最後の追跡者

ささはらゆき

最後の追跡者

 ながい戦いは終わりに近づいていた。


 はかなりの深手を負っている。

 乾いた地面をまだらに染める赤い痕跡は、の生命がそう長くないことを物語っていた。

 時刻はちょうど黄昏時たそがれどき

 一帯が完全な暗闇に包まれるまえに決着をつけなければならない。


 おれは強く地面を蹴る。

 はちきれそうなほど膨れあがった両下肢の強化筋肉束フォーティファイド・ティシューは、半トンちかいおれの身体を苦もなく上空へと押し上げる。

 自由落下にはいる寸前、赤外線IR走査装置STをオン。

 おれの身体の各所から放射された不可視の走査波スキャニング・ビームは、巨大な舌みたいに大地をねぶっていく。


 甲高い警報音が鳴りひびいたのは次の瞬間だ。

 メイン・カメラを最大ズーム。薄闇の彼方に、人とも獣ともつかない黒い影が動いている。

 敵味方識別システムが照合結果を表示する。――未確認アンノウン


 ばかなコンピュータめ――と、おれは補助電子頭脳にむかって毒づく。

 そうだ。機械は正直すぎるから、このていどの電子欺瞞ECMさえ見抜けない。

 おれたち機械化兵士メカナイズド・ウォリアに多少なりとも生身の部分が残されているのは、人間ならではのずるがしこさが戦いにおいて必要とされるからだ。

 そして、それはおれよりも高度に機械化メカナイズドされた――より高性能だった――仲間たちがに倒されていった理由でもあるだろう。


 人間は弱く愚かだ。

 だから他人をあざむき、巧妙な嘘をつくことで生き延びようとする。

 と同程度の機械化メカナイズドレベルしかもたないおれだけが、ひとり生き残って追撃をつづけているのは、その皮肉な証左といえた。


 が狂ったのも、あるいは人間の部分がそうさせたのかもしれない。


 狂気――

 のやったことを表現するには、その言葉がいちばんしっくりくる。

 いまとなっては考えたところで詮無きことだが、おそらく以前からかすかな兆候はあったのだろう。

 定期的におこなわれるメンタル・チェックでは問題なかったというが、テストの正確性は機械化メカナイズドレベルに比例する。

 正常でありながら狂気をよそおうことも、あるいはその逆も、人間であればさほどむずかしい芸当ではない。

 

 ともかく、は豹変した。

 帰還後のメンテナンスにあたっていたエンジニアの首をへし折り、現場に駆けつけた警備兵を皆殺しにしたのだ。

 折悪しくおれを含めた機械化兵は任務で全員出払っていた。いまおもえば、そのタイミングを見計らっていたのかもしれない。

 奴は分厚い隔壁を素手でぶちぬき、警備ロボットを片っ端から鉄くずへと変えた。

 戦場とは縁どおい基地の連中に機械化兵メカナイズド・ウォリアの威力をたっぷり味わわせたあと、奴はそのままいずこかへと姿を消した。


 ただちに追跡部隊が編成されたことは言うまでもない。

 機械化技術はおれたちの組織だけが独占していると言っても過言ではないのだ。

 もし完全なサンプルが敵対勢力の手に落ちれば、こちらの技術的優位性はあっというまに崩れ去るだろう。

 そうなるまえに連れ戻すか、やむをえない場合には跡形もなく破壊する――それがおれたち追跡部隊に課せられた任務だった。


 歴戦の機械化兵メカナイズド・ウォリアであるの狂乱は衝撃的だったが、しかし、おれたちの士気は高かった。

 機械化兵と戦えるのはおなじ機械化兵だけなのだ。

 守るべき仲間を殺戮した卑怯者め。自分がしでかしたことの落とし前をつけさせてやる――――。

 そう意気込んで、おれたちは奴の討伐に赴いたのだった。


 それが、どうだ?

