3 他国に留学しました


 アリゼの作る魔道具は小物が多かった。傘、小さな湯沸かし器、伝書鳥、机に置いて手元を照らす魔道具。同級生と切磋琢磨して製作する時間はとても楽しくて、学校を卒業する頃には生き生きと伸びやかな娘に成長していた。

 同級生と話し合って共同で製作した街路を灯す魔道灯は、ヴィンランド王国で賞を受けた。王都に採用されるという。


 しかし、あと少しで卒業という時になって、何とフランソワ王太子が魔術学院の大学部に遊学して来た。

(どうして……?)

 学校は隣り合っていて、滅多に会う事はなかったが、学校が主催する夜会で遭遇してしまった。


「あら、あの方素敵ね」

「お綺麗な方ね。お貴族様かしら威厳があって怖そう」

 学友たちがさざめく。学院には貴族のご令嬢もいて彼を見知っていた。

「隣国のフランソワ王太子殿下だそうですわ」

 令嬢達の目の色が変わる。フランソワ王太子は背が高く、サラサラの金髪、青い瞳の美しい王太子であった。故国だけでなく、他国でも評判が高かった。


 彼はアリゼを見つけると、ゆっくりと近付いて来た。逃げたい。しかしアリゼは蛇に睨まれたカエルのように、逃げ出すことも、身動きすらできなかった。

「アリゼ嬢、踊らないか」

 王太子が手を差し伸べて、アリゼをダンスに誘う。

 悲鳴のようなどよめきが起こる。

(どうして……?)

 人が見ている前である。断れなくて一度だけと思って踊る。


 そういえば彼と一度も踊ったことはなかった。婚約者であったけれどずっと蔑ろにされていた。夜会は死んだ時の一度だけ、お茶会などあっただろうか。彼の周りにはいつも王立学園からの取り巻きがいた。


 フランソワ王太子はダンスが上手かった。音楽に乗って、風を切って流れるように踊りだす。ターンをするとドレスの裾が翻る。学校のホールをぐるりと駆け抜けるように踊って曲が終わる。拍手を浴びて我に返った。


「君はマクマオン侯爵家の令嬢だろう。どうしてこんな所に居るんだ」

 フランソワ王太子は手を取ったまま、アリゼを誘ってテラスに出た。そして、詰るように言う。

「こんな所で何がしたいのだ」

 悪夢は終わってはいなかった。アリゼは王太子を睨んだ。

「殿下に、お会いしたくございませんでしたの」

 彼に背を向けて、ホールの入り口に向かう。

「もう帰るのか」

「疲れましたの」

 アリゼは投げ出すように告げて会場から逃げた。


 後ろで騒ぐ声が聞こえる。フランソワ王太子の周りに人垣が出来たのだろう。この国でも彼の取り巻きが出来るのだろうか。

 そんなものは、アリゼは見たくなかった。

 本当は胸がまだドキドキしている。フランソワ王太子とダンスを踊ったことが信じられない。自分が分からない。あれだけ蔑ろにされて、最後は殺されたのに。

 彼がやった事ではないとはいえ、間接的にはあの男の所為だ。またあんな事が起きないと誰が言えよう。



 だが、それからフランソワ王太子は遠慮せずにアリゼに会いに来た。

「もう卒業するのだろう? いい加減、国に帰れ」

「嫌です。帰りませんわ」

「お前の行く所など他にないぞ」

 就職試験にも、大学の試験にも落ちた。自分の実力不足だと思っていたけれど、この男の所為なのか。

「どうしてそんな、あなたのような浮気な方は嫌いです」

「私は浮気ではない」

「嘘ばかり」

「真面目なものだ。君一筋だ」


 真面目な顔をして真面目な声で言われる言葉。金のサラサラの髪。惹き込まれそうな青い瞳。今、彼の周りには以前の取り巻き達はいない。今、二人の間には、何も遮る者がいないのだ。

