24 波乱の脱出行

 何がなんだか分からないまま、俺は心の準備っぽいことを自分なりにやってみる。

 具体的には、魔界には邪気というものがあるから、それから自分の心を守りつつ、襲ってくるであろうおぞましい敵の攻撃を避けて、とにかくネボコを信じて指示に従うこと……そう自分に言い聞かせ続ける。

 それを乗り切れば、現実世界に帰れるのだという希望にすがり付きながら。


「よいか、栄太よ。これから魔界に出るが、なぜかは分からぬがそこの邪気は浄化され、清浄なる気で満たされておる。明らかな異常事態だ」


 よく分からないが、とにかく邪気の心配がいらないらしい。


「何かの罠かもしれぬが、この機を逃す手はない。時間との勝負となるだろう。だから隠世の門を開くまでの間、動けぬワシを抱えて逃げ回ってくれ」

「……えっ?」

「いや、何もなければそれで良いのだが、もし襲ってきたのが下級の悪魔どもなら、撃退や退避よりもおぬしを隠世に送ることを優先したい」

「いやまあ、それはありがたいけど……。俺にそんなことができるのか?」

「邪気の浸食を防ぐ要領で跳ね返せば良い。下級悪魔など、邪気に多少毛が生えたようなもんだからな。囲まれさえしなければ、なんとかなるだろうよ」


 そうは言われても、囲まれたらどうなってしまうのかが気になる。


「なあに、心配するでない。もし悪魔が集まってきたり、ワシが危険だと判断したら、またここへ戻してやるから、そう気負う必要はないぞ」

「……ああ、分かった。どのみち、俺の命はネボコ、お前さんに預けてあるからな。お前さんの判断に従うよ」

「それで良い。ではっ、いくぞ!」


 その掛け声を合図に、俺は自己の壁を強化してネボコの身体を抱き上げた。




 再び魔界に行く(入る?)ってことで、相当に悲惨な光景が広がっているものと覚悟していたのに、一瞬ぼやけて再び像を結んだ光景は、廃墟が点在する荒野のような……荒涼とした雰囲気だった。

 だが、嫌な感じは全くしない。それよりも、どこか懐かしさを感じるような、不思議と安心感に満ちた場所だった。

 ……いや、見惚れてる場合じゃなかった。


 俺は周囲の気配を探りつつ、何が起きてもすぐに動けるようにと身構える。

 ネボコは俺の腕の中で、身動きせずに精神を集中させている。

 まだか、まだかと待っている間も、どんどん俺の精神が消耗しているようだ。


「…………っ!?」


 いきなりだった。

 俺は雷に打たれたように硬直して、身動きができなくなった。

 嫌な……ものすごく嫌な気配が近付いてくる。

 微かに動く首を傾けて視線を向けると、空中に黒いモヤが集まって人の姿に……いや、悪魔の姿が現れた。

 どうやら、この清浄なる気というものが苦手なのか、かなり離れた場所からこちらを見ている。だけど、その気配だけで心の芯から冷えるような恐怖が湧き上がってくる。


 いや、気合で負けたらダメだ……と、気を引き締める。

 だけど、さらにもう一体の悪魔が……


「……っとっと。こりゃヤベェな。下手に近付けねぇ」


 先に現れた元気で健康そうな悪魔が、宙を舞って俺のほうへ近付こうとするが、痛がる素振りをしてすぐに後退し、ニヤリと凶悪そうな笑みを浮かべた。

 後から現れた気怠そうな悪魔は、それを見て顔をしかめる。


「は……、派手にやってくれたわね……。そ、そこに居るのは……神の眷属?」


 悲嘆に暮れたかのような悲しみに満ちた瞳を、俺の方へと向けてきた。

 幸い……と言っていいのか分からないけど、すぐに襲って来る様子はない。この場所が俺たちを守ってくれているようだ。

 とはいえ、精神的にヤバイ。悪魔に見つかってしまった。それも二体……


「こ、これっ。……大丈夫、なのか?」


 できるだけネボコの邪魔をしないようにと大人しくしていたが、さすがに耐えきれなくなって言葉が漏れてしまった。

 そこへ更に、もう一体の悪魔が……


 罠……だったのか?