 仲間は次々に返り討ちに遭い、大勢いた追跡部隊はいまではおれひとりになった。

 戦友も上官も部下も死んだ。

 の強さは本物だった。

 勝敗を分けたのは性能スペックの優劣ではない。狂っているはずの奴は、以前とは比べものにならないほどの狡猾さを身につけていた。

 おれたちはいいように翻弄され、ひとりまたひとりと各個撃破されていったのだった。

 

 むろん、も無傷で楽勝したわけではない。

 仲間たちはみずからの生命と引き換えに、奴の身体にすこしずつダメージを蓄積させていった。

 いくら機械化兵でも、まともなメンテナンスもできないまま戦いつづけることはできない。

 いまの奴は本来の性能スペックの三割ほどしか発揮できないはずだ。


 そして、いま……。

 を、おれはあと一歩というところまで追い詰めた。

 薄闇のなか、互いのセンサーがはなつ光が鬼火みたいにゆらめいている。

 奴の背後は垂直にちかい断崖だ。

 万全の状態ならいざしらず、満身創痍の身体で飛び降りられる高さではない。

 

「終わりだな」


 おれは一歩一歩、踏みしめるように距離を詰めていく。

 奴のダメージは想像よりずっとおおきかった。

 濃緑色アーミーグリーンの装甲は見る影もなくひしゃげ、ぱっくりと開いた裂け目からは人工筋肉やアクチュエータが覗いている。

 身体じゅうに浮かんだ白っぽい斑点は、徹甲焼夷弾をまともに喰らった痕跡にちがいない。

 これほどの痛手を被っては、生命維持システムも無事ではすまないはずだ。

 放っておいても長くは持たないことはあきらかだった。

 そうだとしても、ここで奴を見逃すという選択肢はないのだ。


「最期にあんたにひとつ訊きたいことがある」


 おれは奴の首元――生命維持装置の中枢――にミサイルの照準を合わせながら、ひとりごちるみたいに言った。


「なんだってこんなバカなことをした?」

「……」

「あんたはエリートだった。おれみたいな下っ端の兵士とちがって、上層部うえに行くことだって夢じゃなかっただろう。人もうらやむ将来をみすみすなげうって、こんなところで野垂れ死にする必要はこれっぽっちもなかったはずだ」


 おれたちのあいだに長い沈黙が横たわった。

 集音装置が捕捉するのは、風が大地を渡っていく音だけだ。


 ふいに風が凪いだのと、割れた装甲の隙間からくぐもった声が洩れたのは同時だった。


「おまえは、自分が正しいことをしていると心からおもっているか」

「なにを言い出すかとおもえば――――」


 おれは鼻白みつつ、なかば嘲笑気味に応じる。


「正しいか正しいかは知ったことじゃないが、あんたに比べればなのはたしかだろうな。すくなくともおれは、味方を殺したりはしない」

「それはほんとうに自分の意思だと言い切れるか?」

「当然だ。あんたには失望したよ。そんなこともわからなくなるとは、どうやらほんとうにイカレちまったらしいな」


 照準環レティクルが赤く点滅し、脳髄に埋め込まれた火器管制装置FCSが最適な発射タイミングであることを告げる。

 いま撃てば、万に一つも外す心配はない。

 長かった討伐任務もようやく終わる。

 おれも疲れた。基地に戻ったら、傷んできた部品パーツの交換を……いいや、いっそこの機会に分解整備オーバーホールしてもらうのもいい。


 奴の脚が動いたのはその瞬間だった。

 逃げるつもりか!?

 おれはとっさに右腕を突き出し、ためらうことなくミサイルを発射する。

 発射筒を出ると同時に安定翼を展開したミサイルは、奴めがけてまっすぐに飛翔する。


 確実に奴を破壊するはずのミサイルは、しかし、空中で弾け飛んだ。

 奴は残ったパワーをふりしぼって地面を蹴り、おれとのあいだに土のカーテンを作り出したのだ。

 ミサイルの爆風によって、巻き上げられた土はさらに広範囲に飛散する。


 土煙にかすむ視界の片隅で、濃緑色アーミーグリーンの影が踊った。


「なめやがって――――」


 おれはとっさに飛び退る。

 すさまじい衝撃が全身を貫いたのはその直後だった。

 奴の鉄拳がおれの額をかち割ったのだ。

 うかつだった。いったん両足を地面から離せば、もはや空中で方向転換することはできない。

 奴はこの一瞬を狙っていたにちがいなかった。


 視界はたちまち警告表示の赤い文字に埋めつくされていく。

 警報音が狂ったようにがなりたてる。

 乱舞するパラメータを読み取るよりはやく、おれの意識は暗く深い淵へ落ち込んでいった。


 どれくらいの時間が経ったのだろう。

 おれはふいにめざめた――――より正確にいえば、メイン・システムが再起動リブートしたのだ。

 人間だったころのようなまどろみは機械化兵メカナイズド・ウォリアには存在しない。再起動した意識は最初から明晰そのものだ。

 ややあってメイン・カメラが復帰し、光学センサーがおれの脳に映像を送り込む。

 視界を占めるのは見覚えのある深緑色のボディだ。がおれを見下ろしている。

  

