陽が落ちるにつれて

 陽が落ちるにつれてぐっと寒くなってきた。

 イシュラーバードのとある裏通り。夕暮れの長い影を引きずって歩くローゼンヴァッフェは、小さな石造りの家屋の前で足を止めた。自分以外に人影のない隘路で、彼は古びた木の扉を拳で叩く。ややのあと、内側から鍵を外す音がして扉が少しだけ開いた。


「首尾は?」


 戸枠と扉の細い隙間から顔を覗かせたのはクリスピンだった。ローゼンヴァッフェは、彼を扉ごと押しのけて家のなかへ入った。


「渡りはつけた。おまえのことを疑っていたが、おれがうまく説き伏せた」

「恩着せがましく言うな。いつ会えるんだ」


 とクリスピン。


「明日。街の外れにある〈五頭竜〉亭という酒場で。連中の溜まり場だ、詳しい場所はあとで教えてやる」

「危険はないだろうな」

「知るか。おれが手を貸すのはここまでだ」


 ローゼンヴァッフェは奥へ歩きながら言い、狭い一室の隅にある長椅子に腰掛けた。クリスピンは腕を組んでその傍らに立つと、居丈高に錆色のローブを着た魔術師を見おろした。


「そうはいかん。明日は、おまえにも同行してもらう」

「なら追加料金をよこせ。タダ働きはせんぞ」


 ローゼンヴァッフェがクリスピンへ向けて掌を差し出す。


「守銭奴め。やはりおまえは信用ならん」

「おい、それが骨を折ってくれた相手に対する態度か」

「そもそも帝国出身の魔術師を信じようとしたわたしが、愚かだったのかもしれない」

「自尊心が高く、おまけに石頭。南方人はこれだから困る。どうりでおまえらの国では内乱などが起こるわけだ」

「なんだと……無礼討ちにされたいようだな!」


 クリスピンが室の壁に立てかけてあったオーリア国王騎士団のアーミングソードを手に取った。それを見たローゼンヴァッフェも、険しい表情で腰帯にある魔術の触媒を入れた小袋へさっと指をのばす。


「まあまあ、おふたりとも──」


 言ったのはハーマンだった。


「おかえりなさい、ローゼンヴァッフェさん。外は寒かったでしょう。あたたかいシチューをどうぞ」


 前掛けをしたオーリアの若い騎士候補が、台所から運んできた鉄鍋をテーブルへ置いた。鍋のなかで湯気を立てているのは羊肉とジャガイモ、そしてタマネギを使ったオーリアの煮込み料理である。室内に食欲をそそる匂いが漂う。険悪な雰囲気が、ふとやわらいだ。

 気が抜けたクリスピンは剣から手を放した。ローゼンヴァッフェのほうも、小さく悪態ついて食卓へと歩いてゆく。

 三人は食卓を囲んだ。夕食の献立はハーマン特製のシチューと、イシュラーバードの主食である穀粉のパン。あとは果物の乾物が少々。シチューは立麝香草と月桂樹の香料が効いており、素朴な味だった。


「芋が煮崩れしてるぞ」


 ひと口、シチューを食したローゼンヴァッフェが言う。


「そういう料理なんですよ」


 とハーマン。


「文句があるのなら食べなくていいんだぞ」


 静かに味わっていたクリスピンが、自分の正面に座っているローゼンヴァッフェへ叱言を投げつけた。

 むっとなるローゼンヴァッフェ。すると彼は、クリスピンが盛皿から取ろうとしていたパンをすばやく横取りし、口にくわえた。ふたりはそのまま睨み合う。

 まるで子どもである。ハーマンはあきれるばかりだ。クリスピンとローゼンヴァッフェは、最初に出会ったときからずっとこんな調子なのだ。

 たしかにローゼンヴァッフェは、うろんな人物ではあった。しかしイシュラーバードの裏事情に通じ、土地勘がある。もし協力を得られれば、ノア・デイモンの奪還を企てているクリスピンとハーマンにとって心強い味方となる。オーリア大使のカントーニが三人を引き合わせたのは、そうした意図があったためだろう。クリスピンの行動に理解を示したカントーニの支援はありがたかった。三人がいまいるこの隠れ家も、彼が用意してくれたものである。

