見えなくなった
会社の同僚男性、仮に佐藤さんとするが、この佐藤さんの話。
ある時佐藤さんが、珍しく眼鏡をかけてきた。
正直そんなに似合ってもいない、ラウンド型の野暮ったいやつだ。
ファッションにこだわる彼にしては珍しいなと思ったんだけど、別に職務規定に違反するわけでもないし誰も何も言わなかった。
そしてその日から、彼は眼鏡で出社してくるようになった。
佐藤さんの眼鏡姿に職場の全員が慣れてきた頃、ちょうど忘年会か何か、部内共通の飲みの席が設けられて、私は佐藤さんの隣に座ることになった。
酒も入ってフランクな空気になってきたところで、私は気になっていた眼鏡についてちょっと聞いてみることにした。
「そういえば、なんで眼鏡に変えたんだよ」
「ああこれ? 似合ってないよなー」
「そんなことは……まあ、ないとも言えないな」
自覚があってそれをかけているということは、なにか事情があるのだろうか。
「俺、目良いんだよ」
「え?」
じゃあ、なんで。余計に分からない。
「昔から、ガラス窓とか鏡とか、そういうところに影が映ることがあってさ」
「影?」
「うん、最初はただの影くらいどうってことなかったんだけど、だんだんそれがハッキリ見えるようになってきて……」
「なんだそれ、気持ち悪いな」
「だろ? しかもその影ってのが、へーんな婆さんの顔」
「うわ怖っ」
「で、霊感のある知り合いに相談したら、この眼鏡渡されてさ」
「それで、かけてんのか」
「そ、これかけたら途端に見えなくなったんだ」
「それはそれで凄いな」
俄には信じられない話だが、酔いが回っていたこともあり私はその話をすんなり飲み込んだ。
冗談なら冗談で良かったし、そもそも私としては、不可解な眼鏡に理由がつくなら真偽などあまり関係なかったのだ。
佐藤さんの話を聞いた飲み会翌日から、なんとなく彼の眼鏡が気になり、ついそれを目で追ってしまった。
見た目は本当に極普通の眼鏡。だが、本人が効果を実感しているというなら、きっと何かしら神秘的な力があるんだろう。
眼鏡に注目するようになって、妙なことに気付く。
眼鏡をかけている時の佐藤さんの顔が、なんとなく妙なのだ。印象が違う。
もちろん眼鏡をかければ誰だって元の顔と雰囲気は変わるが、そういうことでもないのだ。
またしばらく経ち、その違和感の正体に思い至った。
彼の眼鏡には、光が差していない。
どんなに明るいところにいても、直接灯りが当たるはずの位置でも、その眼鏡、そして彼の瞳には光の反射がなかった。
かといって、眼鏡が曇っているわけでもない。
クリアな眼鏡を通して一見普通に見える彼の目だが、ただハイライトがないというだけで、どこかのっぺりとした印象になっていた。
それに気付いた私は、あれは本当に特別な眼鏡だったのだと感心し、超常的なものの存在を少しだけ信じるようになった。
そんな折、佐藤さんが交通事故に遭い入院してしまった。
命に別状はないのだが、右足の太い骨にヒビが入ったらしい。
部を代表して、私が見舞いに行くことになった。
病室へ入ると、足を固定された佐藤さんが憔悴した様子でベッドに横たわっていた。
「災難だったな」
「まあな」
「退院はいつになりそうなんだ?」
「二週間くらいあとらしい」
「そうか、しばらくはゆっくり休めよ」
「なあ、眼鏡の話、覚えてるか?」
彼は唐突にそんなことを切り出した。
「なんだ藪から棒に」
「あの眼鏡、事故で割れたから同じものをくれって知り合いに頼んだんだ」
「どうした? 大金でも要求されたか?」
「いや、そいつがさ、あの眼鏡はその辺で売ってるただの伊達眼鏡だって言うんだ」
「は? だって効果があったんじゃないのか?」
「ああ、効果はあったよ。でも考えたんだ」
「何をだよ」
「ガラスや鏡に影が映るって言ったろ?」
「そう聞いたな」
「眼鏡をかけている時、俺の目の前には眼鏡のレンズというガラス板がある。あの影は無くなったんじゃない。ただ近すぎて、見えなかっただけなんだ。俺は眼鏡をかけている間ずっと、レンズに映ったあの婆さんと目を合わせていたんだよ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。