猫の前のエルフの空寝


「火薬?」


 予想していなかった方向の話題に、思わず目を瞬かせる。


 すると猫獣人は突如こちらのフードの中に勢いよく顔をつっこんで、俺の首筋のあたりですんすんと匂いを嗅ぎ始めた。

 これは無抵抗で粛々と受け入れるのと、やめてくださいと涙目で被害者ぶるのとどちらがメリットがありそうかを俺が判断するより早く、また勢いよく顔を離した猫獣人が、真正面からこちらをのぞき込む。


「最近シュパパンくん使ったでしょ」


「シュ……なんですか?」


「シュパパンくん。撃つと火薬がシュッてなってパーン!ってなるからシュパパン……あー、えっと、ちまたでは鉄砲とか、拳銃とか呼ばれてるんだっけナァ?」


 鉄砲。拳銃。確かに昨日使ったが、なんだ、この会話はどこへ向かっている?

 相手の目的が分からないことには動きようがない。というかいまだに両肩を掴まれていて物理的に逃げられない。とりあえず対話を続けてみるしかないだろう。


 警戒は緩めないまま、表面上は無害な美少年を装って首を傾げた。


「その、シュパパンくん、がどうかしたんですか?」


「見せて」


「えっ」


「ネェ見~せ~て~!!!」


「ちょっ、ゆらさなっ、ぅえ」


 肩を起点に前後にがくがくと揺さぶられて、さすがに制止の声が漏れる。

 これを耐えれば俺にメリットが発生するというなら死なない程度にいくらでも耐えてみせるが、そうじゃないなら軽率な脳髄シェイクは遠慮願いたい。

 何かのアトラクションとでも思っているのか、背中の赤ん坊がそれにきゃっきゃとはしゃいだ声を上げたところで、猫獣人の両手がパッと肩から離れた。


「そういえば自己紹介してなかったナ。ララワグはネェ、ララワグっていうんだ。ラァラって呼んでくれてもいいよ」


 そしていつの間にか取り出した片眼鏡モノクルを右目側に装着したかと思うと、よくわからん決めポーズ付きでぱちりとウインクをする。


「そしてララワグは、旅する天才技術者! 心ときめくカラクリに出会うため、あちこち気ままに飛び回ってるんだ。ってことで、よろしくネェ」


 向けられた情報を揺れのおさまらぬ脳でどうにか拾いつつ、コルです、商人見習いです、よろしくお願いします、と無難な自己紹介を返した俺に、猫獣人……ララワグがまた顔を寄せてくる。一々近いな。


「で、シュパパンくんは?」


「すみません、持っていないのでお見せすることは出来ないんです」


 射撃訓練のとき以外、銃はムシダに預けてある。

 よって持っていないというのは事実だ。正しくは、“今俺は”持っていない、だが。


「え~。こんなに火薬のニオイさせてるのにぃ? 持ってないの?」


「ご期待に添えず申し訳ございません。ラァラさんは、どうしてそんなに銃……シュパパンくんが見たいんですか?」


「今、鉄のカラクリにハマってるんだよネェ。だからシュパパンくんのことも、たくさん見て調べて分解して組み立てて楽しみたいんだ!」


 持ってなくて正解だったかもしれない。

 雑魚エルフ俺にとっての唯一の切り札を、自称天才技術者の手に委ねるのはさすがに怖い。


 素敵ですね頑張ってください、と心にもない社交辞令を吐きながら、さてどう会話を切り上げようかと考えていると、ララワグがふいにその猫耳をピッとそばだてた。

 周囲の音を探るように、赤茶の耳が動く。


「おっと時間切れ。じゃあネェ、美少年。あ、オマケにララワグがまとめたシュパパンくんの解説書あげるぅ」


 またどこからともなく小冊子のようなものを取り出すと、返事も聞かずに俺へ押しつける。


「それ見て興味が出たら、次はララワグと“お取り引き”しようナ! 美少年な商人見習いさん!」


 金の瞳を細めて微笑んだララワグはそう言って軽く手を振ると、人の足元を通り抜ける猫のように、音もなく人波の中へと消えていった。


 出会いから別れに至るまでの怒濤のごとき勢いに束の間呆然としたあと、手元に残された小冊子に視線を落とす。

 『シュパパンくんのすべて』とクレヨンみたいなもので書かれたタイトルと、その下に自画像らしきデフォルメされた猫獣人の顔が描かれた表紙を眺めながら、俺は知らず知らず詰めていた息を吐き出そうとした。


「おい」


「ごほっ!」


 しかしごく近いところから突然響いた声に、たった今吐こうとしていた息と、驚きで反射的に吸い込んだ息が、喉の奥で行き場をなくして盛大にむせる。


 一瞬で呼吸困難になりかけた俺へ「大丈夫か」と淡々とかけられた言葉に、お前のせいだろという旨の反論を百枚ほど美少年オブラートに包んで言ってやろうかと思ったが、振り仰いだその顔が思いのほか普通に心配そうであったので、俺は吐き出しかけたそれをやむなく飲み下す。

 そして今度こそゆっくりと息を吐いてから、相変わらずアサシン並に気配の薄いダークエルフに改めて向き直った。


「少しむせただけで、別に体調崩したわけじゃないんで大丈夫ですよ。この通り元気なもんです」


 まぁ万全かといえば万全ではないからこそまだタリタ達の庇護下にいられて、こうして安全に金を稼げているわけであるが、少なくとも今むせまくっていたのは実験体生活の後遺症が云々みたいな話ではまったく無いため心配されるほどのことはない。


