04 不安を押し殺す

 大きなカバンを背負い、小さなカバンを抱えてバスから降りた美晴は、メモを見ながら病院に入る。


 感染症対策か何かで少し前までお見舞いが制限されていたのだが、それが解除された今でも、検温と手の消毒は続けられている。

 それを終えた美晴は荷物を椅子に置くと、カウンターで面会手続きをする。


「あー、はい。なんや、いとこの兄さんが入院したっちゅうから、急いで駆け付けさしてもろたんやけど、意識不明って話やし、何が必要になるか分からへんから、とりあえず着替えやら何やら持って来たんよ。あー、兄さんの家族は、ちぃーと遠い場所ですぐには来れへんから、アタシはその代理やね」

「……そ、そうなんですね。それは、ご苦労様です。えっと、……繰形栄太さんのお見舞いですね。その、郡上美晴さんは未成年ですよね?」

「そやけど、未成年やったらあかんのん?」


 事前に伯父さん──栄太の父から病院に連絡が入れていたので、だいたいの話は終わっていた。

 入院手続きの書類一式と共に、注意事項などがまとめられた紙を渡された美晴は、看護師のお姉さんから簡単な説明を受ける。

 お姉さんは、子供が一人で来るとは思ってなかったから驚いたが、子供とはいえ美晴は高校生だし、母親が長く入院していただけに、その辺りの要領は分かっていたりする。


「兄さんとこも、うちの親も、すぐに来れへんし、せやから必要なもんだけでも思て取り急ぎ来させてもろたんよ。入院に必要なもんは、だいたい分かっとるし。あー、やけど、意識不明やったら、やっぱり要るもんもちゃうんやろか……」


 美晴は、渡された資料に書かれた「必要なものリスト」をチェックし、満足げにうなずく。足りないものは急いで用意するものでもないし、病院内の売店でも買えものばかりだった。

 美晴は、怒涛のように話しながらもテキパキと荷物をチェックしていく。

 その様子を感心したように見つめていた看護師は、美晴を褒め称えながら病室の場所を伝えた。




 まだ原因は不明のまま。

 とはいえ、意識不明が続いているものの容体は安定しているということで、栄太は個室に移されていた。

 ベッドに横たわる栄太には、様々な測定器具が取り付けられており、異変が起これば看護師が飛んでくるようになっている。


 意識がなく身動きの出来ない栄太には、まだ必要ないだろうけど……なんてことを思いながら、美晴は黙々と荷解きをしていく。

 帰る時用の服をハンガーに掛け、下着の替えやバスタオル、歯ブラシやコップなどを棚や引き出しに並べ、栄太の部屋から持ってきた物を次々と配置していく。

 スリッパや靴も持ってきたが、備え付けのスリッパや、入院時に履いていた靴があったので必要はなさそうだ。入院時に着ていた服と一緒に、持ち帰るカバンに詰め込む。

 美晴は緩衝材代わりに巻きつけていたタオルを外して、デジタル表示の置時計を取り出した。

 文字が大きくて見やすく、暗くなると仄かに光を放って夜中でも時間が分かるという、母親が入院していた時に美晴がプレゼントしたものだ。使いやすいからと、母親から預かってきた。

 それをテレビ台の上に置こうとして、そこにあった小さな紙袋に気付いた。

 栄太からでも見えるように時計を設置してから、その紙袋を手に取る。

 中から出てきたのは、静熊神社のお守りだった。

 それを見て、美晴は病室に入ってから初めて笑みを浮かべた。

 先に雫奈か誰か……静熊神社の女神さまが様子を見に来たのだと気付いたのだ。それも、お見舞いの手続きを無視して、この病室に直接現れたのだろう。

 美晴は音を立てないようにそっと手を合わせると、お守りに向かって、栄太が無事でありますように、早く目覚めますようにと、祈りを捧げる。


 残った荷解きを終わらせ、持ち帰るものをまとめ終わった美晴は、力無くベッドに横たわる栄太に近付く。

 様々なコードや器具が付けられていて痛々しい状態になっているが、隙間から見える表情は穏やかで、ほっぺを突っついたら目覚めるんじゃないかと思えるほどだ。


「ほんま、兄さん、何回気絶したら気ぃ済むのん? 前ん時は、すぐに目ぇ覚ましたやん。せやのに、今度は入院て……」


 あとは言葉にならなかった。

 することがなくなり、力無く椅子に座り込んだ美晴は、窓から差し込む光だけの薄暗い病室で、何をするわけでもなくボーっと栄太の姿を眺め続けた…………




 雫奈たちが現れた場所は、栄太がよく休憩に利用していた、中州のご神木が見えるベンチ近くだった。

 他に誰もいないことは、先に精神体の分身を送って確認してあった。


 御神木は、崩れ落ちた部分は回収されたものの、三分の一ほど残された幹はそのまま放置されている。

 それも朽ちていて、いつ崩れるか分からない状態だったけど、危険な中州に立ち入る者はいないだろうし、町のシンボルだったものを完全に無くしてしまうのは寂しいという理由で、朽ちるに任せて残すことになったのだ。


「……豊矛様、本当に消えちゃったのかな……」


 鈴音は犬の姿でご神木の残骸を眺めながら、ボソッと呟く。

 それを聞いた優佳は、鈴音を抱き上げると、慰めるように身体を撫で始める。


「豊矛様も鈴音も、管理者ではなく付喪神ですから。御神体を失えば力を失ってしまいます。ですから御神体は大事にしてくださいね」


 世界樹システムで生み出された意思を持つエネルギー体(自我)が、動物と結びつけば魂となり、それ以外に宿れば精霊となる。とはいえ、呼び名が変わるだけで、本質的には同じものだ

 御神木は、しばしば管理者の依代とされるのだが、御神木自身にも精霊が宿っており、人々の信仰を集めることで力を増して神格化することがある。

 豊矛様は、そういった神格化した樹木の精霊であり、精霊や魂は本体(御神体)を失えば存在できなくなる。いわゆる、自我の境界線が失われて拡散する、というやつだ。そうなれば、二度と元の状態には戻らない。

 もちろん、肉体を失っても強固な意志で自我の拡散を防いでいる、幽霊のような例外も存在するが……


「エイ兄は、大丈夫かな?」

「そうですね。兄さまの場合は、生霊の状態と言えばいいでしょうか。このまま魂が抜けた状態が続けば肉体が衰弱してしまいますし、肉体と魂との繋がりが断たれたら、二度と目覚めることは……」


 あまりにも不吉な内容だけに、優佳は途中で言葉を濁した。

 小さく息を吐いた雫奈は、不安そうにしている優佳と鈴音の向かって、元気付けるように明るく振る舞う。


「そういうこと。だから、手遅れにならないうちに、栄太の魂を見つけて解放してあげないとね。その為にも秋月様にご協力してもらえたらいいんだけど……」


 その言葉が聞こえたのか、何もない空間から秋月様が現れた。

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