時にゆとりを

ウゾガムゾル

時にゆとりを

男は生き急いだ。暇な時間が1秒たりとも発生せぬよう努めた。毎日いそがしく働き、休日は趣味や勉強といった予定を詰め込み、日に4時間しか眠らず、常にあくせく活動していた。そのためか色恋沙汰とは無縁であり、友人もいなかった。だが当人はそれを充実した毎日だといって満足していたのである。


さて、そんな彼も少し前に定年をむかえ、穏やかな老後が始まるはずだった。だが彼は退職してもなおボランティア活動や趣味に明け暮れ、睡眠時間はさらに減った。


そんな彼が盆栽の剪定を始めようとしていたときである。男は庭の物陰から、不審な物音を聞いた。訝しみながら近づくが、何もない。男は剪定に戻ろうと振り返った。


その時だった。彼の真横を鋭い金属が掠める音がしたかと思うと、不思議な服を着た謎の男性がドサッと倒れたのだ。その右手にはナイフが握られていた。男は倒れている謎の男につかみかかった。

「おい、何をしているんだ」

謎の男はナイフを手からこぼし、両手を挙げた。

「す、すみません、これには深いわけがあって……」

「どんな理由があろうと人を殺すのは正当化できないだろう」

「そ、それが……」

謎の男はまだあきらめていないようだった。地面に落ちたナイフをちらと見る。

「そんなに俺を殺したいか。恨まれるようなことをした覚えはないが」

「いえ、あなたに恨みがあるわけではありません」

「なら、殺し屋か。それにしてはずいぶん目立つ服のようだが」

男は謎の男の服を見た。金属部分が幾何学的な模様をつくりあげており、これで街中を歩いていたら確実に二度見されるような服だった。

「その服でどうやってここまで侵入してきたんだ」

「それも、少し説明が必要で……」

「まどろっこしいな。まあいい。話くらいは聞いてやろう」

男はナイフを取り上げて、近くにあった縄で男を縛りあげ、家に上げた。


「まず最初に問おう。お前は誰だ」

男は、ちゃぶ台を挟んで男にたずねた。

「私は、科学者なのです」

怯えたような口調で返す。

「科学者? 科学者がなぜ俺を殺そうとするのだ」

「……少し、説明が必要ですね」

科学者を名乗るその男はかしこまって答える。

「実は、この世界はループしているのです」

「は?」

男は困惑した。

「驚くのも無理はありませんが、実際そうなのです。具体的には、2040年より前のある日、突然宇宙全体の時間が1900年前後に逆戻りしてしまうという現象が何度も繰り返されているのです」

「それは、いったいどういう……」

「なぜかは私にもわかりません。ただ、大規模な時空間の調査をしている間に、偶然発見されたのです。前のループの人々の記憶はなくなるので、今まで見つからなかったのだと思います」

「うーむ」

男は、あまりの突飛な話を続ける科学者に当惑する。

「それから大規模な調査を行いました。まだ正確にわかっていませんが、誤差プラスマイナス2年くらいの精度でループの日付を割り出しました。今のところは2041年くらいにこのループが発生すると考えられています。今は2036年ですから、あと5年後くらいです」

「そ、そうか。だが、仮にその話が正しかったとしよう。それと俺を殺そうとしたこととなんの関係があるんだ?」

男は核心をつく質問をした。

「それなのです。実は、ループの際には全宇宙的な時空間の異常が広がっていくのです。その痕跡を調べたところ、異常の中心があなたにあることを突き止めたのです」

「何だと……」

「つまり、世界のループはあなたを基準として発生しているのです。私はこのループを止めるため、あなたの殺害を計画しました。このステルス服を着用して。しかし、なぜかこの服が故障し、また私は小石につまづき、殺害に失敗したというわけです」

男は飲み込めなかった。

「そ、そんな言い訳が通用すると思っているのか」

「そう言うと思いまして、こちらを用意させていただきました」

科学者は小型の装置を取り出し、男に見せた。

「これはなんだ」

「これに触れると、理論上は、以前の全てのループの記憶を復元できます。つまり今まで何度も繰り返し、そのたびに忘れてきた全ての記憶を思いだせるのです。これは普通の人には効果がありませんが、あなたのように特別な人間になら効果があるはずです」

