情けは利益の先にある


 毎日少しずつながらも着実に怪我が治り、体の自由が利くようになっていくのと合わせて、常時ぴりぴりとしていたヴェスの全方位警戒モードも徐々に落ち着きを見せ始めていた。

 ただし警戒心が薄れたというよりは、何があろうと即座に相手を殺せるだけの体力が戻ったのでもう問題ない、という殺意に溢れた方向の余裕が出てきたというべきか。

 動機がなんにせよ心のゆとりが戻ったのは良いことである。ただ願わくは相手を殺す前に、俺に何かしらの申請書類を提出してほしい。却下するから。


 そんな俺も日常生活には支障がないくらいに回復した。

 全力で走ったり転げ回ったり戦ったりはまだ厳しいだろうが、俺はそもそも日常生活以上の大立ち回りなどする気がないというかハナからそんなもん出来ないので実質完治と言っていいだろう。


 しかしタリタ達に匿われているとはいえ、これまで追っ手の気配など欠片もない平和な療養生活だったわけだが、追っ手なんて本当に来るのだろうか。

 来るんだか来ないんだか分からないままずっと警戒し続けなきゃならない、というこの状況は、確実に来ると決まっているよりもメンタルへの負担がでかいものだ。


 今更その程度でどうこうなるメンタルはしていないが、かといって備えないわけにもいかない以上、今のうちに多少の自衛手段は確保しないといけないのかもしれない。

 今は仲間をしてくれているヴェスに頼れるうちは戦闘要員として頼りまくるつもりではあるが、“恩義”とやらがいつまで有効なのかも不明であるし。


 とはいえ百年以上かけても落ちこぼれエルフ俺の魔法が急に上達するわけもなければ、前世からの運動神経クソザコ人間俺にいきなり格闘能力が開花するとも思えない。

 苦手をこつこつ頑張る、なんてのは時間と体力と精神と金に余裕のあるやつが、得意のついでにすることだ。

 元のスペックも何もかも十分ではない現状、まるで向かないことに時間を割くより、今の俺でもどうにか形になりそうな“最後の切り札”を見繕うほうが効率的だろう。


 自衛といっても欲しいのはあくまで切り札。最終手段としての力だ。おそらく多用することはないだろうが、あるとないでは取れる選択肢も変わってくる。

 ちなみに俺のメインウェポンは変わらず、一切躊躇のない命乞いと一瞬のためらいもない媚び売りである。

 だってこちとら戦闘民族ではないのだ。俺単体で考えれば下手に戦うより命乞いするほうが確実に生存率が高い。閑話休題。


 というわけで。


「あの、監視付きでも鎖付きでもいいので、僕に銃の撃ち方を教えてほしいのですが」


 恒例となった昼時の雑談中にそう話を切り出すと、タリタはきょとんと目を丸くした。


 タリタとの契約期間は怪我が完治するまで。

 よって今現在の、ほとんど問題なく動けるがまだ完治には至っていない、という体の自由が利いてなおかつタリタの庇護下でいられる僅かな間に、ここから出た後の算段を少しでも整えておきたかった。


「銃? ……ああ。あんたらが最初に預けてきたあの鉄砲のことかい」


「はい」


「撃ち方か。そいつはちょいと難しいねぇ」


「あー、やっぱりそうですよね、危険な武器ですもんねぇ」


「いやいや、誤解しないどくれよ。別にあんたがこっちに危害を加えると思ってるわけじゃない。単純に“教えられるやつがいない”って話さ」


「え。銃を扱える人がいないってことですか?」


「そりゃあ全く伝手がないってこたぁないんだが、少なくともあんたに……エルフに引き合わせても大丈夫そうな信頼の置ける人材を見繕って引っ張ってくるとなれば、一朝一夕ってわけにゃいかないね」


 タリタの話によれば、銃という武器はまだまだ一般的ではなく、価格も高価で流通することはほとんど無いらしい。

 現状ではその製造の大部分が国によるもので、使用するのも王国直属の兵士隊くらいに留まっているそうだ。


「なにせ本体も火薬も弾も、とにかく値が張るからね。そのへんの傭兵やごろつきが振り回すにゃ高すぎる代物なんだよ」


 とはいえ民間での使用が禁止されているわけではないので、金のある貴族や好事家がコレクションとして所持していたり、一部のマフィア的な闇組織などでは稀に使用されていることもあるという。