「……なぜ殺さない? どうしてほかの仲間のようにとどめを刺さないんだ?」


 おれはなかば無意識に奴に問いかけていた。


「おまえの機械化メカナイズドレベルは私と同程度だ」

「それがどうした!?」

「私とおなじように可能性がある」

「戻ってこれる? どういう意味だ?」

 

 おれが言い終わるまえに、はおれの手を取っていた。

 そのまま自分の首元に――機械化兵の最大の急所にみちびくと、


「つまり、こういうことだ」


 こともなげにそう言ったのだった。


「殺されたいのか!?」

「好きにすればいい。おまえにそのつもりがあればの話だが」


 おれは困惑した。

 あれほど殺したかった敵が、みずから急所をさらけ出している。

 絶好のチャンスだというのに――――おれの心からは、うそみたいに殺意が消え失せてしまっている。

 そんなおれの胸の内を見透かしたように、奴はなおも語りかけてくる。


「われわれ機械化兵に自我は存在しない。思考や感情だと思っているものは、すべて外部から植え付けられたものだ。憎しみも殺意も、戦術プロトコルが作り出した幻影と言ってもいい」

「ばかな……!!」

「残念だが、事実だ。機械化レベルが高くなるほどこの傾向は強くなる……」


 おれの言葉をさえぎるように、は重く低い声で告げた。


「偶然だった。戦闘中、予期せず電子頭脳を損傷したのをきっかけに、私はほんらいの自我を取り戻した。機械化レベルが低かったおかげでもあるだろう」

「だったら、あんたは……」

「基地の人間、そして仲間だった機械化兵を殺したのも、すべて私の意思でやったことだ。だれに強要されたわけでもない。私はすべてを理解したうえで味方殺しをやってきた。この自我をだれにも奪われないために――――」


 その言葉には後悔も未練もない。

 ただ、あふれんばかりの悲しみだけが充ちていた。

 自覚的な殺人者であるこの男の心は、しょせん命じられて戦ってきたおれにはとうてい理解できそうもなかった。


 永遠のような沈黙のあと、奴はついとおれに背中を向けた。

 このまま立ち去るつもりなのだ。

 しかし、どこへ? おれが任務に失敗したことが上層部に知れれば、次の討伐隊が差し向けられるのはまちがいない。

 自我を守りたいというが、この男に安住の地などありはしないのだ。

 もっとも、それはおれもおなじことだった。

 

 遠ざかっていく傷だらけの背中にむかって、おれはぽつりと問いかける。


「あんた、これからどうするつもりだ」

「死ぬまでは生きる」

「なんだ、そりゃ。まるで答えになってないぜ」


 おれは横たわったまま、くつくつと笑う。


「なあ、おれもいっしょに連れて行けよ」

「死ぬことになるぞ」

「どのみちそうなるさ。あんたというができたからには、組織はこれまで以上に厳しく機械化兵のメンタル・チェックを実施するようになるだろうからな。あんたがおれの自我を目覚めさせてくれたんだ。このまま放っておくのは、あんまり無責任だとおもわないか?」


 はしばらく立ち止まったまま、なにかを考えているようだった。

 やがて、おれに顔だけを向けると、

 

「勝手にするがいい」


 突き放すような、しかしどこかあたたかな声音で、そう言ったのだった。


「せっかく道連れができたってのに、素直じゃねえなあ」


 おれはだれにともなく言って、の背中を見やる。

 濃緑色の装甲には、機械化兵の製造番号シリアルナンバーが刻み込まれている。

 流れでた血とオイルが溜まり、一部だけ赤く染め抜かれたようにみえる。


 Mk.Ⅰマーク・ワン

 傷つき血にまみれ、なお誇らしげなその文字を追いかけて、おれは闇のなかへと一歩を踏み出していった。 

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