後輩はお嬢様

うたた寝

第1話


 名前は誰でも知っているような超有名企業にして、超一流企業。

 その社長の娘。つまり社長令嬢。俗に言うお嬢様。

 そんな存在はフィクションの存在だと彼は思っていた。

 いや、もちろん一流企業も存在すれば、社長も存在し、その社長の娘だって存在するわけだから、現実問題として社長令嬢のお嬢様というのは存在するのだろうが、彼はフィクションでしかお嬢様というものに触れたことは無かった。

 それもそのハズ。彼はいたって普通の平民。近所の小学校に通い、近所の中学校に進学し、公立の高校に進学し、公立の大学を受けて失敗し親に頭下げて私立の大学に行かせてもらったという、比較的あるあるの人間なのだ。

 お嬢様は多分公立の学校なんて行かないだろうし(偏見?)、幼稚園からエスカレーター式に上がっていく私立などに通われるのだろう(偏見?)。出会う機会があるとすれば私立の大学に行った時くらいのものだが、そんなお嬢様が通うような大学では無かった。学部の仲間がこぞって口にするのは『金ねー』という言葉。お嬢様はまず口にしない言葉だろう。

 お金持ちの子供、くらいには出会ったことがある。金銭感覚がちょっと緩いというか、校外学習で一緒に班行動になった時、切符の買い方が分からない、と言われ衝撃を受けたことがある。しかし、そのレベルでも、親がいい会社に勤めている、というレベルであった。その会社の社長の娘、『お嬢様』というレベルではない。

 こっちがフィクションなどの影響で勝手に『お嬢様』のハードルを上げているだけ、という可能性はある。前述の子も立派な『お嬢様』に属するのかもしれない。しかしやはりみんながイメージする『お嬢様』というのは、でっかい高層ビルに丸ごと会社が入っているような会社の社長の娘、ではないだろうか?

 そんなフィクションを基準に作られたようなイメージに当てはまる人物など、そうそう出会えるわけがない。居たとしても相当な希少種なのでそうそう身近に居るわけもない。それこそフィクションで主人公とヒロインがぶつかる壁のように、住む世界が違う、というやつだろう。

 雲の上の人どころか、下手すれば星の外の人である。たまーに下界に降りて来て地上に遊びに来ているところに出くわす、なんてことはあるかもしれないが、関わり合いになることなどまず無い。

 アイドルなんかと一緒。画面越しの生き物。出会うことなんてきっと一生無い。出会えない、という意味では、彼にとってはやはりフィクションと一緒なのだろう。

 そう思っていたのだが、

「あのぉ……、先輩……? ちょっと質問してもいいですか……?」

 申し訳無さそうにデスクの横に寄ってきた後輩。彼は作業の手を止めて背筋ピーンと伸ばして答える。

「は、はい。もちろんでございますですはい」

 どういうわけか、お嬢様が彼の後輩になった。



 彼の居る会社は従業員数も少なければ歴史も浅い会社。知名度もそれほど高いとは言い難い中小企業も中小企業。新卒採用もつい最近できたくらいの小さな会社である。

 そんな会社にどういうわけか、前述の社長令嬢様がご入社なさったのである。

 履歴書からでは分からなかったらしく、新人歓迎会の時、何気なく彼女のお父様の話になり、そこで社長令嬢であることが発覚した。

 全社員思った。何故うちなんかに? と。

 中小企業を否定するわけではない。少数の会社でも一流企業と呼ばれる企業はあろう。もしくは将来性のある事業を展開していて、後の大企業に、なんて企業もあろう。

 しかし、彼の会社はどちらにも当てはまらないだろう。後者の後に大企業、に関しては未来の話なのでどれほど可能性が低かろうが否定はしないが、前者に至っては全否定である。彼の会社は平々凡々の普通の会社。言い方はあれだが、明日倒産したところでニュースにもならなければ関連会社が巻き込まれて倒産なんてことにもならない。社員が路頭に迷う程度の影響だろう。

 では一方。このお嬢様のお父様の会社がどれくらいの会社かというと、倒産すれば速報のニュースが世界中に駆け巡り、世界経済に大打撃を与える程度の会社である。恐らくその年の就活は氷河期と言われることになるだろう。

 その社長の娘。つまり社長令嬢。俗に言うお嬢様。

 ゆくゆくは父親の会社を継ぐものと思われるのだが、特に継げとは言われていないとのことだった。また、継ぐにしても他社で社会人経験を積んでこい、というのが父親からの命令であったらしい。社会人経験も無い、社長の子供、というだけの人間が上に立っても誰も意見など聞かないとのことだった。

