話し合いは腰を据えて


 寝間着のまま髪を振り乱して部屋へ飛び込んできた熊獣人女性の剣幕に気圧されつつも、彼女の先導に従って、俺はヴェスに支えられながら屋敷の奥まった場所にある一室に通された。


 寝室らしきその部屋でまず視界に入ったのは、キングサイズ……より大きいかもしれないベッド。

 続いて、他の家具とはあまり雰囲気の合わない、急拵えといった感じでベッドの脇に設置されたベビーベッド。

 そして、そんな小さなベビーベッドに多い被さるようにして中を覗き込んでいる二メートル近いヒグマの姿。なにこれ捕食現場?


 回れ右したい気持ちになっている俺をよそに、彼女がヒグマのもとへ駆け寄っていく。


「あんた! 赤ん坊の様子は?」


「どんどん熱が上がってる……苦しそうだ」


 厳しい表情でベビーベッドの中を見下ろした彼女は、気を落ち着けるようにひとつ息を吐いてからこちらを振り返って手招きをした。

 ヴェスと視線を交わして、俺達も彼らのもとへ歩み寄る。


 彼らに倣って覗き込んだベビーベッドの中では、あの赤ん坊が、まっかな顔をしてふうふうと荒い呼吸を繰り返していた。


「え、これって何かの病気ですか?」


「……あたしらは医者じゃないからね。正確なところはなんとも言えないが……ただの風邪、といった様子ではなさそうに見える。この子、何か持病があるのかい?」


「僕らもよく分からなくて……すみません」


 何せ渡されたときは小包だったのだ。

 生き物とすら認識できない状態で託されたのだから、赤子の病歴など分かるはずがない。というか名前すら知らない有様である。

 俺達が心底何も把握していないことを見て取った彼女は、舌打ちでもしそうな勢いでがしがしと己の髪をかき回してから、こちらに見せるように赤子の服を胸元までめくった。


「これは手術痕だろう?」


 胸の真ん中を縦にまっすぐ。喉の下からみぞおちの辺りまで、一度切って縫った痕。

 小さな赤ん坊の体にはことさら痛々しく見えるその痕跡は、確かに手術痕と言うほかないものに見えた。


 俺も彼女と同じく、ああ何か持病があったのかな、と思いたいところではあるが、この赤子を託された場所のことを思うとあまり良い予感はしない。

 彼女は黙りこくる俺の様子をじっと見つめてから、赤ん坊の服を戻して、再度こちらに向き直った。


「さっきも言ったがあたしらは医者じゃない。そしてこの子は回復の早いエルフでも、頑丈なダークエルフでもない。ちょっとしたことでコロッと死んじまう人間の赤ん坊だ」


「はい」


 元人間として、人間のもろさは重々承知している。


「商売として取り引きを受けた以上はあんたらの意向に添うが、あたしとしては赤ん坊だけでも医者に見せることをお勧めするね。まぁ、あんたらも本当は医者にかかったほうがいい状態だと思うんだが」


 そこまで言って、彼女はヴェスをちらと見て肩をすくめる。その節はどうも。

 当の本人は指令をうまくこなせなかったことには落ち込めども、殺しかけた相手そのものはどうでもいいらしい。我関せずの無言を貫いていた。なんなら赤子のこともどうでもよさそうだった。


 俺だって別に、相手が赤ん坊だからと何でもかんでも親身に助けてやりたいと感じるような博愛主義者ではない。

 小さいのに気の毒にな程度のことは思うがおおむね他人事だ。


 だが今の俺にとってこの赤ん坊は生命線である。

 赤子を“損なわず”に維持するのが、スラファトという長いものに巻かれまくった俺の役目なのだ。


 実際どうやって赤子の無事を判定して、どうやってしくじったときに俺を見つけて殺しにくるつもりなのかは分からない。

 もしかしたら単なる脅しだったのかもしれないが、何らかの特定手段がある可能性もゼロではない以上、俺の命と赤ん坊の命が二者択一の状況になるまでは、なるべくスラファトの意に添って動くべきだろう。要するに赤子の生命維持優先、だ。