「ならいいが。中々戻らんから、てっきりその辺で行き倒れているか、絡んできたごろつきから逃れるためにすかさず同情を買おうとしているか、金目当ての人間に捕まって力のかぎり命乞いでもしているのかと」


「僕に対する斜め下の信頼が厚い。というか、ヴェスこそ店はどうしたんですか?」


「商品なら私たちが今身につけているもの以外は全て売れた。であれば、からの店を守る意味もないだろう」


 よって帰ってこない俺を探しにきた、ということらしい。

 しかし完売とは、自分で謀っておいてなんだがイケメンの販促力つよいな。美しさは罪ならぬ金である。


 ヴェスは左手の指先で雑に引っかけるようにして持っていた売り上げ入りの布袋を俺に渡そうとして、ふと怪訝そうに片眉を上げた。


「その紙は?」


「え、あぁこれは、シュ……銃の解説書らしいですよ。なんかよく分からない人に貰いました」


「……よく分からない人?」


 銀貨の落とし主。猫獣人。自称天才技術者。

 そんなララワグとのやりとりをかいつまんで説明すると、ヴェスはその隻眼に呆れた色を乗せた。


「お前に警戒心というものはないのか?」


「人並み以上にあると思いますけど、それを表に出すの僕のやり方と相性がよくないし……あと相手が実力行使で来たらどのみち勝てないっていう」


 クソ雑魚エルフの称号は伊達ではない。

 何度でも言うが俺の場合、抵抗のそぶりを見せるより従順に振る舞っておくほうが生存率アップの可能性が高いのだ。


「でも客観的に見て敵意とかは感じなかったですし、これも受け取ったからと損は……あ?」


 会話の片手間にぱらぱらと小冊子をめくった俺は、その中身を見て思わず素の声を零した。

 何か信じられないものを目にした気がして、今度は丁寧に、頭から終わりまでのページをめくる。そして感嘆の息を吐いた。


「え、これ、すごくないですか」


 小学生の自由研究のような緩すぎる表紙に反し、小冊子の中身は、緻密に描かれた図と適切な銃の解説で端から端までびっしりと埋め尽くされていた。

 上から中をのぞき込んだヴェスが、疑わしげに眉根を寄せる。


「あってるのか?」


「ちゃんと照らし合わせて確認してみないことにはですけど、おそらく……」


 基本構造、構え方、使用方法、手入れの仕方、注意点など、あまり多くないページ数の中に、今の俺に必要な情報がこれでもかと詰まっていた。

 まぁ部品パーツの名称についてだけはクルルンちゃんだのパッチンくんだのグイグイ先生だのと意味不明の擬音語で埋め尽くされていたが、その分を差し引いたとしても非常に有用な一冊に仕上がっている。

 この小冊子を書いたのが本当にララワグであるとすれば、天才技術者というのも自称や誇張ではないのかもしれない、などと考えていたところで、改めて目の前に売り上げ入り布袋が差し出された。


「何にしろ、用件が済んだならばさっさと戻るぞ」


「ああ、うん、そうですね。赤ん坊にミルクもあげないと」


「ぶあうー」


 ミルクという単語に反応したのか、声を上げた赤ん坊が手足をばたつかせ始める。

 解説書はあとでゆっくり読み込むことにするかと布袋を受け取って歩き始めた俺の横に、ヴェスも並んだ。


「コル」


「はい?」


「その猫獣人について、敵意は感じなかった、と先ほど言ったが」


「はあ」


 確かに言ったが。

 だからどうしたという気持ちで隣を歩くダークエルフを見上げると、臙脂えんじ色の隻眼がひたりと俺を捉えた。


「おまえのどう思ったんだ」


「…………」


 まさかそこを突っ込まれるとは思わなかった。


 わざわざ“客観的に見て”なんて枕詞をつけたのは、確かに俺の中に多少思うところがあったからだろう。

 だがその発言自体には特に含みはなく、ほとんど無意識に近い言葉選びだった。なんなら自分でも今指摘されて初めて“なるほどそう取れるな”と気づいたほどである。


 事実ララワグの言動に、敵意と取れるようなものは見受けられなかった。

 怪しくないとは言わないが、態度は至って友好的。距離感がやたら近いのがなんだが、それも害意などとは結びつかない。


 ちょっとパーソナルスペースがバグっているだけのフレンドリーな変人。

 あの場ではそう結論づけるしかなかったはずだ──客観的には。


 主観なんてあやふやなものだ。

 自分と他人どころか、自分だけの中ですら、その日の体調や時間の経過などの内的・外的要因で、いとも簡単に写るものが変わる不確実な意思カメラを抱えて俺たちは生きている。

 そんな俺のポンコツカメラで撮った写真が気になるらしい犬仲間に、ひとつ息を吐いて肩をすくめた。


「まぁちょっと、目がね、なんとなく……似てるかなって」


「何に」


 根拠も確証もひとつもなく、直感というにはあやふやで、主観というにも正直お粗末な、ただのぼやけた印象の話でしかない。

 けれど、好奇の滲む表層の奥に冴え冴えとした光を湛えた、あの金の瞳は。


「僕らのよーく知っている類の方々に、ですかね」


 希少な実験動物モルモットを見る科学者のそれに似ている気がした。

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