とにもかくにも現状確認


 目を開ける。

 それによって逆説的に自分が今まで目を閉じていたことを自覚し、知らない天井をぼんやりと眺めながら、つまり自分は眠っていたのだと緩やかに知覚する。


 ここはどこだ。俺はどうした。

 栞を挟まずに閉じてしまった本をぱらぱらとめくって読みかけだった箇所を探すように、己の記憶をさらう。


 俺、前世、人間。今、エルフ。実験生活で牢屋シェアハウスからのスプラッタホラーでスタイリッシュ崖下り失敗。断髪のちブラックアウト。

 よし、今までのあらすじは思い出した。あとは現状つづきを確認しなくては。


 視界に映るのは、だいぶ良い家っぽい高めの天井。

 どうやら夜であるらしく室内は闇に包まれていたが、窓からはカーテン越しに月明かりが差し込んでいて、あの通路のような完全な暗闇ではない。


 背中や指先に感じるのは、あまりにも久々の柔らかなベッドの感触。

 牢屋生活に慣れすぎたせいで、なんかもう寝心地よすぎて逆に不安まである。ちょっと起き上がりたい。

 そう思って身じろぎをすると、今まで何の気配も感じなかった室内に突如声が響いた。


「目が覚めたか」


「うわ。……え、いたんですか」


「ずっと居たが」


 俺が寝ているベッドのすぐ脇。

 暗がりで壁に背を預けて立っていた4606はなんてことなさそうな顔で答えたが、俺が寝起きなのを差し引いても気配のなさが野生動物とか暗殺者のそれだった。いや、暗殺者とか会ったことないから知らんけど。


「えーと……いろいろ、確認したいんですけど……横になって寝てると落ち着かないんで、とりあえず起き上がるの手伝ってもらっていいですか」


「ああ……」


 わかる、と言いたげに深く頷いた4606の補助を受けつつ、上体を起こしてベッドのヘッドボードを背もたれにする。

 過酷な実験体生活の果てに、俺たちの中では『横になって寝る=ワンチャンそのまま死ぬ』の図式が成立していた。


 それまで立っていた4606も会話がしやすいようにかベッドの端に腰掛けたのを見届けてから、俺は気になっていることをひとつずつ問いかけていく。


「ピアスは?」


「枕元」


「あ、ほんとだ。赤ん坊は?」


「今はあの熊の獣人たちが面倒を見ている」


「銃は?」


「ひとまず奴らに預けてある。無抵抗をよそおったほうが、お前のやり方には都合がいいんだろう」


「装う……いや、はい、そうですね。僕らの現在地は?」


「“商人の街”。商人ギルド本部がある大きな街だ。この家は熊獣人やつらの私邸らしい」


 なるほど。つまり、“取り引き”は無事に成功したようだ。

 髪を切り落としてすっかり軽くなった後頭部を手をなぞって確認しながら状況を把握していると、それを眺めていた4606が、ふいに重々しく口を開いた。


「髪はエルフにとって非常に重要なものだと聞いたことがある」


「あ~、まあ。髪にマナを溜めたり、魔法を使うときに体内のマナ濃度の調節にも使うとかなんとか」


 貯蔵庫、兼、猫のヒゲみたいなもんだろうか。俺もあんまりよく分かってない。

 しかしタンクがあろうがヒゲがあろうが、エルフ幼児レベルの魔法しか使いこなせない俺には無用の長物だ。あとシンプルに面倒で邪魔。


「……よかったのか?」


「必要なことでしたから」


 どうせ切るつもりだったし、とは言わないでおく。

 髪がエルフにとって大事なパーツなのも、髪を切ったのが必要なことだったのも嘘ではないので。俺にとって大事じゃなかっただけで。


 4606はそんな俺の様子を見て、お前が構わないならそれでいいが、となんだか呆れたように息を吐いた。

 ああ、おまえ牢屋で散々俺のやり口見てるもんな。どんだけ儚げ自己犠牲ムーブしてみせたところで、まじで髪どうでもよかったの伝わってるんだろうな。


 正直もう素の喋り方もバレているし、エルフらしくないと怒る仲間もいないわけだし、4606相手にこの美少年エルフ口調を使う必要は無い。

 だが壁に耳あり牢屋に看守。俺達がたぶん追われる身であり、どこで誰が話を聞いているか分からない以上、基本的にはこのスタイルを貫いていきたいと思っている。従順エルフぶっておくほうが命乞いの時に都合がいいので。