「そんなことを言って、スタンガンの要領で気絶させるつもりじゃあるまいな」

「断じてそんなことはありません」

男はしぶしぶその装置に触れた。


すると、大量の光景、におい、音、感触が雪崩のように男の頭に流れこんできた。スタンガンではないが、全身に稲妻が走ったような感覚を経験した。


「これは、……そうか、俺は……」

「やはり、思い出したようですな。私の見積もりでは、少なくとも1000回の人生を歩んできたはずです。あなたも、そして私も、世界のすべての人が」

「こんなことって……」

男はしかし、今確かな実感を持って世界がループしていることを理解した。

「……というわけで、お願いがあるのです。どうか、死んでいただけないでしょうか? そうすれば、あなたは迷える世界の救世主になるでしょう」

「……そんなことを言われてもだな」

理解したからといって、自分の命を差し出すつもりにはなれなかった。しかも、男には1つ引っかかる点があった。

「そもそも、俺を殺したところで解決する問題なのか? 逆に世界が滅びてしまう可能性はないのか?」

「それは……」

科学者は口ごもる。しばらく思索した後、口を開いた。

「……その可能性も、確かにあります。だが、私は……」

科学者はうつむいた。

「すみませんでした。短絡的な解決策にすがってしまいました。確かに、あなたを殺したとしてもこれが解決する保証はどこにもなかったのです。申し訳ございません」

「うーん……」

男は科学者を警察に突き出そうとも思ったが、ループを解決できそうなのは彼しかいないと考え、これ以上は追及しなかった。

「まあいい。俺もこのループを解決したい。どうやら、あなたを応援するしかないようだ」

「本当に、ありがとうございます。きっとあなたにも協力いただくことになると思います。その際はよろしくお願いします」

科学者は深く頭を下げた。男は科学者の拘束を解き、ひとまず帰そうとした。

「ところで、さっそく聞きたいことがあるのですが」

帰り際、科学者は男に尋ねた。

「なんだ」

「ループが発生した詳細な日付と時刻は思い出せますか」

男は取り戻したばかりの記憶を必死に探った。だが、それらしいものは出てこなかった。

「残念ですが」

「そうですか、では、また」

科学者はそう言うと帰っていった。


ペースを乱されたが、男はまた忙しい日常に戻っていった。しかもループが近いとわかると、より必死に活動した。今は思い出しているが、次のループではまたすべて忘れてしまうかもしれない。そうなったら今まで積み重ねたスキルや知識が全部無駄になってしまう。今のうちにいろいろとやっておかなければ。そう考えたのだ。


そして、2037年。運命の時までおよそ4年。そんなとき、彼を悲劇が襲う。すい臓がんが見つかったのだ。余命1年と宣告された。男は科学者に電話しこのことを告げた。

「どうやら、俺はもう長くないらしい。だが、逆に世界にとって都合のいいことなんじゃないか? もし、やはり俺が死んで解決する問題だったのなら」

科学者は答えた。

「いや」

「どういうことだ?」

「実は、解析が進み、ループする年の予測が変わったのです」

「いつになったんだ? もったいぶらずに教えてくれ」

科学者は息を呑み、こう告げた。

「2038年、つまり来年です」

「何だと……」

男はショックを受けた。まだ余裕があると思っていたからだ。男はさらに、ここで奇妙な一致に気づいた。

「医者が言うには、俺の余命はあと1年らしい。そしてループも1年後。つまり……」

「もしかして、あなたの死がループのトリガーになっている? ちょっと考えさせてください」

科学者は一度電話を保留にし、数分後に再開した。

「やはりそうかもしれない。ループをさせないため、あらゆる手を尽くしてあなたの死を阻止しなければならないようだ」

「しかし、すい臓がんはかなり厄介ながんらしい。しかも割と進行していて、治らない可能性が高いんだと」

だが、科学者は言った。

「実は、私たちは、未だ公に発表されていないがんの治療法を知っています。あなたのがんなら、おそらく半年以内に治ると思います」

「本当なのか?」

男はそれを聞き、少しの期待を抱いた。

「我々の研究所に来てください。少し特殊な場所にあるので、今から行き方を伝えます……」


男は数日後、誰もいない路地裏のドアの前に立った。そこである言葉を唱えた。

「『無限の未来のために』」

すると、ドアが開いた。ドアの先には路地裏の汚さとは打って変わって清潔な廊下が伸びていた。男は訝しみながらも先に進む。そこには実験室のような部屋がいくつもあった。そして、彼は第765実験室の前で止まる。ガラス窓を除くと、あの科学者が待っていた。科学者はドアを開け、彼を招き入れる。