 アリゼは本当に、この男が嫌いだったのだろうか。それとも取り巻きの所為で、彼自身を見ていなかったのか。

 分からなくなってくる。

「どうして……」と呟く声も弱くなる。


 他の男に恋すればいいのだ。それが出来たら。



  ◇◇


 アリゼに目を付けていた男がいた。この国のタヴィストック公爵家の嫡男サミュエルだ。

 魔道具の魔道灯の出来が良くて、ヴィンランド王国内で引き合いが殺到している。アリゼ主導で作ったと聞いた。身分的にも問題ないと、親にも勧められる。

 アリゼの銀の髪はシャンデリアに七色に輝く。ブルーグレーの瞳は熱を孕んで紫に染まる。細くてしなやかな身体、少し低い優しい声。

 悪くはないとサミュエルは思う。話しかければアリゼが赤くなってしまうのも、自分に気があるように思えた。


 サミュエルもまた、フランソワ王太子の登場に慌てた。

 アリゼは靡きそうで靡かない。赤くなって俯くけれど、頷かない。


 何を勿体ぶってと思った。細い、か弱い女だった。力尽くでも、薬を使っても、言い寄ってものにしよう。しかし、彼女はあまりひとりでいることがなかった。

 侍女と護衛の騎士がいて、人払いも出来ない。


 サミュエルは夜会の時に、庭園に連れ出し、薬を飲ませて別室に連れ込もうとした。アリゼはサミュエルの渡したお酒に少し口を付けた。少し変な味がして、顔を顰めて、渡した男を見る。

 サミュエルはアリゼの頭を押さえて、グラスを口に押し付け無理に飲まそうとした。驚いてグラスを押しやろうとしたけれど、少し飲み込んでしまう。

 飲み口は甘いけれど強い酒と、作用が強い睡眠薬が混ぜられた酒に、くらくらと眩暈がする。逃げようとサミュエルの身体を押しのけようとするが、天と地が回って足元もおぼつかない。

 サミュエルは彼女の身体を抱え上げ「酔ってしまったようだ」と、休憩室に運んだ。アリゼをベッドに横たえ、ドレスに手をかける。


「この国の貴族は、酔わせて乱暴するのが趣味か」

 不意に、冷たい声が呼びかける。

 サミュエルはびっくりして振り向いた。部屋の入り口にフランソワが立っていて、部屋に入って来た。アリゼの護衛騎士と侍女が後ろから来る。


「来るな! この女は私のものだ、私が見つけたんだ」

 サミュエルはいきなり抜刀して脅そうとした。ここまで来て得物を逃すとかない。自分の護衛も呼ぼうとした。

 サミュエルはこの国の公爵家の嫡男だ。国王である女王と殆んど同等であると教えられて育った。他国の者が何を言おうと自分より下位だと考えている。ここは自国であるから自分の方が尊いと思っている。


 フランソワ王太子の冷たい声が言う。

「その令嬢は私の婚約者だ」

「嘘だ……」

「嘘じゃない。アリゼが衰弱していたので延び延びになった」

「このっ! でたらめを言うな」


 部屋の騒動を朦朧とした意識でアリゼは聞いた。こんな所で騒動が起きるのは不味いのではないか。ふらふらする身体でベッドから身を起こした。

 サミュエルは後ろのアリゼの様子に気が付かないで、剣を振りかぶる。騎士はフランソワ王太子を庇って剣を払った。

「止めてっ!」

 弾かれた剣がベッドから飛び出したアリゼに当たった。肩口に綺麗に入って、血が噴き出した。

「あ……」

 信じられない様子で立ち止まったアリゼ。その身体が立っていられなくて、膝から頽れる。

「わっ、俺じゃない。俺の所為じゃない!」

 サミュエルは言い訳の言葉を叫んで逃げ出した。

「アリゼ!」

 何が起こったのか分からない。王子が叫んでアリゼを抱き留める。


 抱き上げられてフランソワ王子の身体がアリゼの血で染まっていく。そんなことをしたら、あなたの服が手が身体が血に染まる。

「何故庇う、あいつがそんなに好きなのか」

「違います……」

 それはひゅうひゅういう息の許で、言葉にならずに零れ落ちて消えた。



 どうして……。


 血の海にアリゼの手がだらんと落ちた。

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