 どちらにせよ俺が教えを請いに行く相手の選択肢とするには、なんというか、鴨ネギならぬエルフネギという言葉が脳裏をよぎるラインナップである。それくらいなら独学で試行錯誤するほうがいっそリスクが少なそうだ。


「ふむ……ところで、あんたらは怪我が治ったらここを出て行くんだよねぇ」


「はい。そのつもりですけど」


 いきなり切り替わった話題に内心首を傾げつつも肯定する。

 一応追っ手がいると仮定するならば、あまり長く一ヶ所に留まるのは得策ではないだろう。今後にまったく当てはないが、ひとまず各地を転々と旅をしながら逃避行するつもりだ。


 すると何やら思案げにしていたタリタが、ふいにニヤリと笑った。


「そうさねぇ。鉄砲の撃ち方は教えられないが、練習場所なら提供できるかもしれないよ」


「練習……ですか?」


「ああ。いろいろと、ね」


 そう言って意味深に目を細めたタリタに、どういうことやらと隣で相変わらず黙々と飯を食い続けていたヴェスと視線を交わした、その数日後。




「いや~エルフさん達、元気になったみてぇでよかったなぁ!」


「ほんとほんと。目の前でぶっ倒れたもんだから、死んでしまったかとひやひやしたよ」


「その節はどうも、ご心配をおかけしました」


 俺たちはなぜか自警団の馬車に揺られながら、あのとき助けてくれた自警団の人々との雑談に興じていた。

 いや、喋ってるの俺だけだけど。ヴェスは隣に座って無言でそっぽ向いてるけど。眉間のしわはだいぶ険しいが、あからさまな殺気を放ってないだけましか。

 赤ん坊? 俺の膝で寝てるよ。ちなみに名前はまだ無い。別に何でもいいと思うとかえって決め手に欠けるものである。


 そして勢いで“なぜか”とか言ったものの、ここにいる理由はちゃんと分かっていた。

 タリタが事前に説明してくれたし、もちろん俺も納得した上でこの場にいる。でもまさかあの話からこんな流れになるとは思っていなかったのでつい。


 俺とヴェスが商人ギルド直属自警団の馬車に乗っている理由は、主にみっつ。


 ひとつめは、長いこと屋敷の中だけで過ごしていた体のリハビリ。旅立ちに向けて徐々に体力戻してこうぜという話だ。

 ふたつめは、世間知らずエルフこと俺が、人里に慣れるための予習。自警団の人々は今、仕事のためにとある村へ向かっている。そこで俺たちもちょっとした手伝いをこなすことになっていた。


