していた。誰に贈呈されるかは不明である。Aは教室からつかつかと去り、自身の落ち度はなんだったか反芻する。まるで目の前に強大な象がいて見下しているような気持ちだ。そして、意味のない言葉を羅列しただけの授業なる説教が如何に虚像であったかを示すアイロニーが残された。

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