相対する氷炎

 エキシビションマッチ。

 傾国鬼の退屈しのぎである不夜国闘鬼場で行われる試合の中で、彼女の意図が大いに関与する試合をそう呼称する。

 数年に一度、彼女の食指を動かす者が現れた際にのみ開催される注目の一戦だ。

 彼女の一存に大きく左右され、参加者は一切不透明。


 カグヤのお気に入り闘鬼と、彼女が選んだ対戦者。


 わかっている情報はそれだけだ。


 ポットに入れられるのは、観客と賭け金と――――カグヤの資産。

 その額、金貨20000枚。


 観客とカグヤの資産を含めて、総額は不夜国闘鬼場で行われる試合の中で最高クラスになる。


 不透明な試合参加者。的中時の利益。

 全試合の中で最もギャンブル性が高い一戦……なのだが……。


「紅華が、天守に向かっているのを見た」


 この情報がそれらの定石を一蹴してしまったのだ。


 Lv8探索者【紅華】。

 その名だけで、観客たちの心は決まった。


 実に、9割。

 それが【紅華】に対して寄せられた期待の割合だ。


 しかし、1割。

 Lv8探索者に相対する闘鬼に対しての支持にしては多すぎると言っていい数字だ。


 傾国鬼ですら想像できない結果に向かって、闘鬼場は舵を切った。

 

 観衆の視線は、舞台の上に注がれている。

 番狂わせを心のどこかで期待しながら。




■     ■     ■     ■

 




 闘鬼場の舞台の上に立つのは、観客たちの予想を裏切ることの無い二人の人物。


 一人は闘鬼場に現れた新星、ヒザキ。

 未だ試合数はたったの二回。しかしそのどちらも魔法の使用や異能らしきものを発動した様子の無い未知数の新人闘鬼。

 飄々とした立ち姿は今も変わらず、Lv8探索者と立ち会っているというのに気圧されている気配は皆無だ。


「【紅華】……流石に聞いたことないな」


「あれ? リン煽られてる?」


「ごめん、訳あって世間に疎くてさ……」


「いいのいいのっ! でも結構珍しいと思うよ?」


「だろうな」


 かなり友好的な会話を繰り広げる一方の女は、真紅のチャイナドレスから伸びる真っ白な脚を上げながら、膝を曲げて踊るように身体を動かす。

 準備運動代わりの、舞と見紛うほどに完成された型。

 肉弾戦を得意とする彼女の動きは、常人では目で追うのも難しいだろう。


「カグヤちゃんに気に入られるのも珍しいのに……一応有名人のリンのこと知らないって……もしかしてヒザキって襲王殿と関係ある?」


「今はないよ、流石に。あんな化け物たちと関わり合いなんて持ちたくないね」


「へえ……」


 隠す気がないように過去の関りを感じさせる言葉に、リンファネヴィルは声を潜めた。

 属性纏化エンチャントを使った相手を素でねじ伏せる様子や底の見えない雰囲気は襲王殿の怪物たちを想起させる。

 しかし、深追いの意味はない。


 闘争を至高とするリンファネヴィルにとって相手の力量は二の次だ。

 強くても弱くても、初見の相手ならば戦いたい衝動に突き動かされ、全力で相対するのみ。


「全力で戦ってもいい相手……だよね?」


「手加減してくれるとうれしい」


「嘘ばっか」


「じゃあなんで聞いたよ」


「……ふぅ――――楽しませてねっ!」


 無邪気に笑った【紅華】たる探索者は、



「これより、ヒザキ対【紅華】リンファネヴィルのエキシビションマッチを開始する。それでは――――始めッ!」




「炎霊の寵愛を―――火纏エンチャントォッ! 行っくよーーーッ!!」


 悪魔に対して扱うような魔力を纏わせながら、地を蹴りだした。


 纏う属性は苛烈な火炎。

 攻撃特化の一点突破だ。


 属性纏化のLvは7。

 その身を魔法に変えてしまうほどにまで洗練された技量は、並みの闘鬼では一撃を耐えることすらままならない。

 実力に差がある相手に放とうものなら、即死は確実なリンファの突貫。

 リンファは炎熱を纏い、一直線にヒザキに向かって足を蹴りだす。


 その速度は観客たちに追えるものではなく、辛うじて彼女の後方にある焦げ付いた黒の痕跡がその進路を教えていた。

 

「―――っぶねっ!」


 だが、相対する彼は突き出された脚を確実に認識しながら上半身を反らせて躱す。危ないと嘯きながら、自分の顔の前にある脚を同じように脚撃で弾き飛ばした。


「やっぱ強いじゃんっ!」


「ありがと―――よッ!」


 後退して距離を取るリンファを逃がすまいと前に詰めたヒザキは、繰り出される牽制を掻い潜りながら懐に入る。

 ヒザキが高速の乱打で攻勢に出れば―――


「やっるぅ!」


 リンファが軽口を叩きながら軽快に受け流す。

 しかも、受け流す力は属性纏化の影響でリンファに分がある。

 

