チャンスは逃さず鷲掴み


「……精巧な赤ちゃんの人形……で、あってくれませんかね」


「残念ながら」


 本物だ、と包みの中をのぞき込んだ4606が淡々と告げた言葉を聞いて、ですよね、と笑う。もう笑うしかない。


 あのスラファトという少女はなんと言っていた。

 決して“これ”を奪われず、損なわず、逃げ続けろ? “これ”……この赤ん坊を?


「つまり、僕にこの子を育てろって話だったんですか?」


「“損なうな”というからには、必然的にその人間の幼体の維持管理……育成も行う必要があるだろうな。……それより、そろそろ私の手錠も外せ」


「え、一人称そういう感じなんですね。“私”かぁ、意外」


「今気にするべきはそこか?」


「外します外します」


 いや、散々シェアハウスしておいて何だが、監視の目がある牢屋内では会話は必要最低限……というか、俺はわりとべらべら話しかけていたが4606の返事が十問一答くらいの割合で、最低限以下の会話形式だったため彼が一人称を発する機会がなんとゼロだったのだ。

 よって今初めて知った一人称に感想を述べたくなるのも致し方ないだろう。別に現実逃避とかではない。腕の中にいる赤子について考えるのを保留にしたいとかでは一切ない。


 片腕で赤子と銃を抱えながら、反対の手でどうにか鍵を使って手錠を外す。

 4606は忌々しげに手錠を投げ捨てると、解放された腕の感覚を確かめてから、がしがしと髪をかき回して三つ編みの群れを雑にほどいた。

 なんかすみません、と三つ編みの件について内心で軽く謝っていると、4606はその隻眼を改めて俺に向ける。


「お前ひとりで逃げてもよかったろうに、なぜ私まで助けた」


「なんかついでだったので……」


「ついで」


 俺は保身第一エルフではあるが、自分と他人を一対一の天秤にかけられた状況でもない限りは、積極的に陥れてやろうとか蹴落としてやろうとまでは思わない。

 そして俺はプライドはゼロでも人並み程度の正気と情はあるつもりだ。犬仲間のよしみで、ついでに助けられるなら助けたいよなと思えるくらいには。

 まぁそれで俺自身が危なくなりそうだったら即座に諦めるんですけど。そう思うと人並み程度は言い過ぎたかもしれない。プライドゼロエルフには大さじ三杯程度の正気と情が搭載されています。


 4606はそんな俺の様子をじっと観察した後、ひとつ息を吐いて「まぁ、いい」と言葉を続けた。


「ついでだろうが何だろうが、牢の中でも、今も、助けられたのは事実だ。ダークエルフは恩義に報いる。お前が何かを望むなら、私はそれに応えよう」


 牢の中での看病については俺もメンタル維持に4606を利用したわけでお互い様であるし、今さっき俺がしたのはスラファトへの打診のみであり正直助けたというほどのことはしていない気がするが、俺は自分に損がないかぎり、貰えるものは受け取っておく主義である。