 俺が逃げたことに気付いて、こうやって逃げ道を作って待ち伏せていたのか?

 希望を持たせて、再び絶望へと突き落とすなんて、実に悪魔らしい所業だ。

 それにしても、こいつらは何ものだ?

 何のために俺を……?


 ヤバイ、ヤバイ、ヤバイ、ヤバイ…………………………

 際限なく膨張する不安に押しつぶされそうになる。


「ネボコ! まだか!」


 俺が騒いだところで仕方がないってことは分かってる。それどころか、邪魔になるってことも。だけど、そう叫ばずにはいられなかった。

 このままだと、下級ではない本物の悪魔たちに囲まれてしまう。

 抱えたまま逃げるにしても、どこへ逃げればいい?

 どうすれば……

 ドウスレバ…………


「兄さま!!」


 ナンダ……?

 ニイ、サ、マ……って、ナンダ……?


「兄さま! しっかりしてください。私です。ユカヤです」


 最後に現れた悪魔は、この浄化されている場所へと恐れずに飛び込むと、悪魔の姿から日本の女神様っぽい姿に変身して、俺のところまでやってきた。


「ユ、カヤ……?」


 聞き覚えがあるような、無いような……


「兄さま……やはり私の記憶を失ってしまわれたのですね。秋津結茅姫アキツユカヤヒメ、それが兄さまが名付けてくださった、私の名前です!」


 悪魔……じゃないのか?

 日本の神様にしては髪の色がピンクだし、和装では隠しきれないほどの母性を超えた色気が溢れ出ている。

 豊満な肉体に抱き締められた俺は、違う意味で意識を喪失しそうになるが、そのおかげでなんとか気持ちを立て直すことができた。

 ……と同時に、緊張の糸が切れてしまったようで、ヘナヘナと脱力した俺は、ユカヤと名乗る女性に身を預けた。

 相手は俺のことを知っているようだが、あいにく俺の記憶にはない。

 なのに、なぜか懐かしいような安心感に包まれる。


 このまま身を委ねていたい気持ちもあるが、顔に押し付けられた柔らかな感触が、逆に俺の理性を刺激する。

 気合を振り絞って抗い、ぷはぁ~と顔を上げた。


「えっと、ユカヤさんだっけ? よく分からんが、俺を助けに来てくれた……ってことでいいのかな?」

「はい。ずっと……、ずっと探してました。本当に無事でよかったです。兄さま」


 涙で頬を濡らした女性が、再び俺の頭を抱きしめて胸に押し付ける。

 なぜ兄さまと呼ばれているのか分からないが、微かな震えまで伝わってくるので、これが演技だとはとても思えない。


「あーなんだ。感動の再会を邪魔するようで悪いが……」


 俺と女神(?)に挟まれた形になっていたネボコが、もぞもぞと動きながら申し訳なさそうに声を掛けてきた。

 そこで初めてこの子供の存在に気付いたのだろう。女神が驚きの表情で、素っ頓狂……とでも言えばいいのだろうか、思いっきり的外れなことを言い始める。


「えっと……兄さま? もしかして、この子、兄さまの子供……?」

「いや、違うからな! 気が付けば……」

「待て、待て! 話は後だ。とりあえず魔界を出ねば栄太が危うい。門を開くからそこへ飛び込め!」


 そう言うと、ネボコが再び目を閉じて精神を集中させ始め、上げた右手を荒廃した地面に向かって振り下ろした。

 そこに何やら光の文様が浮かび上がり、それが広がり、漆黒の穴が空いた。


「ほれっ、栄太よ、飛び込め!」


 ……と言われても、真っ暗な穴だけに勇気がいる。

 なんだか地獄にでも繋がってそうだけど、ぐずぐずしていても仕方がない。


「ユカヤさんは、どうするつもりだ?」

「いいから、はよ、飛び込め!」


 業を煮やしたネボコの叫びを聞いて……

 ネボコを抱えた俺は、女神ユカヤに抱き付かれたまま、真っ暗な穴へと飛び込んだ。

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