 意見としては分からんでもないが、社長なんだから意見の聞かない奴片っ端からクビにすればいいんじゃねーの? と彼なんかは思うのだが、フィクションの社長と違い、現実社会で社員をクビにするのは中々大変らしい。

 まぁ、クビ云々は冗談としても、社会人経験を積ませたいのであれば、自社で積ませてあげればいいような気がしないでもないが、自社以外の世界を見てこいということなのか、自分の力で内定を掴み取れ、ということなのか、お嬢様が一般の就活生と混じって普通に就活をなさっていたらしい。

 あー、それで就活に失敗してこんな中小企業しか受からなかったのね、とお思いだろうか? 彼も最初はそう思った。だが、聞くところによると、彼女、内定には困らなかったらしい。別に社長令嬢であることをひけらかしたわけではない。気付かなかった、といううちの人事や社長が無能なのかとも思っていたが、意外と同じ業界の人間でも無い限り、社長の娘のことなど把握していないものなのかもしれない。

 内定に困らなかったのは単純に彼女のスペックが高いのだろう。

 通っている大学の偏差値が高いから書類選考で落とされることなどまず無く、受け答えもしっかりしているから面接での印象も良かったのだろう。就活で散々苦労した彼とは雲泥の差である。

 みんなが第一志望に選ぶような大手企業からも数社内定を貰っていたようだが、なーにを血迷ったんだかとち狂ったんだか、名立たる企業の内定を蹴ってこんな中小企業にやってきたらしい。

 口に出したら彼女のじいや(居るのか知らないが、勝手に居る設定にしている)に射殺されそうだから口に出してはいないが、バカなのかな? と思う。月収が下手すれば3倍くらい違うのに。それとも大手企業を継ぐから規模の違う中小企業を見たかったのだろうか? だからと言って中小の中でも規模の小さい部類のうちじゃなくてもいいと思うが。親御さんとか止めなかったのだろうか? 彼が親であれば間違いなく止めるが。

 何だったら内定を出したハズのうちの会社の社長が入社を止めようとしたくらいである。バックに付いている親御さんが怖く、何か粗相でもしでかそうものなら会社が潰されると危惧しているのかもしれない。実際、多分それくらいの力はあるであろう。

「うちの会社、買収されるんじゃないですか?」

 飲み会の席で彼が冗談めかして言ってみたところ、

「嫌だなー。せっかく作った念願の自分の会社なのに……」

 と、割と本気で嘆いていた。が、三歩歩けば忘れるのか、開き直ったのか、飲み会の終盤ではお嬢様と肩を組んで酒を飲んでいた。お嬢様じゃなくてもセクハラでアウトじゃねーか? と彼は思い、後日社長が飛ばされて会社名が変わっているものかと思っていたのだが、特にそういう現象も起きなかった。お嬢様ゆえに寛大なお心をお持ちなのかもしれない。

 お嬢様、と聞くと、皆さんどういう人物を思い浮かべるだろうか?

 世間知らずの箱入り娘だろうか? 甘やかされて育ったワガママ娘だろうか?

 どちらも分かる。共感する。偏見です、と言われればそれまでだが、彼もそんなイメージを持っていた。

 実際に会ってみての彼の感想は、至って普通の人、という印象だった。高級ブランドに身を包んでいるわけでもなければ、世間知らずという感じもなく、ワガママな様子も無い。じいやに言いつけるわよ、とか言われるものかと思ってたがそれもない。

 本当に普通の女性、という感じだった。何だったら社長令嬢という話は嘘なのではないかと思うくらい、社長令嬢という印象を受けなかった。

 一方で、能力の高さは異様に高いな、という印象は受けた。英才教育でも受けて育ったのか、本人の努力の賜物か、理解能力が異様に高い。三か月かかるハズの研修を三日で終わらせ、既に実務に入っていることからも、その能力の高さは伺えよう。

 一応OJT担当になってこそ居るが、多分彼より仕事が既にできる。先ほど質問に来てはいたが、あれは会社内のルールに関する質問のため、知らなければ分からないものだから仕方が無い。それ以外の質問は来た覚えが無い。仕事がとにかく早くてそして正確。完璧と言って差し支えない。