「ちなみに、ダークエルフも髪が命みたいな感じなんですか?」


「ダークエルフがマナを溜められるのは体内のみで、髪はそれに含まれない。よって伸ばす意味がない」


「おしゃれとか」


「闘うのに邪魔だから男も女も大抵切る」


「うーん戦闘民族。じゃあ今だいぶ伸びてて邪魔ですよね、やっぱ切るんですか?」


「………………いや、」


 4606はなにやら歯切れ悪く言葉を濁すと、俺のほうをちらりと見て眉根を寄せた。


「…………。念のため、残しておく」


 俺が牢屋の中で意識を失わないための命綱がごとく一心不乱に4606の髪で三つ編みを作っていたせいで、一応この回復アイテムまだとっとこうかなみたいな気分にさせたらしい。

 お互い牢屋暮らし感覚がまだまだ抜けきらないようだ。さもありなん。


「あとはそうだな……僕、どれくらい寝てました?」


「移動時間も含めると二日ほど」


 あれだけ無茶やってマナ枯渇寸前まで行ったことを思うと妥当か。むしろもう少し寝ていたかった。


 人里にあるマナは自然の中よりは薄いが、それでもあの牢屋内と比べれば雲泥の差と言っていいくらいには豊富である。

 寝ている間にもマナを吸収しての自動回復は進んでいたようで、気絶する前より調子がいい。

 とはいえそもそもが最低値以下だったせいで全快には程遠いが、死の気配はそれなりに遠のいていた。


「そういえば怪我の手当てもしてもらってるみたいですけど、これ“配達”の域を越えてません? 追加料金とか請求される感じですか?」


 服もずたぼろの入院着もどきから、シンプルながらも肌触りの良い清潔な白の上下に変わっている。

 そりゃ確かに叶うなら食料も治療も宿もとか考えてはいたが、これはもう配達のアフターサービスとかいうレベルじゃない。

 追加でぼったくられたら次は何を払うのが一番ダメージが少ないだろうかと考えていると、4606がゆっくりと首を横に振った。


「いや。全て含めて、お前の髪の“対価”だそうだ。詳しいことは後で奴らから聞け」


 先ほどまでずっと壁際に立っていたところからして、4606は彼らを信用したわけではないのだろう。

 だが、一応はそういう話でまとまっている、と隻眼のダークエルフは己の腕に巻かれた包帯を静かに見下ろした。


「……私は外傷が多かったから外側からの簡易的な治療も出来たが、お前は服薬系の実験のほうが多かっただろう。ぼろぼろなのが体の中身とあっては、やつらに出来る治療ことはあまりないらしい。対症療法がせいぜいだそうだ」


 見るからに訳ありな上にエルフである。下手に医者に見せるわけにもいかないとなればそんなもんだろう。


 回復魔法、と呼ばれるモノもこの世界には一応あるのだが、使えるのはエルフを筆頭としたごくごく一部の種族だけである。

 そして仮に使い手がいたとしても、エルフはそもそもの生態として常時発動しているマナ吸収の効果により、特殊な状況下──たとえばマナ阻害手錠付きの牢屋生活のような──にある場合を除き、体にいつも自動回復がかかっている状態なのだ。


 その性質を応用して回復魔法という形で出力すれば他者の傷を癒すことだって出来るわけだが、残念ながら、それはエルフに対しては効果がない。

 なぜならもう体内において“自動回復”としての回復魔法が常に発動している状態だからである。二重に掛けて効果倍増!とかもないので、重ね掛けが出来ないタイプのバフみたいなもんらしい。