「どうぞ」

男は中に入り、部屋中を見る。過去に仕事で実験装置などを目にしたことはあったが、ここにあるものは見慣れないものばかりだった。

「不思議でしょう。本当ならば、あなたのような一般人が入れる場所ではありません。ですが、世界の危機ということで特別に許可が出たのです」

そして男は部屋の中心にあるベッドを見た。手術用のベッドのようだ。そばに大掛かりな装置がついている。

「この装置は、患者の体内にあるがんを見つけ出し、まあ簡単に言えば、破壊する機械です。似たようなものは既に実用化されていますが、こちらはより深い位置の、しかも進行したがんにも使えるという意味で新しいのです」

「これが……」

「これを使えば、半年前後で完治するはずです。既にその効果は実証されています」

男はベッドに座り、軽い麻酔を受けた。眠っているうちにすべてが終わった。

「今日の分はこれで終わりです。あとは毎週これをやるだけです」

「こんなに簡単なのか」

「はい。がんは治る時代なのです」

意外にもあっさりと終わり、彼は家に帰った。


半年後、科学者の宣言どおり彼のがんは完治した。これで死は免れた。科学者は、「その時」は2038年の9月ごろと言っていた。その時まで1年ほどある。彼は健康になった体で、ますます活動に励んだ。


だが、男はまた体調を崩し、病院に行くと、今度は白血病が判明した。男はすぐさま科学者に連絡した。

「そうですか……」

「これはなんとなく思っていることなんだが、俺は『その時』に死ぬことを約束されているのではないか? いくら頑張っても、宇宙が俺を殺そうとしているような気がするんだ」

「そうなのかもしれませんが……」

「ところで、この間のがんみたく白血病を治療する方法はないのか?」

「実は、それはまだできないのです」

「困ったな……」


男は普通の治療を受けながらも、できる活動を続けた。治療は順調に進んでいたが、少し良くなると脳梗塞、心不全のような症状が出た。最終的に男は寝たきりになった。


病院に科学者がやってきた。

「大丈夫ですか?」

「大丈夫なわけないだろう」

「……」

男はしばらく黙った後、言った。

「俺はもうすぐ死に、そして世界は生まれ変わる。これはどうやっても阻止できないようだな」

それに対し、科学者は答えた。

「もしかしたら、1つだけ方法があるかもしれません」

「それはなんだ?」

「コールドスリープです」

「コールドスリープ? それって、冷凍保存ってことか?」

「そうです。体を冷凍し、死なないままの状態に保存すれば、ループは起きないんじゃないかと」

男は答えた。

「しかし、眠っている間は何もできないだろう」

そういいながら、男は紙にペンを走らせていた。執筆活動をしているようだった。

「……前から思っていましたが、少々無理をしすぎじゃないですか? ゆっくり休んだほうがいいですよ」

「お前の知ったことではない」

男は冷たく返した。

「……コールドスリープは、身体を老化させずに保存するので、ある意味未来に行けるようなものです。未来に行けば、治療する方法も見つかるかもしれませんし、今ではできないいろいろなこともできるようになるかもしれませんよ」