 経験則の部分でやや彼の方が現段階では仕事ができている部分もあるが、経験則などやっていれば手に入るので、多分ものの半年もしないうちに完璧に抜かれるのではないかと思っている。経験則で優位を保っている辺り、能力面に関しては既に彼を超えていると言えよう。

 自分より能力の低い先輩社員を見て、嫌味の一個でも言われるものかと思っていたが、

「なるほど。ありがとうございます!」

 謙虚。ただただ謙虚。そして素直。見下してくる様子が微塵も無い。何か教えてあげれば笑顔で深々と頭を下げてくる。能力も高くて人柄もいいとか、これもこれでフィクションみたいな存在である。

 こういう人が上に立っている会社で働いている社員は幸せそうだな、と彼は何となく考えた。彼女が社長になった暁には先輩社員だったよしみで雇ってもらえないものだろうか? いや、自分の娘も会社で雇わなかったくらいだから難しいか。相応の実力が無ければ雇ってもらえなそうである。まぁ、当たり前の話ではあるが。

 彼女がお嬢様らしからぬ、床に膝を付いて立ち、彼の席にノートを置いて(立ったままメモが取れないらしい)貰った回答の内容をメモしているのを見ながら彼がそんなことを考えていると、お昼休みのチャイムが鳴った。彼女はメモから目を逸らして彼の方を見上げてくる。

「お昼ですね」

「ね」

「………………」

「………………」

 彼女が見てくる。すっごい見てくる。もんのすっごい見てくる。え? 何? 何で見られてるの? と、彼は思ったが、そういえば、とふと思い出した。この前お昼休み明けにお昼ご飯の話になって、『今度お昼ご飯連れてってください』、とせびられたんだったか。完全に社交辞令かと思っていたが、これは誘われるのを待っているのだろうか?

 一言言えばいいような気もするのだが、お嬢様的には自分からお昼に誘うなんてはしたない行為だったりするのだろうか? いや、向こうも向こうでこちらが社交辞令でOKした可能性を考慮して様子を見ているのか。

 後輩が先輩にご飯をねだるのもそれなりに勇気が要るのかもしれないが、平民がお嬢様をお昼に誘うのもそれなりに勇気が要るのだが。じいや見てないだろうな? と彼が左右に気を配った後、

「お昼でも行く?」



 聞いたところ、満面の笑みで『はい!』と頷かれたのでお昼に繰り出してきた二人。

 横を歩く彼女が聞く。

「どこに行きます?」

「そうですねー。お嬢様の喜びそうなフレンチのお店はこの辺りには無くてですねー」

「むっ」

 お嬢様が睨んできた。怖い。じいやに射殺される。

「先輩は普段どこで食べてるんですか?」

「俺は大体ラーメン屋行くか、定食屋行くかかなぁ……」

「ラーメン屋、あそこにありますよ」

「おっ?」

 彼女が指差したラーメン屋。普段は行列ができているハズだが、今日はタイミングが良かったのか珍しく空いているご様子である。いつも混んでいて諦めているので、彼としては行ってみたい気はするが、

「ラーメン食べたことある?」

「ありますよそれくらい!」

 心外です、というような顔で見てくるが、こちらとしてはお嬢様がラーメンを食べているというのは意外である。高級中華店で食べるようなラーメンだろうか? 町中華で食べるようなラーメンとはまた違うと思うが平気だろうか? 味が気に入らないと言い出して店を潰したりしないだろうか?

 入ってみると、お店の中にはそこそこ人が居る。けど座れるスペースはありそうである。

「どれにする?」

 食券機にお金を入れて彼が聞くと、彼女は目を丸くして、

「……奢ってくださるんですか?」

「まぁ……」

 何でお嬢様に奢らなければいけないだ? という本音が無いわけではないが、一方で会社の後輩と一緒にご飯行って飯を奢らない先輩も如何なものか、という思いもある。

「ごちそうさまです」

 ぺこりと頭を下げて食券のボタンを押す彼女。おお、食券の押し方知ってるんだな、と彼がこっそり感動していると、

「………………」

 彼女が横目で睨んできた。どうやら彼の思ったことに感づかれたみたいである。彼はその視線には気付かなかったことにして、自分の分も食券を押すことにした。

 食券を店員さんに渡すとテーブル席へと案内される。向かい合って二人座るが、ラーメンが来るまでの間、この若干気まずい時間を何とかしなければいけない。

 仕事慣れてきた? なんていうのが新入社員と一緒にご飯に行った先輩の決まり文句かもしれないが、お昼休みにまで仕事の話されるのってどうだろうな? でも休日何してる? とかってプライベートに踏み入った質問するとセクハラなのかなぁ? と彼が何の質問を切り出そうか悩んでいると、