 向こうが恩を返してくれるというならここぞとばかりに返してもらおう。なにせ牢から出られても、問題はまだまだ山積みなのだから。


「そういうことなら、しばらく一緒に行動しましょう。それで色々手を貸してもらうというか、助け合うというか……旅の仲間ってことでどうですか?」


「ああ。お前がそれでいいのなら」


「はい、よろしくお願いします」


 これでめでたく『エルフ(ひんし)/ダークエルフ(ひんし)/人間(赤ん坊)』のパーティ結成である。不安しかない。


 森の中にいるのでエルフの俺は周囲のマナを吸って少しずつ回復することは出来るだろうが、元々のダメージが大きすぎるため、このままでは復調にいつまでかかることか。

 なんなら自動回復分を今現在消費している体力が上回ってワンチャン死ぬかもしれない。エルフにだって生物としての限界はあるのだ。


「とりあえずさっさと遠くに逃げたい、ところですけど……やみくもに歩き回る元気もありませんよね」


「……そうだな。一度どこかに身を潜めて、体を休めるほうがいいだろう」


 とは言ってもどこに潜めばいいのか。

 “逃げ続けろ”と言われたからには、一応追っ手が来る前提で動かねばならないということだろう。

 なんなら今にも俺たちが逃げてきた通路から、大量の兵士が追いかけてきてもおかしくはないわけだ。


 だがここから逃げるにしろ、どこかに隠れる場所を探すにしろ、俺たちの体力が限界すぎる。こんな見知らぬ山中で下手に動けば即座に行き倒れになる。

 何か方法はないか。一か八か、適当な方角に歩き出してみるか。いや、しかし、だめだ、考えがまとまらない。視界もちょっとぼやけてきた。


 刻々と近づく限界に焦りばかりが募りそうになったその時、4606がふいに森の先へ顔を向けた。


「何かが近づいてくる」


「追っ手、ですか」


「それは分からんが……馬車のようだな。蹄と車輪の音だ」


 俺には一切聞こえないが、まぁ、4606が言うならそうなのだろう。牢屋の中での挙動だけ見ても、俺よりずっと感覚が鋭そうであったし。

 その馬車の様子をこっそり伺うことが出来るかと聞くと、4606は少し考えてから、「こっちだ」とふらつく体で同じくふらふらな俺の体を支えて歩き出す。


 まだ遠い馬車の音を頼りに、しかし接近しすぎないように注意を払って進んでいくと、さほどもしないうちになだらかな崖の上に突き当たった。

 落ちないよう気を付けつつ崖下を覗き込んでみると、三、四メートル下に馬車道のようなものが通っているのが見える。どうやらおあつらえ向きな場所に出たようだ。


「ここからなら、隠れつつ様子を伺えますね」


「乗っている人間を殺して馬車を奪うか」


「やだ物騒……奪いませんよ。そういうの後々足がつくと面倒なんですから。同情を買おうにも心証悪くなってやりにくいし」


「ならどうする」


「それは、相手次第ですかね」


 幸い赤子は先ほど泣いたきり、腕の中で大人しくしてくれている。

 そのまま崖上で身を低くして待っていると、徐々に俺の耳でも分かるくらいに馬車の音が近づいてきたので、目がかすみ始めている俺に代わって4606に木々の隙間から馬車を視認してもらう。


「どんな感じですか?」


「……幌などに描かれている紋章からして、商人ギルドの……護衛などを担当する自警団の馬車だな。一台だけで走っているところを見るに、どこかの街か村まで行商人の馬車を送り届けた帰りだろう」


「彼らはどこに帰るんです?」


「ギルド直轄の自警団だ。仕事を終えたなら、おそらくは商人ギルド本部がある街に戻るだろうな」


 その言葉を聞いて、俺は思わず口の端を上げた。どうやら天はまだエルフを見捨てていなかったようだ。


「あれ行きましょう」


「……やはり奪うのか?」


「助けてもらうんですよ」


 は、と4606が信じられないものを見るように目を見開いた。


 馬車はあと少しでこの下を通過する。

 時間はない。立ち上がろうとした俺の腕を、4606が強く掴んだ。


「正気か?」


「かろうじて正気です」


「追っ手でなくとも、あれに乗っているのは人間かもしれない」


「かもしれませんね」


「人間は信用できない。それくらいなら私が行って馬車を奪ってくる」


 馬車の音が迫る。

 音が迫る。

 迫る。


「────……ぁあ~~~~~もう、うるっせぇな……」


 後から言い訳をさせてもらうならば、多分このときの俺は自分で思っていた以上に限界だったのだと思う。

 メリットとデメリット、リスクとリターン、俺たちの残り体力などなどを考慮して、ここで助けを求めることで得られる可能性について、もっと理詰めで冷静に、短時間で説明することも出来ただろう。万全な状態の俺ならば。

 しかしここにいるのは、長い実験体生活であらゆるものが削れに削れまくった上、突然のスプラッタホラーからの暗闇行脚を乗り越えたひんしのエルフである。この段階でそんな余裕があるはずもなかった……ということに気付いたのは後の話、そう、これは後の祭りである。


 俺は掴まれていた腕で、逆に4606をガッと掴み返した。


「うるせぇ、うるせぇ、ごちゃごちゃうるっせぇ!!! もしものときは俺が渾身の命乞い見せてやるから安心しろ!! いいからとっとと行くぞ!!」


 幸運の女神には前髪しかないという。

 なら、その短くて長い前髪に巻かれるチャンスはきっと今だ。


 今までどんな辛い実験体生活中にも剥がれなかった全ての猫をかなぐり捨てて叫んだ俺の勢いに押されるように、目を丸くした4606がこくりと頷き、腕の中の赤ん坊はきゃっきゃと笑い声をあげたのだった。

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