その一言に、男は耳をぴくりとやった。

「……しかし、今私は入院中だ。それをお前の研究所でやるには、ここから抜け出さないといけないんじゃないか? そんなことできるのか?」

「できます。あなたと最初に会った時に使ったステルス技術を使えば」

「今度は壊れないだろうな?」

男が笑うと、病室はもぬけの殻になった。


「では、起動します。安全のため、500年後に一度解凍されるようにしています」

「了解。では、行ってくる」

科学者はコールドスリープ装置のハッチを閉め、起動した。だが、おかしなことが起こった。男が眠りにつくのを見届けて、数秒経ったかと思うと、男が再び目を覚ましたのだ。

「どういうことだ?」

すかさずハッチが開き、男が出てくる。

「こ、ここが500年後の世界か? あれ? あなたは……」

男は科学者を見て、困惑した。

「なぜ500年後の世界にあなたがいるんだ? そうか、不老不死の技術が開発されたのか……」

「いや、まだ3分しか経っていません」

「なんだって……」

男は目を丸くした。

「私にもよくわかりません。ただあなたが眠って少ししたら、すぐに起きられたのです」

男は自らの全身を見まわし、体を少し動かして言った。

「……俺の体感的には、確かに500年くらい眠っていた気がするんだが……」

「……」

科学者は少し考え、言った。

「もしや、コールドスリープによってあなたの時間が止まると、世界の時間も止まるのかもしれない。だからあなたにとっての500年が世界にとっては数分に過ぎなかったかもしれない……」

2人は科学者の研究室に入った。科学者は一通り計器を確認し、言った。

「やっぱりそうだ。あなたが眠っていた間、全宇宙で時空間の異常があった」

「なんだと……」

「つまり、あなたがコールドスリープしても、宇宙の時間が止まるだけで、何も解決しない……」

場は絶望感に包まれた。

「しかも」

科学者は言った。

「さらに悪いことに、またループの時間が更新され、2038年の1月と出た。もうあと3か月しかない」

「もはや、運命を受け入れるしかないのか……」

彼らは黙って病院のベッドに戻った。この脱走は数時間で終わったため、大きな問題になることはなかった。


この頃、男の病気は深刻になっていた。常に耐え難い痛みと息苦しさが襲うようになっていた。がんは全身に転移し、科学者の力でももはや治らないという段階になっていた。もはや打つ手はなく、ついに科学者が「最後の日」だと確定させた、2038年1月19日がやってきた。


正午。その時まで約15分。ほとんど危篤の男はベッドの上でもがき、床に落ちた。そこに科学者が見舞いにやってきた。

「な、なにをされているのですか!?」

男は床に這いつくばり、呼吸困難ながらも必死に告げた。

「こ……このままじゃ……死ねない」

「そ、そうかもしれませんが……」

科学者は口ごもりながら、男をベッドに戻してやる。

「申し訳ありません。私がもっといろいろと有能であれば……ループ時間の予測を何度も間違え、適切な治療も提供できずにここまで来てしまいました」

「とはいえ、もう、もう無理でしょう? もういいじゃありませんか。せわしなく活動しなくても。なぜあなたはそこまでして、忙しくあろうとするのですか?」

「……お、俺にとって……今日は……世界の終わりである……以前に……人生の……終わりでも……あるからだ……」

「それは、私も同じです。いや、世界中の全員が同じです」

科学者は心配そうに見つめる。

「みんなあなたと同じなんです。誰もあなたを置いて行ったりはしませんよ、文字通り」

「なんで……そんなに……冷静で……いられるんだ?」

「こういう時こそ、心の平穏が必要なのです」

「ああ……なぜ……私は……」

科学者は男の手を握り、優しく語る。

「あなたはきっと、不安だったのです。常に忙しい状態に身を置き続けた。もちろん、ループすることを知っていたから、時間がないと知っていたからというのもあるでしょう。でも、それだけじゃない。あなたは、孤独の寂しさから逃げるため、無理に忙しくしていた。そのせいでまた孤独になり、また忙しくして、というループを繰り返していたのです」

男は黙ってそれを聞いていた。

「あなたはもう一人ではありません。私がいます。世界中の皆がいます。みんな一緒に死にます。最期くらい、時間にゆとりをもって、ゆっくりされてはどうですか」

男は、震えて涙を流した。

「そ……そうか……俺は……」

文字通り、枕が濡れる。

その時まで、あと10分。5分。2人は会話もせず、ただゆっくり、その時を待った。

「いよいよです」

男はもう返事しなかった。だが、その顔は満足げで、すべてを悟ったような表情だった。


そして、何も起こらなかった。

男は、徐々に自らの体が快活になっていく感じを経験した。

科学者は、困惑した。

「これは……?」

男は、話せるようになっていた。

「なんだ……これは。なんだか、全身の病気が治っていくような……」

男は起き上がり、自分の両手を見る。

「ど、どういうことだ? 俺の死は回避され、……ループも終わった?」

「どうやら、非常に不可解なことですが、そのようです」

科学者は時計を見た。

「最新のデータの時点で、ループ時間は日本時間の2038年1月19日午後12時14分7秒、誤差は1秒以下まで抑えられているはずです。それを過ぎたので、もうループは発生しないはずです」