「先輩はどうして今の会社に入ったんですか?」

 キミが言うか? それ。という質問を彼女がしてきた。現在我が社の七不思議のひとつである、『何故お嬢様がうちに入社したのか』。むしろ彼女にしたい質問である。いや、この質問に答えればキミは? って自然に聞けるか、と彼は質問に答えることに。

「俺は社長に声掛けられたのがきっかけかな」

「スカウトですか?」

「スカウト……ってことにしておこうかな」

「?」

 スカウトはスカウトなのかもしれないが、多分イメージするようなスカウトではない。

 彼が前勤めていた会社。残業手当や休日手当ては付いたので、ブラック企業、とまでは言わないが、それでも毎日毎日多忙な日々を過ごしていた。朝起きて、会社行って、夜遅く帰って来て、寝て、朝起きて……。という家には寝るためだけに帰るような日々の繰り返し。

 ある日、会社に行くのが嫌になって、公園の滑り台を滑って遊んでいるところに声をかけられた、という感じである。平日の朝からスーツ姿で公園の滑り台をエンドレスで滑ってたような危険人物によく声をかけたものである。そして、よくそんな危険人物に声を掛けてきたようなさらに危険人物の誘いに乗ったものである。

 誘ってきた方はともかく、誘われた彼としては言い訳がある。当時、ロクに思考回路が動いていなかったのである。多分宗教に勧誘されていたら入信してたであろう。それくらい当時は頭が疲れていたのである。そういう意味では危ないものに勧誘されなくて幸運だったかもしれない。

「お嬢様は? 何でうちに?」

 会社員全員が思っているこの質問。飲み会の時に誰かがその質問をした時にはそれとなくはぐらかされ、その後話題を蒸し返すのもな、とずっと放置されてきた質問ではあるのだが、向こうが聞いて来たこのタイミングであれば、聞き返しても問題無いだろう。

「私は……」

 彼女が口を開いた。その時、

「お待たせしました~」

 と、ラーメンが運ばれてきた。え、今? と思ったが、運ばれてきたラーメンを見てそれどころではなくなった。スープが器ギリギリ、その中に麺ぎっしり。麺の上には具材がゴロゴロ入っていて、もやしが山のようにてんこ盛りになっている。昨今、ワンコインでランチも難しくなってきた時代だ。この値段でこのボリュームなら行列ができるのも頷ける。しかしこれ、女性には多いのでは、と思い、

「……食べきれる?」

 彼が気を遣って聞いてみると、

「私結構食べるんで大丈夫です」

 という答えが返ってきた。

 またまた意地をお張りになってー、そもそもナイフとフォーク以外お持ちになったことあるんですかー? と彼は心の中で煽っていたのだが、箸をパチンとなり、麺を啜って食べていくお嬢様。麺を啜るという普通の行為さえどこか上品に見えるのはお嬢様フィルターが掛かっているせいだろうか。

 大丈夫そうだな、と思った彼は自分も箸を割ってラーメンを食べ始めることにした。

 半分くらい食べ進めたところで彼は思った。量多くね? と。女性にとっては多いなどという女性差別をして申し訳なかった。普通に男性でもこの量多い。食べるペースが露骨に落ちた彼は箸をお椀に置いて一休みしていると、

「ご馳走様でした」

 耳を疑う言葉が目の前から聞こえてきた。見てみると、ペロリと完食しているお嬢様。嘘だろ。食べる量や速度でも負けるというのか。何なら勝てるんだ、一体。

 食べ終わったお嬢様は手持ち無沙汰のご様子であるが、先輩の前でスマホを弄るのは失礼だとでも思っているのか、じぃーっとこちらを見つめてくる。

 いや、食べづらい。スマホ弄っててくれないだろうか? もしくは食べるの手伝ってくれないだろうか? 結構もう苦しいのだが。

 こっそりテーブルの下でお腹を擦ってみる。ふむ。大分膨れ上がっている。お腹いっぱいである。しかし、食事を残すのがマナー違反、という感覚くらい彼にだってある。まして目の前で女の子がぺろりと平らげているのだ。男が残すわけにもいくまい。

 彼はバレないように息を吐いて気合を入れると、再度麺を啜り始めた。



 彼女は公園のベンチに座っていた。学校に行かなければいけない時間帯だが行く気が起きない。無断欠席しようものなら家に連絡が行って、後で怒られる。それは分かっているのだが、行く気にならない。行きたくない。