 マナ枯渇しかけで自動回復が機能してない状態なら多少効くかもしれないが、その段階になってはもし掛かったところでおそらく焼け石に水だろう。さっさと森にでも放り込むほうがよほど回復が早い。


 結論。一部の特殊ケースを除き、エルフに回復魔法は“もう掛かっているから掛からない”という話だ。


 なお魔法下手な俺が使う回復魔法の効果は言わずもがなである。

 いたいのいたいのとんでけよりはマシかな程度の何かである。擦り傷、切り傷、軽いやけどくらいなら治せると思う。ちょっと早く効く軟膏程度の存在感である。閑話休題。


「しばらくゆっくりして、ちゃんとマナ吸収すれば体内も治ると思いますよ。エルフ、基本でたらめ性能なんで」


「じゃあ大人しくしていろ」


「ダークエルフはどうなんです?」


「ひたすら食べてマナを吸収し続ければそのうち治る」


「そっちも大概でたらめですね」


「さすがに、目玉は再生しないがな」


 皮肉げな4606の言葉につられるようにふと彼の左目があった場所に視線を移して、俺は首を傾げる。

 他の患部に巻かれている包帯は全て最近手当てされたことが分かる真新しいものなのに、左目を覆うそれだけが、牢屋にいたときと変わらない薄汚れた包帯のままだったのだ。


「左目の手当てはしてもらわなかったんですか?」


 傷自体はとっくにふさがっているだろうが、包帯を変えるなり眼帯をつけるなりしなかったのかと思い尋ねると、4606は少しばつが悪そうに眉根を寄せた。


「……無抵抗で、大人しくしているほうが都合がいいのは分かっていたんだが、目の周辺に触れられるのがどうにも」


 全力で拒否したらしい。さもありなん(二回目)

 手当てのために目元に触れてこようとした相手を反射的に殺しかけたがぎりぎり耐えた、という旨をとつとつと供述する4606は、出された指令がこなせなくて落ち込む優秀な警察犬みたいな風情であった。


「まぁそこはケースバイケース……状況次第じゃないですか? 施設あそこでは無抵抗を貫くほうが“浅く”済んで都合がよかったのでそうしてましたけど、これからは場合によっては嫌なことは嫌だとはっきり言っても良いと思いますよ」


 さすがに殺すのは極力耐えてほしいが、そういった“いかにも酷い目に合ってました”な反応を無理に押さえつけず自然にチラ見せすることにより、同情を定期購入していくのはだ。