 当初、ローゼンヴァッフェはふたりへ手を貸すのを渋っていた。カネをちらつかせるとすぐに態度をひるがえしたが。しかも相手の足下を見たローゼンヴァッフェは、法外な額を要求してきたのだ。実家の財力を持ってすればどうということはないものの、それがクリスピンがローゼンヴァッフェを快く思わない理由でもあった。

 だがなんにせよ、いちどは頓挫したかに思えたノアの救出に光明が見えてきた。それに際しクリスピンが立案した計画はこうだ。まずノアをマグナスレーベン帝国の強制収容所から救い出すには、警備隊の存在が大きな壁となる。少数で正面からぶつかるのは無謀といえた。そこでクリスピンはイシュラーバードで騒動を起こし、警備隊の目を惹きつける策を講じた。この地のドワーフ族が帝国の懐柔策によって手懐けられているのは、カントーニから聞いて知っていた。ところがローゼンヴァッフェによると、少数ながら帝国の存在をよしとしない者たちがいるらしい。ドワーフ族の若い世代がそれだ。反骨心と血気が盛んな彼らは、ありあまる活力のはけ口を求めている。クリスピンはそこに目をつけた。なんとか計画に引き込めれば、手勢を増やして事にあたれる。

 そしてつい先ほど、ローゼンヴァッフェは若いドワーフたちをまとめているリーダー格に、会談の約束を取りつけてきたところなのだった。


「えっと、でもローゼンヴァッフェさんのおかげで、なんとかなりそうですよね」


 またもや不穏となりかけたクリスピンとローゼンヴァッフェをなだめようと、ハーマンがそらぞらしく明るい声で言う。

 しかしローゼンヴァッフェは不興顔をして、


「そいつはまだわからんな。あのドワーフの悪ガキどもが、うまくこちらの話に乗ってくるかどうか」

「彼らが帝国に反感を抱いていると言ったのは、おまえだぞ」


 とクリスピン。


「事実そうだからな。とはいえ街にある帝国の総督府を襲撃するとなれば、一線を越える」

「強制収容所の警備隊をおびき出すにはそれしか方法がない」

「義理のない連中が、果たしてそこまでやると思うか」

「必要ならカネを支払ってもいい」

「気前のいいことだ。なら、せいぜいうまく交渉するんだな」

「言われずともそうする。任せておけ」


 盛皿からパンを取りあげたクリスピンは、大いに自信ありげだった。それへハーマンがうんうんと肯いて調子を合わせる。


「マスターは口がうまいですからね。特に女性を口説き落とす手管ときたら──」

「ハーマン、余計なことは言わなくてよいのだ」

「ああ、すみません。とにかくイシュラーバードの街で警備隊とドワーフが衝突すれば、収容所の守りが手薄になる。そのあいだに、ぼくらが向こうへ忍び込んでデイモン卿を救い出すわけですね」

「そういうことだ」


 と、ちぎったパンをシチューに浸しながらクリスピン。


「ま、うまくいったらお慰みだな」


 皮肉屋のローゼンヴァッフェはあくまで懐疑的だった。

 翌日、三人は日没後に〈五頭竜〉亭へ向かった。街の西端にその酒場はあった。こぢんまりとした建物。店の前では篝火が焚かれ、五つの頭を持つドラゴンを描いた看板が掛けられていたのですぐにわかった。

 店内へ入る。すると、なかにいたのは店主を含めて六人。全員がドワーフ族である。クリスピンたちが姿を現すと、いっせいに彼らからの視線が注がれた。


「よう。きたか、ヨアヒム」


 声をかけてきたのは、いちばん奥のテーブルにいるドワーフだった。三人は店内を進み、そちらへ歩いた。


「あんたがクリスピンか」


 若いドワーフ族ということだったが、クリスピンには人間よりも長命である亜人種の年齢をよく判別できない。髭面で、束ねた髪を幾本にも編んだ相手は、どう見てもクリスピン自身より年上としか見えなかった。