 いじめにあっている、とかではないが、『お嬢様』で居ることに疲れたのかもしれない。

 自分なりに一生懸命努力して成し遂げた功績でも掛けられる言葉は『お嬢様だから当たり前』。彼女の全ての努力はその一言で片付けられた。逆に何か一つでも些細な失敗をしようものであれば、『お嬢様なのにこんなこともできないの』と言われる。こんな理不尽な話は無い。

 お嬢様は優秀なのが当たり前、とでも思っているみたいだが、何かをできるようになるためには相応の努力が要る。初めから自転車に乗れる人間など居ないように、みんな練習して乗れるようになる。お嬢様だって人間で、できる数の分だけ背景で努力している、ということに何故考えが及ばないのだろうか。

 成功して当たり前、だってお嬢様だから。失敗なんてありえない、だってお嬢様だから。随分便利な言葉である。辞書で調べてもそんな何でもできるスーパーマンみたいな記載は無いハズだが、彼らはお嬢様をそういう生き物として扱いたがる。

 見えない努力には目を向けない。見えないから当たり前なのか、それとも見ようとしないのか。結果という分かりやすいものは見えても、評価は面倒なのか、結局お嬢様の一言で片付けられる。何をしてもそう。何もしなくてもそう。

 お嬢様という恵まれた家に生まれ、その恩恵も享受してきている。それは受け入れなければいけない定めなのかもしれないが、少し疲れてきていた。普通の家庭に生まれていれば、なんていう意味も無い妄想をしたりもする。そうしたら頑張ったね、って誰か褒めてくれたのだろうか?

 褒められるために努力をするわけではない。自分のために努力をするのだ。そう。それは正論だとは思う。いずれ巡り巡って彼女を助けてくれる努力になるのかもしれない。しかし、いつ助けになってくれるかも分からず、誰も見てくれない努力を続けるのはかなり根気が居る。

 どっちにしてもお嬢様で片付けられるなら、もう何もしなくていいじゃないか。

 彼女がそんな風に考えていた時、目の前の滑り台を滑っているサラリーマンが目に入った。

 え? と呆気に取られてしばらく見ていたのだが、そのサラリーマンは一心不乱。エンドレスに公園の滑り台を滑り続ける。ああ、大分お疲れなんだな、と彼女は察した。学生の身分で社会人の大変さを察するのは難しいが、それでも疲れている者同士。何となくのシンパシーを感じた。お互い公園でサボっている者同士、という変な共犯意識も働いたのかもしれない。

 学校に行く気にもならず、することも無いのでしばらくボーっと滑り台を滑り続けるサラリーマンを見続けていると、滑り終わった直後のサラリーマンに話し掛けに行く男性が居た。

『そんなに行きたくない会社なら辞めてウチ来ない?』

 まさかのスカウトであった。スカウトってそんなフランクにするものなのだろうか? スカウトするにしても、会社サボって公園の滑り台をずっと滑っているような人によく声を掛けるものである。いや、まぁ、複雑な事情があって滑り台を滑っている可能性もあるが。

 サラリーマンは虚ろな目で声を掛けてきた男性を見上げると、

『うん。行く』

 えええぇぇぇーーーっっっ!? と彼女は思った。思っただけではなく、声に出ていたかもしれない。それぐらい衝撃的だった。他人事ではあるが、転職するならもっと慎重に考えようよ、と思った。考えられないくらい今の会社に疲れているのかもしれないが、それでもあまりに二つ返事だった。

 自由だ。何とも自由な人たちだ。羨ましいか、と聞かれるとちょっと答えに困るが、あれくらい自由に生きられたら楽しそうだな、とは思う。

 二人が居なくなった後、こっそり滑り台に上って滑ってみる。滑り終わった所で仰向けになって空を眺めてみる。

 自然と笑みが零れてきた。声に出して笑ったような気もする。何してるんだろうというバカバカしさと、何に悩んでたんだろうというバカバカしさで笑いが込み上げてきた。

 ひとしきり笑ってスッキリした後、体を起こしてみると、お母さんに手を繋がれている小さな子供と目が合った。子供がこちらを指差そうとしたのを制してお母さんが子供の目を隠す。『ママー』『しっ。見ちゃいけません』状態なのかもしれない。彼女は気まずげに笑った後、その場を後にした。

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後輩はお嬢様 うたた寝 @utatanenap

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