第38話 説得

 ジミィと花蓮が前、僕と都さんが後ろという陣形を組み、僕らは町田109のフロアを回っていた。おしゃれな服の店が数多く並んでいる。僕は歩きながら、携帯電話をいじっていた。黒い携帯電話ではなく、自分の青いスマートフォンカバーのものだ。


「……何をしていますの?」

「いや、ちょっとチェック」


 小声で問いかけてくれた都さんに、小声で返す。僕が行っているのは、いわゆる保険だった。メモ帳の画面に文字を入力し、そしてそのまま画面を落とした。

 普通だったら。


 とジミィが話し始めたのは、町田109のエスカレーターを上っている時だった。今

日は下から順番に建物を回ろうという話になっていた。


「普通だったら、これだけの人数がいて、役割が人間なら、みるくは進んで合流をするはずだ」

「そうか……。悪魔は二人。五人の人間がいれば、内訳は二対三になるもんな……」

「そう。つまり普通にこうして歩いているだけで、向こうが見つけてくれると思うんだが……」


 そして姿が現れたとたん、一斉に雛乃を襲うのか。


「……ねえ」


 気付いたら、僕は口に出していた。


「一度、僕にみるくを説得させてくれないか」

「え――?」


 戸惑いの声が三つ重なる。それは、そうだろう。リスクしかないような挑戦に、僕は挑もうとしている。雛乃を殺してしまいさえすれば、この問題は解決するし、説得によるメリットなど何一つない。

 それでも――


「僕は……一度、みるくを裏切った。彼女が壊れたのは、たぶんそれが理由だ。偽善かも知れないけど、ただの我がままかもしれないけど、でも、僕はその責任がとりたい。

 彼女を説得して、彼女と一緒に、このゲームに立ち向かいたい。だから、頼む、……頼みます。僕に、どうか――」


 頭を下げた。返事に、期待はできそうにないと思う。数の有利を確保するために、危ない橋など落としてしまうべきなのだ。それでも、僕は頭を下げ続ける。

 深々と下げたその頭上で、


「別にいいぞ。人間同士の殺し合いなら、ポイントが余計に加算される」


 賛同の声を上げてくれたのは、意外なことにジミィだった。

 弾けるように顔を上げる。彼はクールな表情のままだった。


「……ジミィがそう言うなら、あたしも」と花蓮が続けて賛同を示す。期待に満ちた

目を、都さんに向ける。しかし、彼女は難しい表情で俯いていた。


 そうだ。

 この中の誰よりも、みるくに対して疑念があるのは彼女だろう。そんな彼女を仲間に引き入れることに、不安を覚えるのも仕方ない。


「都さん。君が、三日前にみるくに傷つけられたのは分かってる。だから、無理にとは言えないけれど……」


 僕が声をかけると、都さんは首を振った。


「いえ、いえ、違うんですわ……」


 と、掠れた声で呟く。首をひねっていると、ずいと都さんが身を寄せてきた。


「その――青鴉さんはみるくさんのことが、好きなのですか?」 

「え!?」


 それは、あまりにも真っ直ぐな質問だった。都さんの表情は真剣そのもので、喉は張り付いていた。彼女の白いこめかみに、つっと汗が流れる。

 彼女の気迫に、思わず答えに詰まってしまう。けれど彼女のモスグリーンの瞳は、答えをうながすようにじっと僕を見つめ続ける。

 この瞳に――嘘はつけない。


「……好き、かも知れない」


 だから、僕は思った通りの言葉を口にした。その気持ちはずっと心の奥底にあって、今、口に出した途端「ああ、そうだったんだ」と納得した。

 彼女の笑顔が。彼女の仕草が。彼女の言葉が。僕は、確かに好きだった。


「……そう、ですか……」


 都さんの顔面から一瞬にして表情が消えて、能面のような無表情が現れた。


「……どうしたの、都さん?」


 問いかける。その顔はまるで絶望のようで、見ていられなかった。そっと肩に手を触れる。すると、彼女はびくんと身体を震わせて、大きく目を見開いた。その瞳には光が戻っていて、顔も能面ではなかった。

 頬が微かに上気した――それは、恋する少女のような顔。


「あ、あの!」 


 その表情のまま、彼女は続ける。


「わたくし、……わたくし、貴方のことが好――――っ」


 言葉は、続かなかった。

 ぴゅーっと、まるで冗談のような血が流れる。つい今さっきまで彼女の首があった場所に、一人の女の姿が見えた。大きな両手剣を、振り下ろした姿勢で構えている。

 ぐらりっと、頭部を失った都さんの身体が、血だまりの上に倒れた。彼女の全身が、露わになる。


「雛乃……っ」


 叫ぶ。彼女に声が届いたのか届かないのか、雛乃はニッと笑った。そして、くるりと彼女は踵を返す。ああ、逃げる気だ。そう思ったときには、エスカレーターを駆け下りていた。


「一人で行くな!」


 ジミィの叫び声。彼は僕に追いつき、そしてすぐに追い越して行った。花蓮は足が速いはずなのに、僕の背後にぴたりと着いてきていた。


「……みるくを、本当に説得……できるの?」


 花蓮が言う。その疑問に、答えられそうにはなかった。雛乃は、僕の大切な幼馴染である。彼女が困っているのならば、いつでも手を貸したいと思う。多少の犠牲を払ってでも、彼女の助けになりたいとも思う。