 そしてみっつめが、銃の特訓のためだ。

 自警団の鍛錬場など銃の特訓に使えそうな場所は街中にもあるにはあるらしいのだが、音だのなんだの、街ではさすがに騒ぎになるだろうからと野外練習をする運びとなった。

 道中、休憩がてら人の来ない場所で馬車を止めるから、そのときに少し離れた場所で試せばいいとのことだった。


「弾と火薬はタリタから預かってる。急なことでこれしか用意できず、すまないと謝っていた」


「そんな、十分です。ありがとうございます」


 向かいの座席に座るムシダが大きな熊の手で手渡してくれたのは、十発分の弾と火薬が入った小箱だ。

 今の会話を聞いて分かるように、今回タリタは一緒に来ていない。街のほうで顔役としての仕事をこなさないといけないらしい。


 銃本体は、使うとき以外はムシダに所持してもらっている。

 練習するときもムシダの監視下で、というのもこちらから申し出た条件だ。分かりやすい誠意ってやつである。

 事前に用意してもらった丈夫な布リュックに火薬と弾を納めて、とりあえずヴェスに託しておく。


 ちなみに今の俺たちの服装は療養中に着ていた白の上下ではなく、外を出歩いても違和感のない商人風の軽装となっている。

 軽くて丈夫な靴、だぼっとした長ズボンに、ゆったりとした半袖のシャツを合わせて、シャツごと胴体をベルトで締めてある。


 ヴェスのほうはそこへさらに長い布をマフラーのようにぐるりと首もとに巻いており、俺のほうはエルフ耳隠しのためにフード付きの黒いローブを着ていた。

 そもそもが片目隠れヘアーな上に目深にフードを被ってるもんだから視認性最悪すぎて笑える。いやもう目隠れについては慣れたけど。


「にしてもエルフさん、よくあのときオレらの馬車の前に飛び込んできたよなぁ」


「コルでいいですよ。あのときはもう、必死だったものですから。本当はあれほどギリギリに飛び出す予定じゃなかったんですけど」


 隣でヴェスがやや気まずそうに身じろぎする気配がした。

 別にお前のせいとは言ってないだろ。いやお前との押し問答がなければもっと安全に降りる時間があったのは事実だが結果よければよしだ。


「まぁまぁ、それもそうだけどよ。オレらの馬車、でかでかと商人ギルドの紋章が描いてあったのに、よく……その、捕まって売っぱらわれるとは思わなかったのか?」


 ああ、そういう話か。

 もちろん考えなかったわけではないが、それはそれで“あり”だとも思っていた。

 あのときはエルフのお値段が俺の予想以上であることを知らなかったのもあるが、仮に知っていてもあの状況ではおそらく同じ選択をしただろう。


 物の価値を知る商人であればこそ、“商品”に傷を付ける可能性は低い。

 もちろんタチの悪い商人なら“バラ売り”にしてもお高いわけだし抵抗されないようにとりあえず息の根を止めておく、という方向もなくはなかったろうが、ある程度の基準で選抜されているであろうギルド直属自警団の人間ともなれば、そこまで迂闊な手段には走らないだろう。

 それは人柄がどうこうではなく、実利的な話として生け捕りにしたほうがさらに色んな使い道があり、死体より遙かに高く売れるかもしれない、ということを馬車に乗るうちの誰かしらは理解している可能性が高い、ということだった。


 あのまま山で野垂れ死ぬのと比べれば、商品としてだろうが何だろうが、ひとまずその瞬間を生き延びる確率が少しでも高い藁にすがったほうがいい。後のことはそれからだ。


「確かに不安はありましたけど……でも、こうして僕たちは皆さんに助けていただいて、今も生きています。あのときの僕は、正しい判断をしたと思いますよ」


「そうか……本当に、元気になってよかったなぁ」


「はい。ありがとうございます」


 まぁ実際は思いのほかみんなお人好しだったので嬉しい誤算である。

 そしてただお人好しなだけというわけでもなく、俺たちに関する口止め料や今回の件に関する依頼料をタリタからたっぷり受け取っているらしいので、貰った分の仕事はするから安心しろよな、と皆様から良い笑顔のサムズアップを頂いた。個人的に下手な善意よりも利害の一致のほうが余程信用できるのでそれはいいのだが。


「それじゃあ短い間だけど仲良くしようぜ。オレの顔と名前覚えて行ってくれよな」


「報酬もたんまり貰って、姐さんに貸しも作れて、さらに生ける伝説と言われるエルフとの伝手まで出来る。こんな美味しい話は中々ねぇわ」


「そうそう。捕まえて即売っぱらって、なんて短絡的で先の読めないバカがすることさ。エルフに恩売ってお近づきになっとくほうが後々まで絶対、」


「……お前ら。あんまり絡むんじゃない。ちょっと静かにしてろ」


 ムシダに注意された団員達が、「ハイお頭」と行儀よく返事をして口を閉ざす。

 しかし閉ざしたのは口だけで、俺にひらひらと手を振って笑う彼らのお人好しさと商人らしい抜け目のなさ、隣で眉間のしわを深めるヴェスの逆鱗に触れないぎりぎりのところで引き下がる見極めの上手さなどは、なるほど全員タリタとムシダの部下だなと妙な納得を胸に運んだ。


 そうして軽快に進む馬車の中、商売の“し”の字も知らない赤ん坊だけが、すぴすぴとのんきな寝息を立てていた。

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