第9話

 五体の化け物はまるで本物の蛙のようにぴょんぴょんと飛び回り、今にも襲いかかってきそうだ。しかもその視線は冨山に向けられている気がする。


「ど、どうする?」


 先程まで余裕そうだった福田が動揺した声で誰にともなく尋ねる。

 ここから逃げるには背後にある扉の方へ向かわなければならない。しかしそれには化け物に背中を見せなければならないし、背中を見せれば軽やかな跳躍で背に飛び乗ってくるだろう。

 つまりは戦わなければ逃げることもできない状況だった。ならば――。


「よし、みんな殺してしまおう」


 真っ直ぐに化け物の群れを見つめた成大は両手をパンッと叩いてそう言った。


「は?」


 福田から動揺の声が漏れる。こいつは本気で言ってるのか、という視線をちらりと成大に向けた。

 しかしそんな目で見られても、逃げることができないならば殺すしかない。そんなこと誰だってわかっているはずだと成大は思った。


「人型の化け物よりも肉が柔らかそうだから切りやすそうだ」


 成大は冷静に化け物の特徴を分析しながらつぶやいた。

 今まで出会った人型の化け物は身体中が腫瘍のような肉でぼこぼことしていた。それに比べて目の前で跳ねる蛙型の化け物は腫瘍のような肉もまだ小さく、柔らかそうに見えた。

 これなら簡単に切れるなと思った成大は懐から果物ナイフを取り出して、机から滑るように降りた。


「冨山さんは扉の方に向かって走ってください」

「え?」


 冨山は手を震わせたままパイプを握っていたが、成大にそう指示されて首を傾げた。しかし化け物と戦う勇気はなかったからか、成大に言葉の意味を問いたださずに、言われた通り扉の方に走った。

 それを追うように蛙型の化け物がぴょんと飛び上がる。

 ――ヒュ、っと風を切る音がした。


「ぐぎゃ」


 べちゃりと冨山を追って跳躍した一体の蛙型の化け物が床に倒れ込んだ。埃を被った汚いフローリングの溝を、化け物から漏れ出た真っ赤な液体が染めていく。


「ひっ」


 音に驚いた冨山がまたもや悲鳴を上げそうになって慌てて口元を押さえた。その冨山の姿を狙ってまた一体が跳躍する。

 しかしまたべちゃりと音を立てて床に倒れるとぴくぴくと痙攣を起こしてしばらくすると動かなくなった。


「知性はない。言ってた通りですね」


 蛙型の化け物は冨山を襲おうとして成大に殺された。それを見ていたにもかかわらず、またも同じ行動に出た。それはつまり、学習能力がないということだ。

 ゲームマスターが言っていたことを思い出して、化け物の返り血を浴びながら成大は一人納得したように笑顔を浮かべた。


「残り三体。さっさと殺してしまいましょうか」


 成大はリーチの短い果物ナイフを器用に扱って化け物の首を掻き切っていく。

 この化け物は蛙型をしているが、人と同じように首らしき部分がちゃんとある。成大はそこを――人で言う頸動脈の部分を果物ナイフで掻き切ると化け物たちはしばらく痙攣しているように体を震わせて、そして最後には動かなくなった。


「なぜかこの化け物たちは冨山さんだけを狙ってたみたいですね。おかげで俺たちは眼中に入っていなかったみたいで、警戒されることもなく近づけてりやすかったです。冨山さん、囮になってくださってありがとうございました」


 五体全部の化け物を始末した成大は顔についた返り血を適当に拭いながら冨山に礼を言った。

 蛙型の化け物たちがなぜ、成大たちではなく冨山だけを見つめていたのかはわからなかったが、おかげで簡単に化け物の狙いをひとつに絞れて行動を読みやすくできた。

 簡単に蛙型の化け物を殺せたのは冨山のおかげだ。それと蛙型の化け物が人間よりも脆く簡単に死んだ。柔らかい皮膚と鋭いナイフの切れ味の相性が良かったのだろう。


「あ……」


 ベランダに干したままにされていた毛がバサバサに逆立ったタオルで果物ナイフの血を拭っていると、冨山が震えていることに気がついた。

 成大はまだ化け物がいるのかと周囲を見渡すが、商業施設の方に向かう道にいた化け物を含めて人も化け物もなにもいない。


「どうかしました?」


 もしかして囮にしたことを怒っているのだろうか。しかしあの場では冨山を囮にして化け物を殺すのが一番効率が良いと成大は結論づいたのだ。たしかに道徳的な対処法ではなかったかもしれないが、結果的に誰も怪我しなかったのだから許してもらいたいものだ。


