第3話 久しぶりの教室
次の朝。
やはり食欲はわいてこなかった。
母さんは今朝も僕が起きるよりもずっと早く家を出たみたいだった。AIは寝ないから、それくらいたくさん働かないと給料がでないらしい。
だらだらと支度した。思っていたよりも何を着ていくかを迷った。「行ってきます」は言った。
外に出てすぐ冬を感じた。公園に行くときは寒さなんてへっちゃらだけど学校へ行くとなると堪える。
空は青く澄み渡っている。真っ青な僕の顔よりもシンプルに青く……。
通学路はまだ覚えていた。誰にも会いたくないからキョロキョロしてしまう。久しぶりに背負ったランドセルが堅く感じる。学校からしたら僕なんてすごくたまに地球の近くにくる彗星みたいなもんだろう。
とぼとぼ歩くうちにとうとう学校に着いてしまった。
学舎がただのラスボスに見える。もしもラスボスに出会ったことがある人ならわかると思うけど、ゲロでそうになる。
どんどんほかの生徒が校門をくぐっていくその流れに乗って僕も校内に入る。クローンチェックシステムもそこで作動している。体内に埋め込むことが義務化されている粉末ICチップの生体証明書情報をスキャンされる。よく誤作動も起こるので要注意。下を向いたまま歩き続け昇降口へ。化石化した自分の上履きに履き替えていざ教室へ。まるでヘラクレス一二の冒険の一三個目な気分だ。
ようやく五年三組の教室の前まできた。いじめ防止のため、日替わりでクラスが変わったりする。心臓バクバク。
いくつもの声が扉の向こう側から聞こえた。学校の扉や壁は手で触れると透明に変わる仕組みだ。中を見る勇気も、中から見られる勇気もまだない。僕は深呼吸をした。もしここで勇気を出したなら、いつか空にあげて星座にしてもらえるだろうか、僕座として。
(今日だけの我慢だ……、今日だけの……)
何度か心の中でつぶやいてから、意を決して教室の中へとはいった。
必然、それまで談笑していた女子たちや、机の上で消しゴムを使ってい遊んでいた男子たちの動きが全停止した。みんな驚いた顔で僕を見ている。来るんじゃなっかという思いが噴火する。
必死にみんなからの視線をかいくぐり、何とか窓側の一番後ろの席にたどり着いた。ここが僕の唯一の居場所だ。
(きょう一日、空気のような存在でいよう)
そうすればこの居場所を失わなくて済むのです。
(空気になるんだ、空気になるんだ)
誰とも話さずに、存在感をできる限りなくして、きょう一日を無難にやり過ごす。
イスを引きまくって座った。
みんながまた日常に戻っていく。
あとは目標通りに……と、思った矢先、早くもこの目標を見失わせる声をかけてくる者があった。僕がもっとも苦手としているヤマモトモウタだ。
彼はゲノム編集組ではないが、他の出自のグループとも垣根なく気さくに接するいいやつアピールがすごい。
(よりによってヤマモトモウタか……)
まるで奈落の底にでも突き落とされたかのような気分になった。大柄なヤマモトモウタのメガネをかけた丸い顔が近づいてくる。その顔には鼻水が光り輝いている。ちなみに授業が始まると生徒たちの互いの見た目や特徴をいじったりできないようにデジタル加工されてみんな同じように見える教育法方なので、このように朝は大変だ。
「よう、誰かと思えば
ヤマモトモウタの笑えない冗談に僕は精一杯の愛想笑いを浮かべた。
するとこんどは彼はくんくんと犬みたいに嗅ぐ動きをした。
「ん?臭うぞクローンの臭い。どこかにクローンがいるのか。オレのこのフェイクスルーメガネならすぐ見分けられるんだぞ。どれどれ黒須は……、なんて冗談冗談」
「……」
「そうそう、そういえばさあ、おまえ公園のアヒルと仲良しなんだってな。クラスのやつが見たって言ってたぜ、おまえが壁当てしながらアヒルに話しかけてるところさ。何話すんだよ。もしかしておまえってアヒル語わかるの?」
ヤマモトモウタは鼻水をすすりながら話した。彼はいつも人の心の中へ土足でドカドカ上がり込んでくるようなところがあって苦手だ。何も答えずに黙っていると、「今のも冗談だよ」と言って、去っていった。
手のひらが汗でじっとりと濡れているのに気づいた。
しばらくしてチャイムの音が聞こえた。こんなに大きな音だったかと、そう感じた。みんなが席に着くと同時にジャージ姿の杉山田先生が教室に入ってきた。日焼けしていて短髪ツンツンな熱血系教師だ。先生は僕がいることに気づくと、うんうん、と軽く頷いてすぐに一時間目の授業を始めた。正直なところ、先生が僕がいることについて何か言うんじゃないかと身構えていたので、ほっとした。
気が緩んで窓の外に目が向く。
(アヒルは今頃なにしてるんだろ。きっと呑気に居眠りしてるんだろうな)
僕は背中の羽毛の中にくちばしをつっこんで眠っているアヒルの姿を思い浮かべた。
(ちぇ、僕の気もしらないで、うらやましいよ)
前を向き直った僕は先生が話した内容が顔の横にARでマンガ吹き出し状に現れたものを真新しいノートに書き写し始めた。
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