三、『突き付けられたのは、己の立脚点』その4

 自分で言うのもなんだけれど、子供の頃の僕は割と器用に生きていた方だったと思う。


 器用に宿題をこなして習い事をやっつけ、塾でも学校でも成績は一桁。身体能力もそれなりに高かったから、運動会や体育祭だって活躍していた。


 それがまあ、今ではご覧の有様。


 レベルが低いとは言わないがMAX早慶しか行けない程度の進学校に通って、その中で成績は下から数えた方がマシなレベル。ぶっちゃけ現状ではMARCHは疎か日東駒専だって引っ掛かるか怪しい。


 我ながら、零落おちぶれたモンである。

 正確には零落れたというか、それが僕の限界だったというだけなのだけれど。


 中学の、二年の後半辺りから、今まで漠然と考えないようにしていた事。それが急に、判定という形でまざまざと突き付けられた。



 自分は、兄貴あのひとにはなれない。



 義務教育期間中、百点以外の答案を持って帰った所を見た事がない。

 何処かで大会が開かれれば、自分の身体能力をメダルやトロフィーに変えていく。

 当然都内屈指の進学校へ悠々と合格を果たし、まるで自宅の玄関のように東大の赤門を潜った兄貴。


 何もかもが、規格外。


 何で張り合おうと思ってしまったんだ、僕は。

 勝てる訳がねぇんだ、あんな化け物に。


 でも、思ってしまったんだ。

 うっかり、希望を持ってしまったんだ。


 自分はあの凄い兄貴の弟だから、頑張っていれば何か形になるだろうって。

 僕は馬鹿だから、どうしようもなく愚かだから、その発想が呪いだって気付かずに深みに嵌まってしまったんだ。それに気付いた時には、もう何もかもが遅かった。


 結論から。

 僕と兄貴は、血が繋がっていない。


 親父が浮気して出来た子供、それが僕だった。DNA検査的に親父と僕に血縁関係はない。脅されて札束と引き換えに押し付けられた子供、そういう存在だった。


 ダセえドラマかよ。でもそれが現実だ。


 思えば、兄貴含めた家族は僕に対して微妙に腫れ物扱いみたいな感じだった。年の離れた兄弟だからかなって勝手に納得していたけど、実際はそうじゃなかった。


 年が離れていたのは親父の浮気相手。

 二十になったかならないかってさ、職業柄ハニトラって事にしてもかなり終わってるだろ。


 この事実が発覚した時、僕の精神はポッキリ折れた。


 あの凄い兄貴は、僕の兄貴ではない。

 どんなに頑張っても、何の形にもならない。


 もうちょっと早く真実を僕に話してくれれば、また別の生き方もあったかもしれない。教えなかったのは、多分優しさから。でも優しさの使い方を絶望的に間違えていた。


 何もかもが、手遅れだった。


 折れた後は無気力になって、元気を取り戻してからは攻撃的になって、現在では変な吸血鬼に捕まって殺人行脚の手伝いだ。


「・・・・・・堕ちるところまで墜ちたよな」


 自嘲気味に肩を揺らす。

 なんで全く、こんな下らないモノローグを延々語ったんだろう。



 ――まあ。



 モノローグ、じゃねぇな。

 走馬灯の方が、この状況に似合っている。


 状況確認。

 場所は駅に隣接するショッピングモールの三階。北欧雑貨とか御洒落な物が売っているエリアだ。普段なら間違いなく近付かないエリア。羅慈亜が居なければ、僕みたいな奴は存在を許されないだろう。