 懸念点がないでもないが、赤ん坊は少なくとも見た目の上では人間であるし、人間の赤子を人間の医者に見せる分には問題ないだろう。たぶん。きっと。


「あの……それじゃあ、この子だけでもお医者様に、」


「あぶう」


「え?」


 突如響いた声に、はたと視線をベビーベッドのほうへ落とす。


 すると大きな青い瞳と目が合った。

 その瞳の持ち主は、俺を見つめてひとつふたつ瞬きをすると、やがて上機嫌そうにふにゃりと笑みを浮かべる。


「あぶあ、あー!」


「えっ、いや、あれ?」


 ベビーベッドから目一杯俺に手を伸ばしてきゃっきゃと笑っているのは、つい今しがたまで高熱にあえいでいたはずの赤ん坊である。

 それまで黙って控えていたヒグマが慌てて赤ん坊に近づき、その大きな黒い鼻を赤ん坊の額につんと押し当てた。


「……熱が、下がってる」


 十秒ほどしたところで顔を上げたヒグマは、呆気にとられたような声でそう呟いた。

 熊獣人の女性もその言葉が信じられないという顔で赤ん坊の額に手を当てると、すぐに眉間のしわを深くして呻いた。


「エルフの坊や。あんた、なんか回復魔法とか」


「いやいや使ってないです……っていうかそんな原因の分からないものの治癒とか出来ないです僕」


 だから俺に治せるのは擦り傷、切り傷、軽いやけどくらいのもんだって言ってるだろ。


 そもそも回復魔法も万能ではないので、病気の類には効かないことが多かったはずだ。少なくとも俺は試したことがないので知らん。もっと年輩のエルフか、他の回復魔法が使える種族にでも話を聞いてみないことには分からん。

 外傷由来の症状であれば、外傷を治すことで間接的に治癒を早めたりは出来るだろうが……何にせよ俺には荷が重い話だ。


 困惑した表情でベビーベッドを囲むヒグマと熊獣人とエルフをよそに、赤ん坊はもうすっかり元気いっぱいである。


「……とりあえず、一旦、場所変えてゆっくり話そうかね」


 何も生まれない沈黙をひとしきりこね回した後、やや気の抜けた声で提案されたそれに、俺とヒグマは一も二もなく頷いた。

 一度落ち着いて話を仕切り直したいという気持ちは、この場のヒグマも熊獣人もエルフも共通のものであったらしい。あとまだ何一つ完治してない俺はヴェスの支え(物理)があるとはいえそろそろ立ってるのがきつい。



 種族の垣根を越えて俺達の心は瞬間的にひとつになったため、深夜の会合は場所を寝室から広間へと移し、机をひとつ挟んでソファで向かい合う形におさまった。


 なお赤ん坊は、ソファに座る俺の腕の中ですやすやと安らかな眠りについている。

 最初はヒグマが抱えていたのだが、やたらと俺のほうに来たがって仕舞いにはぐずりだした。ギャン泣きされてはおちおち話し合いもしていられないので、まぁ座った状態であれば赤ん坊ひとり抱えているくらいは出来そうだしいいか、と受け取ることにした次第である。


「何か飲むかい?」


「あ、いや、大丈夫です。もう少し内臓とか回復してからじゃないと、全部吐きそうなんで」


 牢屋の中では後で吐こうが何だろうがとにかく食わないと死への直行便に乗りそうだったので無理矢理にでも“餌”を口にしていたが、マナを吸収できる環境になったのであればエルフは食べなくても早々死にはしない。

 なら弱った内臓に下手にモノを押し込むより、まず回復に努めたほうがいいだろう。中身がある程度治ってから、改めて水なり果物なりをちょっと食えば済む話だ。


「休んでるとこ急に呼びつけて悪かったね。でも、エルフの坊やも目を覚ましたみたいで何よりだよ」


 熊獣人の女性は俺達のところに飛び込んできたときとは違い、ラフな部屋着に着替えて髪をゆるくまとめた姿で向かいのソファに座っている。

 ヒグマが彼女の前にハーブティーが注がれたカップを置き、その隣に静かに腰を下ろしたところで、改めて話を仕切り直した。


「まずは自己紹介といこうじゃないか。そのダークエルフの兄さんは何も話しちゃくれなかったからね。飯だけはたらふく食ってたが」


 ソファには座らず俺の後ろに立つヴェスをちらりと見て、揶揄るように口の端をあげる。


 飯については牢屋での習慣というか、何はともあれ食え、死にたくなければ食え、という方針で俺達が生き延びてきたからだろう。

 ヴェスがどれだけ彼らを信用していなかろうが、施しを受けるのが屈辱的であろうが、そこで食うことすら突っぱねる性格だったならとっくの昔に里のエルフたちと同じ道を辿っていたはずだ。