 俺達のそれは事実に裏打ちされた反射であり、演技でないところがより芸術点が高い。デバフも使いようによってはバフである。


「……まったく」


 そんな俺の言葉の裏までしっかり読みとったらしいシェアハウス犬仲間は、落ち込んだのがバカらしいとばかりにひとつため息を吐いてから、呆れたように小さく笑った。

 俺はそれを見て思わず目を丸くする。


「4606、そうやって普通に笑えたんですね。意外」


「……ヴェスペルティリオ」


「は?」


「嫌なことは嫌と言っていいんだろう。なら、いつまでもあの人間どもがつけた忌々しい番号で呼ぶのをやめろ」


「あっ、今の名前だったんですか? 4606の?」


「だから4606じゃない。ヴェスペルティリオだ。…………、ヴェスでいい」


「一応聞きますけど、名前、エルフに教えたくなかったのでは?」


「ああ……別にいい。もう」


 要するに、名前を教えてもいいと思える程度には信頼されたということなのだろう。呼びやすくなって何よりである。


「じゃあこっちも。僕の名前は、」


「コル。最初にそう名乗っていただろう」


「えっ覚えてたんですか。意外」


「意外、意外と……お前は私にどんな印象を抱いていたんだ」


 じとりとした目で心外そうに見られたので、まぁまぁ、と適当に宥めてごまかすついでに、話を元の地点まで引き戻す。


「左目の包帯、結構汚れてるしそのままじゃなんですよね。とりあえずそれ取っちゃって、ひとまず髪で隠す……と、片目隠れ二人になるか……」


 別に己の片目隠れヘアーにアイデンティティを感じてキャラ被りを気にしているわけではないが、俺とお揃いというのも4606……ヴェス的には微妙だろう。

 明日になったら眼帯だけ貰ってきて自力でつけてもらうか、などと考えつつ何とはなしに部屋の中を見回していると、ふと目に留まったものがあった。


「ヴェス。そこに置いてある花瓶の花から、葉っぱ一枚だけ取ってもらっていいですか? どれでもいいんで」


 急な頼みにヴェスは不思議そうな顔をしつつも腰を上げ、窓際の棚の上にある花瓶から小さな葉をひとつ摘み取って戻ってくる。

 手渡されたそれを受け取って、枕元のピアスを一度よく観察してから、俺は改めてヴェスに向き直った。


「ちょっと目元触りますけど殺さないでもらっていいですか?」


「今更何を言っているんだ」


 そう、目玉取られて帰ってきたヴェスの手当てや包帯の交換をしていたのは主に俺。そして俺。さらに俺である。

 今更すぎてさすがに脊髄反射キルの圏外らしい。ベッドの端に座り直したヴェスは、至って普通に包帯を外させてくれた。


 包帯の下には、閉じられた左目。瞼を開けばそこには空っぽの眼窩があることだろう。

 指先に持った葉をその瞼のあたりに軽く当て、ひとつ深呼吸をして、ゆっくりとマナを流し込んだ。


 指先ほどのサイズしかなかった葉が瞬く間に育ち、するするとツタが伸びていく。


「おい、大人しくしていろと、」


「平気です、このくらいなら。ずっと寝ててマナも少し溜まってるし、大した手間じゃないんで」


 魔法の気配を感じたヴェスが慌てて止めようと俺の腕を掴んだが、こちらの声の軽さから本当にさほどの手間ではないらしいことを察したのか、渋い顔をしつつもそっと手を離した。


 伸びたツタはくるりくるりとヴェスの頭を何周かした後、ツタ同士が絡み合って編み物のごとく左目周辺を覆いながら広がっていき、やがて眼帯の形になった。

 あとは最後にちょっと表面をマナでコーティングすれば、簡易ボタニカル眼帯の出来上がりである。


「本当ならこれで何百年も保つようになるんですけど、僕、魔法苦手なんで、たぶん二週間くらいで枯れちゃうと思います。その間に新しい包帯貰うなり、お好きな眼帯探すなりしておいてくださいね」


 母の形見のピアスもこの魔法で作られたものなのだが、全体を構成する白く細い枝はまるで最初からそうあったかのように、中心にある透明で小さな翠色の石を繊細に取り巻いて、美しいピアスの形を成している。

 これだけ出来がよければ千年近くは朽ちないだろう。作ったのは母本人ではないかもしれないが、何にせよ見事な腕前だ。なお俺。


「いや、これでいい」


 だが出来損ないエルフ俺がこしらえた粗末なボタニカル眼帯はどうやら人間不信な顧客ダークエルフのニーズには合ったようで、ヴェスは軽く眼帯をなぞって確認したあとに淡々とそう言った。


「だから二週間で枯れますって」


「大した手間じゃないんだろう」


「また作れと。えー、いいですけど」


 次はすごいファンシーな色合いの花で作ってやろうと思う。



 さて、現状で確認出来そうなことは一通り話し終えた。

 もちろんまだまだ気になる部分もあることはあるが、これ以上は明日、あの森の熊さん達と話し合いながら考えた方がいいだろう。


「僕もう一回寝直していいですか?」


「ああ」


「ヴェスは寝……ないんでしょうけど。まぁ寝たいときはその間の見張りでもなんでもするんで、適当に起こしてください」


 ああ、ともう一度同じトーンで返される声を耳の端に聞きながら、横にはならず、ヘッドボードにもたれ掛かって目を閉じる。

 座ったまま眠るのにすっかり慣れた体が、うとうとと微睡み始めたころ。


 部屋の扉がノックの手間も惜しいという勢いで盛大に開かれた。


「ちょっとあんた達! 来とくれ! 赤ん坊が!!」


 どうやら俺に、二度寝は許されないらしい。

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