「まったく・・・・・・慣れない事をするから、こういう酷い目に遭うんだ」


 僕はゆっくり起き上がり、髪を掻き上げた。

 こういうシチュエーション、ちょっと格好いいじゃあないか。主人公みたいで。


「何でいきなり、僕らは殺され掛けなければならなかったんだ?」


 眼前。

 敵は二人。チェーンソー巻き付けたバットを構えた奴と、回転ノコギリで作った斧を構えた奴。

 良かった、銃じゃなくて。辛うじて、こっちにも勝ち目がある。


「・・・・・・お前、この前あのゲーセンに居ただろ」

 回転ノコギリが口を開く。

「テレビも新聞も騒いでないが、あそこでうちの連中が虐殺された。何でお前だけ助かってんだ?」

「運が良かったから・・・・・・じゃあ、ダメかな?」


 刹那。

 轟音が響く。バットが柱を打った音。


「垂れ込みがあってな。テメェがあの女の仲間だって事は割れてんだよ。大人しく殺されろや」

「殺すってさ、いきなり物騒だよな。ホーネットワムズってのは、往来で堂々とテロじみた襲撃をする輩なのかい?」

「俺達はホーネットワムズじゃねぇ。レッドルージュだ」

「なら――――」


 回転ノコギリ男が語る前に僕は嗤う。


「雑魚って事か」

「テメェ・・・・・・」


 事実、雑魚だ。

 回転ノコギリにチェーンソーバット、殺傷力はゼロではないが殺すにしては殺意が足りない。所詮、不良バカのオモチャだ。


 それに、ご丁寧に自分の所属まで名乗ってくれた。

 取りあえず、天華がらみである事は間違いないが〝夜〟に狙われた訳ではなさそうだ。

 安心した。


 なら、十分に戦える。


「羅慈亜・・・・・・大丈夫かい?」


 僕は少し振り返って羅慈亜を見た。

 怯えている。当たり前だ、怖い思いをしたんだから。

 本当の事を言えば、最初の襲撃があった時にトイレか何かに隠れて欲しかったのだけれど、まあ、見られているというのもこれはこれで悪くない。


「うん・・・・・・大丈夫。君は?」

「僕は平気さ」


 何となく笑って僕は言う。

 何かこういうシチュエーション、アニメとかであったな。あのキャラみたいに、僕は格好良く笑えているだろうか。


「君は危ないから下がっていて」

「でも――――」

「いいから」


 とはいえ、二対一。武器まで装備している。

 天華なら楽しげに笑って〈弱肉強食エクスカニバル〉を振り回しているだろうが、凡人の極北に位置する僕にそんな度胸はない。


 だから、と僕はポケットから小銭入れを取り出した。

 買収ではない。キーホルダーにはフラッシュライトがぶら下がっており、そいつを握り込んで小銭入れを廻す。


「あんな雑魚ぐらい、僕一人で十分さ」


 蹴る。

 地面を。

 向こうのリーチを意識しながら、間合いを詰める。


「クソッ――――」

「遅ぇ」

 回転ノコギリを振りかぶる前、僕は奴のピアスだらけの耳へ小銭入れを叩き付けた。


 血が飛び散って、呻き声が響く。

 しくじった。

 手に響いた感覚が少し、弱い。


「砕ける予定だったんだけどな、頭蓋」

 致死量には足りなかったか、さっきジュース買ったせいだ。

「けどまあ・・・・・・」


 両目が痙攣し、ぶっ倒れる回転ノコギリ男。


「一人、戦闘不能だ」

 側面からの一撃。あれだけ脳が揺れたのだ。当分は動けまい。


「おま・・・・・・何、躊躇ちゅうちょなく頭を――――」

「何言ってるんだ?」

 もう一人、チェーンソーバットを構えた男が化け物を見るような目で僕を見つめている。


「殺しに来たんだろう? 殺すつもりで僕を襲ったんだろう? なら、相棒が殺されそうになったぐらいでビビってんじゃねぇよ」


 それとも、と僕は近くの雑貨売り場から転がってきたガラスのコップを拾い上げた。


「お前らの復讐ってのは、ベソかいて土下座ワビ入れれば収まる程度の生温いモノだったのか?」

 仰向けで倒れている男の顔へコップを置き、そいつを思い切り踏み潰す。