 つまりヴェスはヴェスなりに“回復に努める”ことにして、割り切った末に食いまくったに違いない。


 何も言わなかったのは、たぶん俺が起きてからどういう方向にでも話を持っていけるよう下手なことは言わないのでいたのだろう。

 もしくはシンプルに会話したくなかったのか。どっちだ、両方か。


「名乗るが遅くなってしまい申し訳ありません。僕はエルフのコルです。こっちがダークエルフの、」


「………………ヴェスペルティリオ」


「です。この赤ん坊の名前は……僕らも知らないので、お答え出来ないんですが」


 名乗った俺とヴェスと、赤ん坊を順繰りに見て、「そうかい」とひとつ相づちを打ってから、彼女はあの物怖じしない目でまっすぐにこちらを見据えて口を開く。


「あたしはタリタ。この“商人の街”の顔役ってとこだね」


「……顔役なのに自警団してるんですか?」


「自警団“も”してるんだよ。守りたいもんは自分で守るのが手っ取り早いからね。なに、仮にあたしが死んだって街も商売もまた誰かが回すさ。商人ってのは逞しいんだ」


 熊獣人の女性──タリタは、そう言ってからからと笑った。

 しかし街の顔役とは、俺達は思った以上に“長いもの”の尻尾を掴むことが出来たらしい。


「で、隣にいるのが旦那のムシダ。自警団のリーダーだ。無口だけどよく気が利いて腕っ節の強い、いい男さ」


 旦那。自警団リーダー。いやそのへんはもはやどうでもいい。

 タリタに褒められて気恥ずかしそうに頬をかいているヒグマの姿を見つつ、俺は出会った当初からの疑問をそっと音に乗せた。


「あの、タリタさんは熊の獣人ですよね。その、そちらの、ムシダさんって……ええと」


「ん? なんだい、エルフの坊やは“先祖返り”を見るのは初めてかい?」


「先祖返り……?」


「ときどき、祖先となったしゅの特徴を色濃く受け継いだ子供が生まれるときがある。それが先祖返りさ。ムシダは先祖返りの熊獣人、ってことだね」


 獣人やダークエルフといった、いかにもファンタジーな別種族がいること自体は里の大人たちの会話の端々から把握していたが、俺はこの世界に生まれてこの方、里を襲撃しにきた人間を見るまでは、エルフ、森の動物、魚、虫くらいしか見たことがなかった。


 そして外界に興味のないエルフが、他種族を話題にあげる機会はあまり多くない。

 嫌いな種族の話ならそれでもまだ時々聞くが、それ以外に関しては基本的に話題にすら上がらない。なお好きな種族などは特にいない様子であった。

 自分たち以外の全てが、取るに足らない生き物くらいの認識なのかもしれない。極まってんな。


 要するに、先祖返りとか知らんなにそれ、である。


「腕にギルドの印が入った腕章をつけてるだろう? これが先祖返りの目印だよ。無用な混乱を招かないように、先祖返りはいずれかのギルドの承認のもと、こいつを付けて生活する決まりなんだ」


 第一印象ヒグマのインパクトが強すぎて今まで欠片も認識できていなかったが、言われてみれば確かにヒグマ……ムシダは、緑色の腕章を左腕につけていた。

 先祖返り側も野生動物と間違えてうっかり狩られたら困るし、住人もただのヒグマが街を闊歩してたらビビり散らかしそうだから、何かしらの目印をつけることはお互いの安心安全のためにもやむを得ないところなのかもしれない。


「さて。自己紹介も済んだところで本題に入ろうじゃないか」


「赤ん坊が元気になった原因探しですか?」


「それも気にはなるけどねぇ。それよりも今あんたが真っ先に知りたいのは、あたしとあんたの取り引きがどうなったか、ってことだろう?」


「…………」


 現状を見ても、『街まで配達してほしい』という取り引きが成立したのは明らかだが、それだけでは説明のつかない待遇について早々に確認したいとは思っていた。

 すべて“対価”であるらしいが、ちゃんと話を聞いてみないことには何とも言えない。


 うまい話に裏がある可能性は十二分にある。

 そして裏があるならあるで、その裏含めて丸ごと利用して、生き抜く算段を付けねばならないのだ。


「それじゃあ“お客様”。改めて、契約内容を詰めようじゃないか」


 したたかな商人の顔で、タリタがにやりと笑った。

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