第6話 ブラックホールジャイロ

 次の日の午後。どんより曇った、平日。


 もちろん僕は学校へは行かずに、いつもの公園にいた。アヒルが入り口で僕を待っていてくれた。もしかして昨日ここへ来なかったから心配したかもしれない。


 今日もいつも通りに広場にて、マウンドに見立てたマンホールの上から壁に向かってボールを投げ込む。すぐそばで見守るアヒル。さっきまでと変わって完全に鬼コーチの顔になってる。


 それにしても今日は特に寒い。この特殊ダウンジャケットでも歯が立たないほど。公園の木々も池の水もパリパリになっちゃいそうだ。それもそのはずで今朝のニュースで「今日、1月20日は大寒の日で、明日は大雪が降るでしょう」と言っていたくらいなのです。


(明日は大雪かぁ、どうりで寒いわけだ)


 それでも練習に勤しむ。動いた方があったかくなるのもある。いつも通りにナックルボールはうまく投げられない。アヒルが「クエ、クエ」と叱咤激励をくれる。少し調子があがってきた。投げながら昨日の学校での出来事をアヒルに報告した。


「あのね、アヒル。昨日さ、久しぶりに学校に行ったんだ。朝、教室にはいるときはすごく怖かった。空気のようになって存在を消して乗り切ろうと思ったんだ。放課後には杉山田先生とサシで話した。友達ができるように頑張るって約束をしたんだけど、どう頑張ればいいのかさっぱりさ」


 どうしても愚痴っぽくなってしまう。アヒルは地面の上で体を丸めておとなしく話を聞いてくれてる。


「それからね、アヒル。昨日の夜は母さんが早く帰ってきてくれたんだ。僕が作ったカレーをおいしいって食べてくれたんだ。だけど……学校に行かないのは出自のことと関係あるのかと聞かれて、僕は否定したけど、母さん泣いちゃったんだ……」

 僕だって泣きたくなる。誰が悪いわけでもないことって残酷至極ざんこくしごく


 アヒルが三回鳴いて鎮魂ちんこんくれる。


 僕は思いっきりストレートを投げた。


 勢いよく壁に当たったボールは寄り道せずに僕の元へと返ってきた。


「なぁ、アヒル。ひとつ聞いてもいい?君にはアヒルの友達はいないの?」


 実は今まで一度もそれを尋ねてみたことはなかった。


 押し黙るアヒル。野暮ったいこときいちゃったかもしれない。


「ごめん、アヒル。くだらない質問だね。気を悪くしないでくれよ。君に嫌われちゃったら僕は本当のひとりぼっちになっちゃうんだから……」


 ──相変わらず沈黙のアヒル。


 それを横目に僕は振りかぶって、さっきよりももっと力を込めてストレートを投げる。ボールが高く浮いてしまい、高いバウンドで返ってくる。


 僕は自分で自分を止められなくなっていた。


「だいたい僕らの世代は生まれたときから分断されているっていうのに……。友達とか無茶だよ……。けっきょくガチャでしょ」


 僕がそう言い切ると、アヒルが反応した。ブルブルッと体をふるわせてから起きあがり、そのまま池の方に歩いて行ってしまった。怒ったみたいだ。僕がいけないんだ。今度謝ろう。


 せめて練習だけは続けようと思い、再び投球モーションに入る。そして片足を上げて渾身のストレートを投げようとした、──そのときだった。


 すごいものを聞いた。


 とてつもなくけたたましいアヒルの鳴き声だ。


「グエッ、グエッ」とくちばしが大きく上下している。


(なにがどうしたんだ)


 さらに驚きは続いた。アヒルは羽を広げて声をとどろかせながら池の方からこちらへ突進して来るのです。


(な、なんだ、いったい)