 飛散したガラスが男の血を混ざり合って、ちょっとした火花みたいで面白い。


「頭・・・・・・お前、頭――――」

「怖いんだよ。いつ起き上がってくるか分からないし、入れられるダメージは入れておかないと。常識だろ?」

巫山戯ふざけんなよ、クソッ!!」

 バットが出鱈目な軌道を描き、空気を雑に裂く。


 僕は嗤った。

 駄目だ駄目だ、なっちゃいない。


 目の前で仲間を血溜まりに沈められた程度で震える腕なんて、脆弱にも程がある。

 アレじゃあ、幾ら怖そうなモノを巻き付けたところで、致死量の威力は生み出せない。精々皮の二、三枚を抉る程度だ。


「――ああ、成る程」


 引き裂かれるシャツ。そこから湧いた自分の血を浴びながら、僕は理解する。

 だったのか、天華にとって〝敵〟との戦いは。


「死にたくねぇ・・・・・・死にたくねぇよう――」


 四回目でバットが宙に飛び、奈落のようなエスカレーターを下っていく。僕はフラッシュライトを握ったまま、戦意を喪失させた男を睥睨した。


「殺すのは良くて、死ぬのは嫌なのかい?」

「だって・・・・・・いや、普通――」

「知らねぇよ、お前の〝普通〟なんて」


 男の鳩尾みぞおちを蹴り上げる。

 防御する気力も削ぎ落とされた肉体は簡単にくの字に曲がり、僕の前で情けなく跪いた。


「じゃあ、死ね」


 比喩表現ではなく、死ね。

 相手の命を奪う、言葉。

 総字数、たった二文字。


 僅か二文字の軽い言葉なのに、発するだけでこんなにも昂(たか)ぶるのは何故だろう。


「――駄目だよ、それ以上は」


 くいっと、弱々しく僕のシャツが引っ張られる。


「死んじゃうよ、その人」

「でも、君を怖がらせた人だ」

「頼んでないよ、わたしは。そんな事」

「・・・・・・そういえば、頼まれてはいなかった」


 僕はゆっくり振り返る。

 きっと、怖がっているだろうな。僕を軽蔑するかもしれない。

 さっきまでは良かった。よく分からない服を見て、値段の高さに二人で笑ったりしてたのに。


「ごめん」

「別に謝る必要はないよ」


 僕の予想に反して、茂里 羅慈亜は怖がっていなかった。

 逆に怒っていた。情けない僕に対し、真っ直ぐ視線を合わせて。


「でも、殺しちゃあ駄目。例え、どんな理由があっても。友達とか両親とか、どんな悪人にも悲しむ人は一人くらい居るんだから」

「何か、中学生日記とか金八みたいな説教だね」

「だって、事実だから」


 斜に構えた僕の言葉を羅慈亜は真っ正面から打っ手切る。


「君もそれを知ってるから、そんな貌をしてる。今にも泣きそうな、とても悲しい貌を」

「僕が・・・・・・?」


 笑っていたと、思っていたんだけどな。

 自分では分からないモノだ。殺し合いの場所に、鏡なんてないから。


「その貌、全然楽しそうじゃないよ。楽しくないなら、止めようよ」

「そう・・・・・・だよね」


 止めるか、殺し合いこんなこと

 これが、当たり前なんだ。

 現代最強の吸血鬼とか〈三角定規〉とか、少し〝夜〟の世界に入り浸りすぎた。

 まだ僕は、〝昼〟に戻る事が――


「――何だ、もうおっぱじまっていたのか」

「!?」


 衝撃が、僕の体を揺らす。


「つか、誰だよコイツら。この任務、俺だけだった筈だが」

 僕の前で跪いていた男が、真っ二つに切断されている。

 一体どんな得物を使えば、こんな出鱈目が出来るのか。


「ははーん、分かったぜ。一人じゃ喰い出がないから、雑魚でかさ増ししたな。だがまあ、綿飴で腹が膨れねぇのと同じで、雑魚を何匹喰っても喰ったうちには入らねぇんだよ」


 ずん、と床が波打つ錯覚がした。

 正面。男が一人、佇んでいた。


「嘘だろ、エスカレーターも階段も僕の後ろ――」


 一切、気配に気付かなかった。

 あれだけの二撃、轟音が響き渡ったのに。


「いや・・・・・・だからか」


 


