真世界

 ばさっ、と被っていた布団を突き飛ばす。

 荒い呼吸を整えながら、自分の置かれている状況を確認する。


 窓の外はまだ暗く、深夜、もしくは早朝であることがうかがえる。

 自室には誰もいない。どうやら先ほどの光景は夢だったらしい。

 身体に貼り付いた寝間着の感触が、いやに気色悪い。悪夢のせいで、大量に汗をかいたようだ。



 夢の内容がフラッシュバックする。

 なんだよ、関係者って。


 僕は何も関係ない。あの場所に入ったのが何だというのだ。そもそも本当にあの場所に入ったことを言っているのか、それすらも分からない。


 いや、単なる夢だ。深く考えるだけ馬鹿馬鹿しい。

 あの警官にしても、今見た夢にしても、気持ちの問題に過ぎない。


 頭の中に沸いて出る違和感を黙らせて、再び寝入ろうとした。

 しかしながら上手く寝つけず、結局起床して身支度を始めた。




 玄関の扉を開け、行ってきます、と母へ登校を告げる。


「ちょっと待って」


 そう言って慌ただしく母が手渡してきたのはゴミだ。


「今日、ゴミの日だから」


 唐突に言われて困惑した。ゴミ出しは父の仕事のはず。

 立ち尽くしていると母がせっつくように言う。


「別に誰が出したっていいじゃないの。ゴミを処理する責任は家族みんなにあるのよ」


 確かにその通りだ。養われる学生の身分だからといって、親に甘えていた自分を恥じた。

 ゴミ出しに行くことを引き受け、それでこの話は終わりとなるはずだった。

 次に母が、その言葉を口から発するまでは。


「だって、関係者だものね」


 瞬間、身の毛がよだつほどの不快感が背筋を駆け抜けた。

 吐き気と、軽いめまいさえ覚え、その場にうずくまる。


「どうしたの、大丈夫?」


 心配そうに近寄ってくる母を、しかし僕は拒んだ。


「大丈夫。ゴミ、捨ててから学校に行くからさ」


 そう言って家を出て、近所のゴミステーションまで歩く。


 先ほどの母の言葉は、空耳か何かだろう。

 わざわざ「関係者」だなんて、その場にそぐわない単語で僕ら家族を表現するのはおかしい。

 空耳でなかったとすれば、偶然だ。

 きっと母は、刑事もののドラマでも視聴しているのだろう。

 だとしたら事件関係者、転じて「関係者」という単語が母の口から出てくることだって不自然ではない。偶然、最近聞いた言葉を使っただけだ。


 必死に自分を納得させながら、重たい足取りでゴミステーションまで向かう。

 燃えるゴミの日で、他の家庭から出されたゴミが積み重ねられており、やや悪臭が漏れ出ていた。

 鼻をつまむも、隙間から入ってくる異臭で吐き気が酷くなる。

 積み上がったゴミの頂上に我が家のゴミを放る。

 電柱の上には、ゴミを狙ってたむろするカラスたち。

 彼らに見下されながらその場を後にし、学校へ向かった。




 学校へ向けて、歩道を歩いていく。

 近所の進学校に合格したため、通学にさほどの時間はかからない。実は偏差値の高い難関校だ。

 ちゃんと勉強して良かったと思う。


「おはよう」


 歩いていると、幼稚園からの幼馴染である女子生徒と出くわした。

 彼女とは何だかんだで縁が切れない。

 一緒にいると穏やかな気持ちになれる、かけがえのない存在だ。


 肩にかけた学生カバンには今日も、幼い頃にプレゼントしたストラップが揺れている。

 一風変わった、どこかのご当地キャラクターのストラップである。


「なんか、顔色悪いよ」


 そう言って彼女は僕の顔を覗き込む。ボブカットの綺麗に手入れされた髪が揺れ、シャンプーのいい香りが漂ってきた。先ほどまでの嫌な気持ちが晴れていくようだ。


「大丈夫だよ。ああ、いいにおいがする」


 僕はすうーっと深呼吸をした。


「そうね。近所の人たちが、遅めの朝食を作っているみたいね」


 周囲を見渡すしぐさをしたところを見るに、彼女のいい香りをここぞとばかりに吸い込んでいる変態がいることは、まだバレていないらしい。


「だなんて、気付かないフリはこれくらいにして」


 まずい。バレていたのか?


「なんか、辛いことあったでしょ。分かるよ、幼馴染なんだから」


 じっと見つめる視線は、僕を捕えて離さない。


「無理に言わなくたっていいけどさ、我慢できないときは早めに言いなよ」


 彼女の言葉に心が揺らいだ。

 昨日からのことを話したら、楽になるだろうか。

 それとも笑われて、嫌な気分になるだろうか。

 いずれにせよまだ、僕は弱みを見せることに抵抗がある。


 黙りこくっていると、気を遣った彼女が空白を埋める。


「……ま、言えないこともあるよね。男の子ってプライド高いし」


 その後は突っ込んで聞いてくることもなく、いつものように何気ない会話をしながら学校までの道を辿った。彼女なりの気遣いだろう。


 思えばこの時、かっこつけずに彼女を頼っていれば良かったのかもしれない。

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