第8話 奈落の底

 痛い、寒い、そんな感覚が俺の身体を襲う。俺はまだ生きているのか。朦朧とした意識の中で目を開けても暗闇が無くなることはない。黒い狼の魔物が作り出した穴は一体どこへ繋がったというのだろうか。案外、思っているよりも深くはないのかもしれない。そう思って全身の痛みをこらえながらゆっくりと体を起こして辺りを見渡す。


 何も見えない。何故俺が助かったのかも分からない。このやけにフカフカな床は一体なんだ? そう思って下を覗き見ると見覚えのある形のものが薄っすらと見えていた。どうやらこの穴へと落とした張本人である黒狼の魔物が下敷きになったおかげで落下の衝撃を和らげられたらしい。


「痛ッ」


 立ち上がろうとするも膝に鋭い痛みが走り断念する。散々な目に遭ったがとりあえず生きていて良かった。向こうの世界で死んだのにこっちの世界でもすぐに死んでいてはあまりにも不憫である。


 まあ、異世界へと召喚されて一か月目で王女とクラスメートに嵌められてダンジョンの奥地へと置き去りにされている時点で不憫と言っても良いかもしれないが。今でも思い出す、必死に逃げようとしている俺をあざ笑うように微笑んでいたあの顔を。


 もう一度出会えば俺は殴る衝動を抑えられないかもしれない。まあそれで捕まって処刑されるのは俺なんだが。


「皆、死んだと思ってるんだろうな」


 ぼんやりと自分が落ちてきたであろう方角を見上げてぽつりとそう呟く。俺が潜っていたダンジョンでは所々に灯りがあり、ある程度の光は見えていた。しかし、俺の視線の先にはその光は一切見えず、ただ暗闇が広がっているのみである。もしかしてだけど滅茶苦茶深い?


「詰んでるじゃねえか」


 これだけ怪我を負っていて更には深いダンジョンの底だろ? こんなの魔物に襲われなくとも傷口からウイルスが感染してそのうち命の灯が消えることだろう。それは結局、奴等の思う壺になっている気がして嫌だ。どうせならもう一度生きた姿であいつらの前に現れたい。


 俺の目標は今決まった。まずはここから生還することを考えなければならないわけだが。


「俺にあるのはこの刃すらない穴が開いた柄と鍔だけのアルムと実戦じゃあ使えないユニークスキルだけか」


 ダンジョンに入る前に騎士から借りた普通の剣は落下の衝撃で砕け散ったようだし。残念ながら俺には攻撃手段がない。これならば魔物から隠れながら逃げるしかない。


 そんな俺の気持ちを嘲笑うかのように背後からおぞましい気配がする。なんだこの威圧感は。恐る恐る後ろに向かって鑑定のスキルを発動する。


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 種族名:?

 レベル:903

 スキル:?

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 レベル903!? この黒狼ほどではないがそれでも明らかに異常なレベルであることはわかる。王女からは魔王軍の幹部でレベル100を超えるかどうかって言われてたのに野良でこんなのが湧くとかどうなってるんだよ俺の運は!


 俺からは姿は見えないが、その魔物は明らかに俺の事をロックオンしている。何か使える物はないか。必死で探した結果、黒狼の死体が目に入る。


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 種族名:ヘル・フェンリル

 レベル:1500

 スキル:『獄炎』、『身体強化Ⅴ』、『魔法無効』、『状態異常無効』、『パーフェクトヒール』


 対象を宝玉化ことができます。実行しますか?

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 にしてもぶっ壊れてんなこいつ。ていうか対象を宝玉化? もしかしてこの魔物を宝玉化すれば魔物の能力を使うことができるようになるのか? こうなりゃヤケだ。


「宝玉化!」


 俺がそう叫んだ瞬間、ヘル・フェンリルの身体がスウッと宙へと浮かびあがり、ぐにゃりと渦に吸い込まれるかのように歪んでいく。やがてその歪みが終わった時、その中心に一つの黒い玉が出来上がり、俺の手元へと落下する。


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 ヘル・フェンリルの宝玉。ヘル・フェンリルの強靭な肉体と能力が凝縮された宝玉。

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 え? これだけ? 投げて使うとかでもないの?


 思っていたものとは大きく違ったその説明文に愕然とする。おいおい、マジかよ。ふざけてる場合じゃないんだよ。


 心の中でそう突っ込んでいると突如、俺の腹部に途轍もない衝撃を感じる。


「カハッ!」


 体がくの字に曲がり吹き飛ばされた俺の身体はいつの間にかダンジョンの壁へとたたきつけられていた。どうやら俺の前に現れた魔物が痺れを切らして攻撃してきたらしい。


「痛い痛い痛い痛いッ!!!!」


 全身を駆け巡る鈍痛にこらえきれず俺はその場で転げまわる。痛い、ただそれだけしか考えられずその痛みから逃げるために体を動かすもその効果はない。


 俺が痛みに悶えていた時、ふと腰のあたりでカチッと何かがはまるような音が聞こえ、その瞬間、俺の身体全身を黒い焔が纏い始め、不思議とさっきまで感じていた激しい痛みが癒えていく。それどころか元々負っていた怪我までも消えている気がする。


「これは……」


 突然痛みが消えて困惑した俺が違和感を覚えた腰のあたりを見ると先程まで刃が無かったはずのアルムに長い刃がついている。無機質な見た目であった柄と鍔も燃え盛る炎のような装飾が施され、その真ん中にはヘル・フェンリルの黒い宝玉がはまっているのであった。

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