 だから、今は、ただ走る。

 失敗するかもしれない。話し合いなんて意味はなくて、彼女の心には何一つ響かないのかもしれない。それでも、僕は挑戦する。挑戦させてくれる仲間がいる。


 今のみるくの役割は人間だ。ならば、悪魔の戦闘力の1.5倍には敵わない。たとえ僕がポカをやらかしても、きっと彼女は確実に詰む。そして、ジミィがこのゲームをクリアしてくれるだろう。


 視界に、ジミィと雛乃の姿が見えた。フロアの隅。どん詰まりに追い込まれているようで、雛乃はあたりを見回していた。逃げ道を考えているのだろう。しかし、そんなものはどこにもない場所だった。


「雛乃!」


 そんな中で、僕は叫ぶ。彼女の瞳が、僕を向いた。やけに無機質な瞳だった。僕はジミィを押しのけて、雛乃の目の前へと立った。彼女は両手剣を構える。しかしその切っ先は、どこかぶれて見えた。


「雛乃……っ。なんで、都さんを殺した?」

「決まってるでしょ。あの女が、直也に……っ」

「僕に?」

「直也に、告白しようとしたからぁッ」

「え――?」


 頭が白く染まる。目の前も一瞬だけ白くなり、色が戻ってからもなお違和感があった。雛乃の言葉を、上手く受け取る事が出来ない。

 都さんが、僕に告白をしようとしただなんて思えない。さらに、それを理由に、彼女が都さんを殺したという事も理解が出来なかった。


「……雛乃。前にも言ったよね。都さんは……あと一度の戦闘で消えてしまうかもしれないって」

「……それがどうしたの?」


 唇の端を噛みしめる。


「僕が知っている雛乃は! そんなことは言わない!」


 雛乃は健気で、努力家で、そして弱い少女だ。だからこそ、人を誰よりも気遣えた。

 僕は彼女へと近づいて行った。手には、二本の刀だなんて持っていない。素手のままの歩み。


 死ぬかもしれない。

 その恐怖を押し殺して、僕は進んでいく。大丈夫。雛乃は、大丈夫……。


「それ以上、近づかないで……っ」


 震える声で、雛乃は警戒を示した。当然だろう。僕が悪魔だとしたら、接近を許すことはゲームオーバーへの第一歩だ。

 僕は雛乃の指示に従い、立ち止まった。どこか、心の隅で安心している僕がいた。近づかないでというだけで、彼女は僕にその刃を振るおうとはしなかった。


 彼女の瞳を見つめる。雛乃の目には、警戒心が色濃く表れていた。

 そんな彼女に向けて、僕は告げるべき言葉を頭の中で確認する。

 怖い。


 本当は、そんなことはされたくないし、言いたくない。けれど、僕は言わなければならない。彼女に再び、信頼してもらうために――。


「雛乃……。僕の腕を、切り落としてくれ」

「は――?」


 雛乃の表情が、一瞬にして戸惑いに変わる。口はぽかんと半開き、瞳は丸く見開かれていた。

 今だ、と思った。


 彼女とまた話したい。一緒に歩きたい。子供の頃のように無邪気にとは言わない。年相応に大人になった距離感で、僕は君の隣に戻りたい。

 胸にこみ上げてくる想いを、そのまま舌先に乗せる。


「聞いてくれ。雛乃。このゲームにもう戦闘はいらない。みんなで、勝つんだ。このゲームをクリアして、そして、このゲームを覆す。みんなが幸せになる道を選ぶんだ」

「……幸せ……」

「僕が裏切るんじゃないかって、雛乃は思うだろう。だから、腕を切り落としてくれ」


 足りない頭で考えた、雛乃に信じてもらう方法だった。

 彼女を殺めたこの腕を、彼女に切り落としてもらう。

 そうすれば、彼女を裏切る事なんて、出来ない。


「切ってくれ。雛乃」


 沈黙が訪れた。

 雛乃の目線は、何度も何度も右と左を往復し、かなりの逡巡が伺えた。表情もまるで万華鏡で、その顔を曇らせたり、かすかな笑顔になったり、ちょっと眉根を潜めたりと、落ち着かない。


 どくん。

 小さな心臓の音が聞こえた。頼む、と、僕は拳を握る。

 頼む。頼む。どうか雛乃に、この気持ちが届いて欲しい――。

 すうっと、雛乃が深く息をすった。彼女は長い沈黙を破るように、僕へと一歩近づいた。


「……分かった」


 けれど、雛乃は僕を傷つけなかった。軽く手首をひねっただけで、その刃が僕の身体を貫くというのに、彼女はそれをしない。


「……分かった。私は、直也を信じるよ。ううん……。本当は、ずっと信じてた」


 すっと、雛乃が手を降ろす。両手剣が消えた。

 僕が何か言わねばと口を開いたタイミングで、ニカッと雛乃が笑う。


「さっき、私のこと、好きかもしれないって言ってくれたよね……。すごく、嬉しかった」

「え? ………………あっ!」


 一瞬なんのことかと思い、それから、さっき都さんへ言った言葉を思い出した。

 あの告白まがいのセリフを、まさか本人に聞かれていたとは。


「い、いや! そ、その! あれは、あれは違くて! いや違わないんだけど、とにかく違くて!」

「くすっ」


 雛乃が笑う。

「あはっ。あははははははっ」


 その声に、胸の中がじんわりと暖かくなる。瞳の端にあふれた涙を、僕はこっそりと左手で拭った。

 それは心底、楽しくて仕方がないという笑顔で、あの日以来、見ることが出来なかったものだった。

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