30 おしるこ

 病室に入ってきた看護師は、機器のチェックをした後、怪訝そうに首を傾げる。


「看護師さん? どないしはったん?」

「いえ、たぶん、誤作動ですね。何も問題はないですよ。お邪魔しました」


 頭を下げて看護師さんは出て行った。

 一瞬にして高まった病室の緊張感が、少しだけ緩む。

 美晴は鈴音を通じて、栄太はもう大丈夫だと聞かされていたが、まさかそれをここで言うわけにはいかない。

 周りに合わせて神妙な表情で押し黙っていたのだが、なんだかみんなを騙しているようで気が引ける。だから、別の意味で疲れた美晴は、少し休憩スペースへ行ってくると言い残し、鈴音をバッグに入れて病室を出た。


「なあ、鈴音ちゃん。なんで兄さん、目ぇ覚まさへんの?」

「ごめん、ミハ姉。大丈夫だって言ったのに、ハル兄、怨霊退治に行くって言い出して。絶対に危ないことはさせないから、もう少し待って」


 美晴は、座ったひざの上に乗せたバッグを中の鈴音ごと抱き締めて、大きく息を吐きながらガックリと脱力する。


「ほんま、何考えてんねん。待たされるほうの身にもなれって……」

「あっ、でも、エイ兄、さっき一瞬だけど戻って来てたよ。みんなの様子を見てから、またあっちに行ったけど」

「そうなん? あー、せやから……」


 あの看護師が、不思議そうにしていたわけだ。

 人の気も知らないで、好き勝手している栄太に少し腹が立ってきた。

 だけど、それと同時に、どうせまた誰かのためにお節介を焼いてるんだろうと思い、諦めと心配に混ざって微かな喜びが湧き上がる。


 動く気力を失って、バッグに突っ伏す形になった美晴の耳に、近付く足音が聞こえた。だけどここは、誰でも通れる場所だ。

 さして気にせず、バッグに顔を埋め続ける。


「……美晴。何か飲むか?」


 その声は、美晴の父親──郡上秋良ぐじょうあきよしのものだった。

 娘を心配して追いかけてきたのだろう。

 美晴は、今の会話を聞かれてなかったかと気が気でなく、どんな表情をしていいのか分からずに顔を伏せ続ける。

 鈴音が「聞かれてないから、大丈夫だよ」という意味を込めて、「クゥ~ン」と声を上げたが、美晴には伝わらなかった。

 返事がないことを心配した秋良あきよしは、困惑しつつも問いかけ続ける。


「ちょっとした休憩場所なのに、いろんなものがあるな。あったかいミルクティーもあるぞ。乳製品のほうがいいか?」

「……甘いジュース」

「よし分かった。甘いジュースだな」


 父がそうやって気を使ってくれるのは、ありがたいし嬉しいけど、今は間が悪すぎる。しかも……


「おしるこって、なんやねん」


 ついツッコミを入れてしまったけど、それ以上言葉が出てこない。

 慌てて違うものを買いに行こうとした父親の手をつかむ。


「……それで、ええわ」


 しかも、渡された缶は……


「冷たっ……なんやアイスかいな。おしるこでアイスって……」


 ついつい口元が綻ぶ。

 それを見た秋良あきよしは、ちょっとだけホッとした様子で、隣の椅子に座った。


「美晴……、あんまり思い詰めるなよ」

「……わかってる」

「それで美晴が寝込んだりしたら、栄太くんが心配するからな」

「…………心配してくれるんやったら、それもええな」


 別に深い意味は無かった。ただ単に、栄太もこの立場になったら、自分の気持ちが少しは分かるのでは、と思っただけなのだが……

 となりで父親が息を吞んだことに気付き、美晴は自分の失言に気付く。


「父さん、ありがとう。もうすぐ兄さんも目ぇ覚ますから、心配あらへんって」


 注意書きの通り、缶をしっかりと振ってから開け、こくりとひと口飲む。そして、目を見開いて缶を眺める。


「うそ、なにこれ。めっちゃ美味しいやん♪」

「無理せんでいいからな」

 

 父親の言葉は、何に対してのものだったのか。

 意外な出会いに驚いた美晴は、途中で何度か缶を揺すりながら中身を飲み干すと、バッグを隣の椅子に置き、父親の空き缶も回収して一緒にゴミ箱へと捨てた。

 そして、バッグを抱え上げると……


「父さん、戻ろ!」


 微笑みを浮かべて父親の手を取り、病室に向かって歩き始めた。




 参拝客の立ち入りを禁止した秋月神社では、慌ただしく準備が整えられていた。


 神楽殿が開けられ、前の庭に祭壇が設えられた。

 祭壇といっても供物を捧げるためのものではなく、囲炉裏に近い形状で薪が櫓状に組んであり、お炊き上げでもするかのようだ。


 御神楽を舞うのは秋月霧香あきづききりか十六夜響いざよいひびきが歌い、十六夜泉いざよいいずみと秋月神社の巫女たちが音を奏でる。

 その準備が着々と行われていた。

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