「そうか……俺は助かったのか」

男は思い直した。

「……いや、皆が、だな」

「ええ」

科学者は笑う。ふと、何かに思い当たったかのような顔をした。

「そうか」

「なにかわかったのか?」

科学者は言った。

「2038年問題って知ってますか?」

「2038年問題? ……ああ、なんか聞いたことあるな。世界中のコンピュータがおかしくなる、みたいな。2030年あたりにはもう99%対策は完了したと聞いていたが」

「はい、そうなんですが、その2038年問題の起きる時刻が、まさに『その時間』だったのです」

「はぁ……」

「2038年問題の原因は何だか知ってます?」

「いや」

「多くのコンピュータは、ある基準の時刻からの経過秒数で時刻を管理しているのです。その秒数が増えすぎると、オーバーフローを起こし、時刻がおかしくなったり、戻ったりしてしまうのです。これが2038年問題」

「その基準の時刻って?」

「日本時間だと、1970年1月1日9時0分0秒」

男はそれにぴんと来るものがあったようだ。

「それは、俺が生まれた日じゃないか」

「なんと……」

科学者は感嘆した。

「非常に不可解なことですが、その時刻に生まれたあなたの中の時間が、全宇宙と同期していた。そして、あなたの時間がオーバーフローを起こすと、世界がループしていた」

「では、なぜそれが直ったんだ?」

「それはきっと……あなたが時間にゆとりを持つことを知ったから、なのかもしれません。2038年問題を解決する最大の方法は、時刻を管理する数の桁数を32桁から64桁にすることなのです。それはつまり、時間に余裕を持つ、ということなのでしょう。全く不思議なことですが、そうとしか説明できないようです」

「そうか……」

男は深く深呼吸し、ベッドから立ち上がる。

「大丈夫なのですか?」

「ああ、すっかり治ったようだ」

そして、科学者の前に立つ。

「ありがとう。君のおかげで、世界は救われ、俺は死なずにすんだ。そして何より、大切なことに気づけた」

「いえ、気づいたのはあなた自身です。あなた自身が世界を救ったのです」

二人はゆっくりと、堅い握手を交わした。


そこで科学者が切り出す。

「それで、申し訳ありませんが、あなたにはすべてを忘れてもらいます」

それを聞き、男は困惑する。

「すべてを忘れる? どういうことだ?」

「あなたに我々の正体を明かしたのは、緊急事態かつあなたが重要人物だったからです。あなたがそうでなくなった今、我々の存在を知られたままでは困るのです」

「それは……」

「あ、誤解しないでいただきたいのですが、口封じに殺すというわけではありません。電気ショックにより本件の記憶を消させていただくだけです」

男は悲しい顔をした。

「しかし、せっかく……」

「大丈夫です。この事件のことは忘れますが、時間にゆとりを持つという考え方を忘れることはありません。このことを覚えたあなたは、その後の人生もゆったりと過ごせることでしょう。そして、誰か親しい友を見つけることでしょう」

男はうつむく。

「そうか……」

仕方ない、と男はベッドに座る。

「では……」

科学者は小型の装置を取り出す。スタンガンのような装置だった。

「ここ数年間、ありがとう」

「こちらこそ、ありがとうございました」

男は、静かに目を閉じた。




男は長生きだった。時にボランティア活動や趣味を行い、時に家で静かにお茶を飲む。夜はぐっすりと眠り、常に穏やかな生活を送っていた。活動を通して友人を作り、親密な関係を築いた。そんな彼は、彼自身にとっても、他の人から見ても充実した毎日を送っていたのだった。








男はあまりにも長生きだった。数々の戦争、日本の終焉、地球の放棄、人類の滅亡、太陽の爆発、銀河系の消滅を経験した。それでも男は宇宙空間を漂い続けていた。もう誰も西暦を数えている者はいなかったが、それが起きたのは2922億7702万6596年だった。12月4日15時30分7秒を迎えた。宇宙は強烈なエネルギーに包まれた。


1秒後、男は虚無に放り込まれた。

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時にゆとりを ウゾガムゾル @icchy1128Novelman

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