「そうだが、きみは?」

「おれはモサラってんだ」


 それを聞いて軽く会釈したクリスピンは、ちらりと店内を見渡す。


「心配するな。いまここにいるのはみんなおれの身内だ。まあ座りな」


 促されるまま、クリスピン以下の三人はモサラとおなじテーブルに着いた。


「なにか飲むかい」

「いや、けっこうだ」


 ドワーフ向けの作りなのだろう、やけに低い椅子に腰掛けたクリスピンは、かぶっていたマントのフードをおろして顔を露わにした。すると、


「やだ、いい男……」


 店のカウンターの止まり木にいる女ドワーフがそう言ったのが聞こえた。よく見れば、彼女はローゼンヴァッフェと顔見知りのササラである。

 モサラがテーブルにあったジョッキを取りあげ、真っ黒なエールをぐいと呷った。そうして、彼のほうから本題に入ってきた。


「で、ヨアヒムから聞いたが、なにかおれたちに耳寄りな話があるそうだな」

「その前にすまないが、こちら側の素性は伏せさせていただく。これは非合法なうえ、政治的な問題をはらんだ話し合いなのでね」

「へえ、そいつはやべえな」


 言って、モサラは口を真一文字に結んで両方の眉をあげた。しかし別段、驚いた様子もない。おどけて余裕を見せつけているようだ。

 イシュラーバードのドワーフ族は山ドワーフという種族である。ほかのドワーフに比べて特に勇猛で骨っぽく、気位が高い。ゆえに絶対に恥をかかせるなと、ローゼンヴァッフェから念を押されたのをクリスピンは思い出した。

 クリスピンは指を組んだ両手をテーブルにのせると、身を乗り出してわずかにモサラとの距離を縮めた。


「まず教えてほしい。仲間は全部で何人だ? きみは、何人ほど集めることができる?」


 するとモサラは虚空を見あげ、ちょっと考えたあと、


「そうだな、おれたちの仲間は、ざっと二〇人てとこか」

「ふむ。申し分ない」

「だろ? そんだけいりゃ、大概のことはできらあ。どっかの隊商でも襲ってほしいのかい」

「依頼は荒事にはちがいない。だが、わたしが望むのは略奪ではない。イシュラーバードの街で騒動を起こしてほしいだけだ」

「騒動って、どんな?」

「マグナスレーベン帝国の総督府を襲撃してほしい」

「ほう」


 モサラの目が、すっと細くなる。そこには、あきらかにさっきまでとは異なる光が宿ったのが見て取れた。


「ずいぶんとおもしろそうな話だな。どうしてその申し出をおれのところに持ってきたんだ」

「きみたちは、現在の帝国とイシュラーバード議会の関係に仮借ない立場をとっているそうだが」

「たしかにそうだ」

「ならば、われわれは同志だ。こちらも帝国の陣営がイシュラーバードにいては目障りなのだ。それが理由だ。引き受けてくれるなら、もちろん相応の報酬は支払う。必要な経費も請求していい」