「よ、よく……こんな……」


 冨山はカタカタと肩を震わせてそう言ったきり、なにも言わなくなった。ずっとなにかに怯えているようだ。

 まぁいいか。成大はそう思い直し、扉を開けた。周囲に化け物の姿はない。


「商業施設の方へ行きましょうか。今なら化け物もいないみたいだし」

「あ、ああ」

「……おう」


 成大の提案に飯島は少し動揺しながら、福田は静かに頷いて、冨山はなにも言わずに扉をくぐった。

 この扉から出れば目の前は階段だ。商業施設に行くためには一階に降りないといけないので、成大たちは極力物音を立てないように気をつけながら慎重に階段を降る。


「俺が言うのもあれだけど。よくもまぁ……あんな簡単に化け物を斬れたな」

「……? あの場は逃げようにも逃げられなかったし、ああするのが一番だったと思ったんですけど」


 福田の少し複雑そうな表情から飛び出した疑問に成大は首を傾げてそう答えた。


 もし成大に座右の銘があるとすれば、それは『られる前にる』だ。

 あの場では生き残るためには殺すしかなかった。殺される前に殺すしかなかった。なにも間違ってなどいないはずだが。

 現に、成大たちは誰一人欠けることなく別の場所への移動を開始できている。これは成大の行動が間違っていなかったなによりの証拠だろう。


「……あっそう。でもなんでこのアパートはこんなめんどくさい構造なんだろうな」


 ジトっと成大を見た福田だったが、不意に視線を逸らして話題を変えた。


 めんどくさい構造、というのは階段と入口が離れていることを言っているのだろう。

 このアパートは出入り口が一つしかなく、階段を降りて通路を渡った先にある。つまり階段を降りた後すぐにアパートから出られるわけではなかった。

 こつこつと控えめの足音で荒れているだけでなにもない通路を歩いているとガチャリと成大たちの目の前の扉が開いた。

 そしてそこから顔を出したのは――。


「チッ」


 隣から福田の舌打ちが聞こえる。出会って一日も経っていないが、今日だけで何度彼の舌打ちを聞いたことだろう。

 突如目の前に現れた人型の化け物を見据えながら成大はぼんやりとそう思った。


「一体だけならここで仕留める!」


 福田が先手必勝と言わんばかりに鉄パイプで化け物の足を殴った。すると化け物は簡単にバランスを崩して膝を床についた。


「おらぁ!」


 鉄パイプが化け物の頭を直撃する。しかし仕留めきれてはいないようだ。やはり首を掻き切るのが一番有効なのだろうか。


「ふんっ!」


 打撲の衝撃でぐらんと頭を揺らした化け物の頭を飯島がゴルフクラブで思いきり力を込めて殴った。

 すると化け物は力なく、崩れるようにばたりと床に倒れこんだ。


「二発か」

「頭蓋骨を割る勢いで殴った方がいいな」


 化け物の死を確信した福田たちは今後の戦闘の参考にするのか化け物の弱点を探そうとしていた。

 目の前に転がる化け物はぶくぶくと肉が飛び出ていて気持ちが悪いが、かろうじて人型だとわかる。その体には人間にあるはずの生殖器らしきものは見当たらない。


 これまでの戦闘の経験から推測するに、化け物の弱点は人と同じく首や頭などのようだ。人型の化け物は総じて成大たちより身長やがたいが大きいものばかりだが、一体だけなら意外と勝てないこともなさそうだ。


「キィ」

「あ?」


 化け物の死体を軽く見学していると声が聞こえて、成大たちは飯島が倒した化け物が開けた扉の先に目線を向けた。そこにはひとつ前のアパートで見た毛の生えていないつるんとした猿型の化け物が人の頭をボールのように転がして遊んでいた。

 悪趣味な遊びに夢中で成大たちの存在にはまだ気がついていない様子だ。


「こいつも殺しておくか」

「どうせあとで倒さなければならないからな」


 福田たちは顔を見合わせて頷き合った。

 このデスゲームのプレイヤー側の勝利条件は島にいる化け物を全滅させること。つまりここでこの猿型の化け物を見逃してもメリットなどひとつもない。

 福田は足音を殺して部屋に入ると背中を見せる猿型の化け物の首を殴り潰した。


「ぎぇえああああ」


 血飛沫をあげた化け物が痛みのせいか甲高い悲鳴を上げた。

 その悲鳴は次第に小さくなり、最後には聞こえなくなったが悲鳴を上げられること、それは成大たちにとっては死活問題だった。


「まずい、この声を聞いて化け物が集まってくるぞ!」

「数が少ない今のうちに逃げるぞ!」


 猿型の化け物の悲鳴を聞きつけた他の化け物がどこからともなく成大たちの元へやってくる。

 先陣を切った福田は鉄パイプで前方の化け物を叩きのめしながらその場を切り抜ける。できるだけ弾を温存したい飯島は福田同様、ゴルフのクラブで化け物を殴る。そしてその後を成大が福田や飯島に頭を叩かれてよろめいた化け物の首を掻き切りながら追いかけ、冨山は壁や床に血飛沫が飛ぶ光景に、うっすらと涙を浮かべながら必死で足を動かしていた。


「まっ」


 福田と飯島は必死になって化け物の頭部を殴る。自身より高い位置にある化け物の頭を殴るのは大変そうだ。

 成大は飯島たちに比べると頭部を狙わないので高さ的問題は楽だったが、なにぶん果物ナイフではリーチが短い。化け物たちがよろめいている隙をついてひたすら首を斬りつけていた。


 なのでこの時、誰も背後から呼び止める声が聞こえたことに気がつかなかった。あることに気が付かないままアパートを飛び出し、うじゃうじゃと寄ってくる化け物を殺戮しながら一直線に商業施設に向かった。

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