 身体能力の押し付け合いは互角には程遠い。闘う土俵があまりにも違いすぎる。


 その均衡状態は長くは続かない。


炎舞スザク!」


 蹴撃、諸手突き、発痙、跳び膝。一連の流れをほぼ一瞬で行う彼女の速度はアレウ以上。

 様々な武闘家の上位互換に位置する【紅華】の猛攻を凌ぐのは至難の業だ。


 支持率を裏付けるように行われるヒザキの防戦一方な状況。

 防ぐだけでダメになっていく腕や身体を無視しながら、ヒザキはギリギリのところで直撃を避けていく。


 不意に行われる反撃をものともせずに、リンファの攻撃は激しさを増す。


「ほらほらほらァ! これでリンの名前覚えるでしょッ!」


「嫌というほど覚えたっての……!」


 空中で回転蹴りを放ったリンファの渾身の一撃を両手で受けたヒザキは、勢いよく後方に吹き飛ぶ。

 宙で無理やり体勢を整えたヒザキはぐらつく身体を着地させる。

 当然できる大きすぎる隙を、【紅華】が見逃すわけがない。


「あーあ、終わっちゃうよ?」


 顔を上げたヒザキの眼前には、力を溜めたリンファ。

 弓の弦ように引き絞られた右足の破壊力は推して知るべしだ。


「…………ここまできて買い被りだというのか?」


 うっすらと失望の色を浮かべるカグヤは、せめて一度くらいは……と、反撃を願って溢す。


 あまりの予定調和。あまりの呆気ない幕切れ。

 Lv8探索者の圧勝という面白みのない展開に、野次とため息が木霊する。


 最後の蹴撃を放つリンファネヴィルは、トーンを落として不満を口にした。


「ヒザキ……つまんないよ。最初だけじゃん……これじゃあ―――」


「ああ――――やっぱり俺もつまんねえ」


「―――え?」


 

 ――――パキッ。


 リンファネヴィルの軸足が、歪な音を立てる。

 骨の音にしては軽すぎるそれは、薄い何かを踏み抜いた音だ。


「――――氷纏エンチャント


 ヒザキを中心に放たれるが、周囲を瞬く間に凍結させる。

 

「ッ!?」


 咄嗟に後退を選択するリンファ。

 だが――――


「正直さ、良い感じに負けようとか考えてたんだ……その方が話が早そうだし……でも―――」


 リンファの目の前に一瞬で姿を現したヒザキの拳がリンファを捉え―――ある声がヒザキの鼓膜を叩く。


「――――王ッ! 頑張れっ!」


「あんなに偉そうにかっこよさを語ってたのに、わざと負けるとか……ヘルくんカッコ悪」


 やはり、と笑ったヒザキは先ほどとは比べ物にならない速度で腕を振り抜く。


「―――みんなにバレるより、部下の前で負ける方がカッコ悪いわ、ごめんッ!!」


 ドォンッ!

 地に叩きつけられたリンファは即座に反撃を試みる。


 しかし、身体が思ったように動かない。


「氷の属性纏化エンチャント自己強化バフじゃなく―――他者阻害デバフだ。俺んとこまで落ちてこい、【紅華】」


「そんなのあり!?」


「ありだよ。俺が証明だ―――氷剣グラギウス


 彼の手に形作られるのは氷の剣。

 付け焼刃では不可能な魔法の行使に、リンファは眼を剥いた。


「ヒザキ……魔法師なの……?」


「――正解。そっちの方が得意だよ」


「―――ッ!?」


 魔法師が、Lv8探索者の武闘家と撃ち合う。

 防戦一方とは言え、大事に至る損傷を受けていない。


 その事実は、闘鬼場を大いに沸かせる。


 そしてさらに、ヒザキ魔法は止まらない。


 舞台を埋め尽くす無数の氷の槍が、リンファに降り注ぐ。


「―――あははっ、ごめんごめん! おもしろいッ!」


 自身に追尾する氷の槍を掻い潜るリンファは徐々にヒザキに接近している。

 前方後方左右。魔法をすれすれで回避するリンファは、舞踏のように観客を魅了していた。


 飛び退き、時に打ち砕き接近してくるリンファに、それでもヒザキは顔色を変えない。


 十……二十……それ以上の槍をやり過ごしたリンファは、遂にヒザキを自身のリーチ内に入れた。


「さあヒザキッ、どう――――」


「そこ、踏んだね」


「―――――」


 ヒザキが氷剣で指すのは、足下。

 地雷型の魔法だ。


「――氷鋳怪物ジャック・フロスト


 生み出されるのは大氷壁。

 リンファの手足と舞台を一瞬で凍らせたヒザキの魔法は、一介の魔法師では不可能な大魔法だ。

 顔と胴体以外を凍らされたリンファは声を上げ魔力を強める。


「こんのぉぉぉおおお!!」


 炎を強めて脱出を図るリンファ。

 しかし、不溶の氷は束縛を緩めることはない。


「……っ……まじ……?」


 すっ―――。

 眼前に差し出される剣に、リンファは観念したように息を吐いた。


「……ヒザキ、何者?」


「教えない。秘密主義なんだ」


 勝利を確定させるようにリンファの額を指で打つ。


「Lv8探索者を打ち倒した謎の人物…………かっこよくね?」


「…………ちょ、ちょっとだけね」


 顔を背けたリンファに、レフェリーが戦意の喪失を確認した。



「――――勝者、ヒザキッ!」




■     ■     ■     ■




 地雷型の魔法。

 一見偶然踏んだようにも見えるそれは、天守から見れば違った顔を見せる。


 リンファの進路に、氷の槍は落ちていない。


 つまり、リンファは誘導されたのだ。確実にそこを踏むように。

 誰でもない、ヒザキによって。

  

 目を輝かせたカグヤは、自分が身を乗り出していることに気付くと、恥ずかし気に腰を下ろした。


「呼べッ、今すぐヤツを呼べっ!」


「御意に」


 命に従う側付きを尻目に、カグヤは呟く。


「……氷魔法――――かの屍王をまさかこの目で見ようとは……妾も運が良い」


 妖しく微笑む魔性は、月を見上げた。



「これは傾国鬼カグヤではなく――――56番目の上級悪魔グレーターデーモン、『グレモリー』として会う必要があるな!」


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