 クリスピンは淡々と述べた。それを聞いて、モサラの近くに立っていたドワーフが彼に体を寄せて小さく耳打ちした。


「やろうぜモサラ。帝国の奴らの横暴は前から気に入らなかったじゃねえか。それにこの前だって、ササラがあいつらに──」

「うるせえ、おめえは口を閉じてろ!」


 一喝され、モサラの肩に手を置いていたドワーフは弾かれたように身を引いた。それからモサラはクリスピンに向き直ると、


「だったら、五〇〇万ドドルだな」

「オーリアの通貨に換算すると──ざっと三〇〇万オリオンか。わたしは相応の報酬を支払うと言ったはずだが。いささか欲をかきすぎではないかな」

「いいや、五〇〇が相応の額だ」

「ひとり頭一〇万として、経費込みで二五〇万ドドル。これが妥当に思える」

「危ない橋を渡るのはこっちだぜ。文句は言わせねえ」


 ふたりの視線がぶつかり、しばらく言葉のない交渉がつづいた。が、そのうちクリスピンのほうが、


「いいだろう。わたしは吝嗇家ではない。だが契約を結ぶ前に、きみがどれほどの男なのかを知りたい」


 クリスピンのもったいつけた表現にモサラは戸惑う。


「どうすれば証明できるってんだ」

「決まってるだろう。そいつを使ってきみの力量を測りたい」


 クリスピンはモサラの傍らに置いてあった手斧を指さした。

 闘争による問題解決は、最も原始的かつ明確な方法である。今度はモサラもすぐに察したようだ。


「わかった。場所を変えようぜ」


 皆は席を立ち、店の裏口に向かった。その途中、クリスピンは暖炉の炉辺にあった火かき棒を手に取った。軽く振って、具合を確かめる。


「亭主、こいつを借りるぞ。ここへは礼節をわきまえて丸腰できたのでな」


 まもなく全員が〈五頭竜〉亭の裏手に集まった。

 篝火と松明であたりが照らされる。当事者たちが輪になって見守るなか、モサラとクリスピンがその中心に進み出てきた。


「いうまでもなく一対一だ。敵わないと思ったほうが降参した時点で決着がつく。それでいいかな?」

「ああ、いいだろう」


 とモサラ。

 それからクリスピンは、思いもかけない行動に出た。彼はくるりと後ろを振り返ると、


「ハーマン、おまえが相手をして差しあげろ」


 ざわめきが起こる。誰もが驚いた。いちばんびっくりしたのは当のハーマンだったろう。いきなり名指しされた彼は、少しのあいだぽかんとしたあと、あわててクリスピンに駆け寄って火かき棒を受け取った。

 当然、モサラは憤慨した。クリスピンの従者と思しき、まだ少年のような若造と戦うよう仕向けられたのだ。コケにされたと思ったのも無理はない。


「てめえ、いったいどういうつもりだ!」


 火がついたように怒鳴るモサラ。対してクリスピンは涼しい顔である。


「ご覧のとおりだ。わたしが出るまでもない」

「なめやがって……おい小僧、命まで取るとは言わねえ。だが骨の二、三本は覚悟しておけよ」


 鼻息の荒いモサラは完全に頭に血がのぼっていた。

 さすがにローゼンヴァッフェもこの展開は予想していなかったようだ。彼はハーマンとモサラを残し、自分のところまで歩いてきたクリスピンの腕を取ると食ってかかった。


「ちょっと待て、なんだこれは!?」

「なにがだ」

「なにがって、あいつ大丈夫なのか。下手をすればケガじゃすまんぞ」

「案ずるな。見たところ、奴らは群れなければなにもできん連中だ。それにひきかえハーマンはわたしが目をかけ、常日ごろより鍛えている。野盗くずれの頭目など造作もない」

「ほんとかあ?」


 ローゼンヴァッフェは訝っていたが、まもなく彼はクリスピンの言葉が真実であるのを目にした。

 信仰に身も心も捧げ、神の爪牙となり、弱者を護るというのを名目に狂おしく殺戮を為す──それが騎士だ。彼らは恐れを知らず、敵とあらば容赦しない。純粋に敬神と博愛精神へ心酔する者ほど、その傾向が強い。ある種の異常。しかし、強固な信念を持つ完璧な戦士ともいえる。そうでもなければ、毎日のように人を殺すための訓練に明け暮れるなどできはしない。

 決闘がはじまる。が、それはまるで大人と子どもの喧嘩だった。

 ハーマンはクリスピン直伝の刺突剣術を使う。しなやかな足の運びで敵を翻弄し、致命的な一撃をくり出すのだ。モサラは火かき棒の先端で手を突かれ、鉤で足を引っかけられ、あやうく目玉をえぐられそうになった。


「ま、まいった!」


 地面に片膝を着いたモサラが武器を捨てて降参した。

 ローゼンヴァッフェは呆気にとられている。それを横目に見つつクリスピンが言った。


「動物の躾と同じだ。圧倒的な力量の差を見せつける──言葉の通じん相手を御するには、これがいちばんだ」

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