 こんなに興奮しているアヒルを今まで見たことがない。


 アヒルは僕のすぐ近くまで来てからも「グエッ、グエッ」と首の後ろの羽毛を逆立たせながら鳴き続ける。すごい剣幕だ。


「な、なんだよ、何をそんなに怒ってるんだよ。僕そんなに悪いこと言った?」


 言いながらも、片足立ちですでに投球モーションに入っていた僕はそのまま全身の力を込めてボールを壁へ投げた。


 ──そこでとんでもないことが起きた。


 手からボールが離れる瞬間、アヒルが「グエエエー」と、耳をつんざくような、信じられないくらいのレベルに大きな声を出した。


 まるで頭のなかをおもいっきり揺さぶられたかのような感覚が僕を襲ったかと思うと、次の瞬間、目の前が真っ暗になった。


(いったい何が起きたんだ?暗くてなにも見えない……。足下から風圧を感じる。もしかして僕はいま落下しているんだろうか……どういうことなんだ?)


 異変はすぐにおさまった。 


 まるで足下からトンネルを抜けるみたいにいっきに周りが明るくなって元の公園の景色が蘇った。驚いたことに、僕はしっかり地面のマンホールの上に立っている。さらに驚いたことに、さっき僕が投げたボールは、まだ壁に向かって飛んでいく最中だった。


(僕の球ってそんな遅かったけな?)


 ボールの軌道をそのまま目で追う。すると急に不自然に加速し始め、ものすごいスピードに達したかと思うと、球の大きさが大小に変化して、スライドしながら螺旋状に回転し、最後にはフォークボールのようにすとんと落ちた。


 我が目を疑わずにはいられなかった。


 この動きはまぎれもなく空想上の超魔球と言われている『ブラックホール・ジャイロボール』そのものなのです。


「ブ、ブラックホールジャイロだよね、いまの……」


 僕の声は震えていたと思う。


 アヒルの同意を求めたのに彼は今の奇跡を見逃したようだった。呑気におなかのあたりをくちばしでぼりぼりとかいている。


「そりゃないよ……」


「クエッ」


「ちぇ、どうせそんなはずないとでも思ってるんだろ」


 僕は地面に転がっているボールを拾い上げた。見た目はいつもと変わらないボールだ。


(なんか変なの)


 目の前が暗くなったり、超魔球に、それからアヒルのレベチな大声と不思議現象の連続にちょっと頭がついていかない。改めて辺りを見まわしてみる。一見したところ何も変わったところがないように見える。


 でも何かが違う。


 うまく言えないけどなんとなくよそよそしいというか、まるで何から何までこの町に似せてつくられた映画のセットのなかに迷い込んでしまったかのようなのです。


(いや、まてよ、変わってしまったのは僕のほうなのかもしれない)


 僕のなかの何かが変わってしまったから、いつも見慣れた景色をそう感じてしまうのかもしれない。


 そんなふうにいろいろ考えているうちにすっかり体が冷えてしまった。練習はこれまでで終了ということにした。


 もうないかと思ったら、驚きにはまだ続きがあって、公園内の並木道をアヒルと帰っているときにまた起こった。


(──オブジェの数が増えてる……)


 もともとあった正八面体の横に三つの新たなオブジェが突如出現していたのです。長い期間設置されていた立ち入り防止柵はすっかり撤去されていて、近寄ることができる。


 新たに増えた三つのオブジェは石でできていて、それぞれ正四面体、正六面体、正二十面体の形をしている。なんだか幾何学の授業でも始まりそうな感じだ。


(おや?)


 近寄ってよく見ると、四つのオブジェすべてに文字が刻まれていることに気づいた。もとからあった正八面体のオブジェには『空気』という文字。教室での苦い記憶を呼び起こさせる文字だ。つづいてほかの三つの文字は、正四、正六、正二十の順に、『火』、『土』、『水』という文字だ。


 全部大事なものだということはわかる。


(突然増えたけど、これで四つ揃ったということみたいだな。ま、いっか)


 アヒルが遅れて追いついてきて、そのままオブジェの横に並んでポーズを決めた。第五のオブジェ。


「あはは、アヒルのオブジェかわいいよ」


「クエ」


 今日は不思議が多すぎて消化不良気味だ。すでにキャパオーバーなのでここではそれ以上あまり気にせずにその場をあとにした。

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