 僕は男を観察した。

 ジーンズに白いシャツ、そしてスニーカー。この前の軍服オタクやその前のヤンキーと違い、至って普通の容姿。


 だから、僕は直感する。


 ヤバい奴は、普通の格好をする。


 ピアス、サングラス、そういった装飾品は戦闘時に己を傷付ける。

 ブーツや革靴、足の力を十全に地面へ作用させる事が出来ない。

 ブルゾンにジャケット、両腕の可動域を減らしてしまう。


 普通とは、削ぎ落としたである。

 故に、ヤバい。


「えーと、俺は中佐・・・・・・アレ、中尉だったかな? まあ、どっちでもいいや。略称のアルファベットもよく分かんねぇから省くぜ。俺はお前をブッ殺しに来た。お前をブッ殺せば、あの自称吸血鬼と戦えるって〈三角定規〉が約束してくれたからな」

「なんつー約束してくれたんだ」


 というか。


「何で僕如きが〈三角定規〉に認知されてるんだよ!?」

「知らねぇよ、そんな事。だけどな、〈三角定規〉はマジ凄ぇんだよ。お前は知らないだろうけど、いいかよく聞け!」

「・・・・・・・・・・・・」


 ごくり、と無意識に鳴る喉。


「なんと〈三角定規〉は魔法が使えるんだ!」

「あ、はい」


 よく存じております。

 まだお目にかかった事はないけれど。


「何だよその反応は。ノリ悪ぃなー」


 露骨に嫌そうな貌をする中佐(中尉かも知れない)。もっと驚いてくれると思ったに違いない。

 実にタイミングが悪かった。先月の僕であればもうちょっと驚いたのに。


「とにかくお前をブッ殺せば、俺はアイツと思う存分殺し合えるんだ。さっさとやろうぜ。俺が殺し合いに出張れるなんて、滅多にねぇ事なんだからさ」


 何せ、と彼が口を開く前に気付く。

 人の気配がしない。

 駅前に隣接したショッピングモールなのに。


「まさか――――」

「俺はついつい、虐殺やり過ぎてしまうからよ」


 死山血河。

 所々に、分解された部品が散乱している。

 人間を構成していた部品が。


「さあ、虐殺はじめようぜ」


 獣のように唸り声を上げる中佐を尻目に、僕は必死で羅慈亜を探す。

 僕は死んだって構わない。

 でも、羅慈亜は――――茂里 羅慈亜は駄目だ。


 彼女は、僕に光をくれた。

 止めようよ、と言ってくれたんだ。

 こんな僕でも、〝昼〟で生きていて良いって――――


「まさか、そんな・・・・・・」


 僕の視界から十メートルぐらい先、羅慈亜は倒れていた。

 敷き詰められた部品の上で、眠るように。人形のように。


 諦めるな。

 冷静になれ。


 まだ、もしかしたら、息があるかも知れない。

 でも、今、コイツに気付かれたら――――


ろう・・・・・・思う存分」


 覚悟を――――決める時だ。

 僕はフラッシュライトに力を込めた。


「――面白ぇ事になってるじゃねぇか」


 突如、ドンと店内に響き渡る鈍い音。

 それは、荷物の形をした罪の音であった。


「別に戦うのは良いけどよ、お前の得物はそんななモノじゃねぇだろうよ」


 ほいっと僕に投げて寄越された鉄の棒。

 先端が、くの字に曲がった鉄パイプ。


「ようこそ、〝夜〟へ。歓迎するぜ、童貞ニュービー



 ――楽しくないなら、止めようよ



 左手を差し出し天華は嗤う。

 剥き出した鋭い犬歯の軌跡が、三日月のようで。


 その笑顔は僕が見た中で一番、淫靡きれいだった。

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あるオッサンの回顧録~自称吸血鬼の女の子に火を貸したら、お礼に鉄パイプを貰ったのだが~ 湊利記 @riki3710

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