第3話手術を受けた異端児

こんばんは。今夜のその時、羽弦は動いたは今から8年前の2015年6月24日とします。

その日は、大病院で第5腰椎分離すべり症の手術を受けた日です。

それから、数年間歩くのさえも不自由な日々が彼を待っていました。


事の発端は、2015年の更に3年前の2012年冬、小病院で激しい腰痛の為にレントゲンを撮った時でした。

写真には、第5腰椎がポッキリ折れているのが、素人が見てもはっきりするものが写されていました。

手術を提案されますが、羽弦は首を縦に振りません。

リハビリと薬で何とかしようとしたのです。

当時は杖無しでは歩けない状態でした。

また、50m毎に一休みする、間欠跛行かんけつはこうが現れましたが、リハビリを続けました。

仕事も立ち仕事は出来ず、事務員でしたが通勤が出来なくなり職を失います。

このままでは生活出来ません。

大病院で指示を仰ぎに、妻と行きます。

2015年5月の事でした。


妻は無理に働く必要は無い。と、言いますが子供が成長するに付けてお金がかかります。

手術をして、仕事復帰を彼は目指しました。

そして、今回のその時がやって参ります。


2015年6月24日午前10時、手術が始まります。折れた腰椎を背骨の隙間に入れ、外から金属プレートをネジで固定しました。

手術は無事に成功しました。

しかし、その2年後の2017年春、再び歩けなくなります。

杖では歩けず、車イスを借りた時もありました。

体重で負担がかかっていたのです。

10キロ体重を落とすと、自然と腰痛が治まりました。


現在は、痛みなく活動しています。

動けるようになった事から更に10キロ体重が落ちました。

あの時の手術は正解だったと思います。


最後に。

手術とリハビリで不自由な足を治した羽弦は、活動的になっていました。

今の会社を転職しようと考えて、転職活動をしています。

手術を恐れない勇気と決断は、彼の妻も安心して生活を送る英断だったと振り返ります。

彼は息子に言い続けています。

「困難を逃げてはいけない。栄光とは、困難を乗り切った先のずっと向こう側に待っているものである」と。

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