第33話 悪魔な天使

 連絡を取ると、明日ならばと返事が来た。僕はその日一日をぼんやりとして過ごした。そして次の日がやってきた。昨日片付けておいた部屋を、改めて片付けてみる。机の上からいつかのアロマキャンドルが発見された。僕はなんとなく火をつけてみた。


 灯した明かりをじぃっと見つめていると、嗅いだことのある花の匂いが漂ってきた。それはラベンダーの匂いだった。そういえば、一度、雛乃とラベンダーを見に行ったことがある。近くの植物園で、ラベンダーのフェアをやっていたのだ。


 咲き乱れる紫色の花の中を、手をつないで二人で歩く。そういえばそのときも、雛乃はワンピースをまとっていた。汚れ一つない白い服は、雛乃にいつでもよく似合う。


 ピンポーンと、インターフォンがなった。火を吹き消してから立ち上がる。

 階下に降り玄関に辿り着き扉を開けると、呼び出した人物が立っていた。


「おっはようーです? それとも、こっんにちはーです?」


 透き通るような青い色。きれいな瑠璃色の髪の少女。ファンシーな服装と、相変わらずの機能性より見た目重視のポシェット(今日はうさぎのぬいぐるみ型だった)。


 崎永遠音は、今日も可愛らしい笑顔で立っていた。


          ☓☓☓


 僕の部屋に招くと、永遠音はとくに抵抗なくついてきた。部屋に上がると、どこに座ればいいのか分からないらしく、辺りをきょろりと見回した。クッションを指し示すと、彼女は大人しくその上に座った。彼女は机の上にあった使いかけのアロマキャンドルを目ざとく見つけると、「使ってくれたんですねぇ。嬉しいですよ?」と笑った。


 その無邪気な笑顔を前に――本当にこの子なのかと、戸惑ってしまう。

 けれど、姉が嘘を付いているなんて、どう考えても思えなかった。


「荒木葵」


 僕がはっきりと姉の名を告げると、永遠音は大きく目を見開いた。それから口の端を釣り上げ、「懐かしい名前ですね?」とつぶやく。


「懐かしい……か」

「はい。もう一ヶ月も会っていませんからね?」


 たったの一ヶ月前のことを、こいつは懐かしいというのか。


「……お前は、荒木葵を裏切ったのか」


 詰問するような口調がでた。事実、それは詰問だったのだと思う。しかし永遠音はどこ吹く風で、いっそ機嫌よく答える。


「永遠音は葵を裏切ってなんかないですよ? 永遠音はいつだって、いまだって、彼女の幸せを願っていますよ。彼女だけじゃなくて、世界中の人間の、ですけど」

「……世界中の人間の幸せ……」

「はい。そうですよ? たくさんの人間がニコニコなら、永遠音はとっても嬉しいのです」


 それは――誰も選ばないということ。

 葵を大切であると、思ってもいないのだと僕は思った。彼女にとっては誰もが大切な人で――それゆえに、とてつもなく残酷だった。


「なあ、あんたは――このゲームの、嘘つきゲームの製作者なのか?」

「そうですよ?」


 事も無げに、永遠音は言った。その気軽さは、いっそ腹が立つほどだった。参加者の誰もが傷つくようなゲームを作っておきながら、彼女は……。


「あんたは一体……なんのためにこんなものを……っ」


 拳を握り訊ねた。どんな答えを聞けば納得できるか分からなかった。そんな僕に対し、永遠音はやはりなにも気負うことなく答えた。


「このゲームは、悪魔をおびき出す檻ですよ?」


 そんな、非現実的な言葉を。


「強い欲望をもった人間ほど、悪魔は寄せ付けられるのですよ? そんな人間を極限状態に追い込めば、必然的に悪魔が擦り寄ってきますよ? そうしたら、こちらから探すよりもよっぽど手間がかからないのです」


 ようするにそれは――避雷針や、ヒューズのようなもの――ということなのだろうか。


「あんたは――あんたは一体、何者なんだよ……っ」

「永遠音は、天使ですよ?」


 瑠璃色の髪をなびかせて、永遠音は笑う。天使――。ああ、彼女がいう世界の幸せは、確かに――悪魔よりも天使にふさわしい。

 けれど――


「ゲームの参加者を、あんたはどう思っている?」

「必要犠牲ですよ?」


 無邪気に彼女は言い放つ。


「あのゲームで悪魔を集めて、自動的に悪魔を消すのです。とても効率が良いのですよ? それに、悪いことばかりでもないです。ゲームをクリアしたのなら、永遠音にできる限りで世界を変えてみせますよ?」

「ゲームを、クリアしたら……?」

「はい。百ポイント集めてください」


 ニコニコと永遠音は笑う。その笑顔のまま、


「今は――獅子川雛乃に、悪魔がとり憑いているようですね?」

「雛乃に――悪魔が?」

「はい。おまけに彼女、あと少しで本当のゲームオーバーですよ? 消えてしまうのです。 永遠音にとってはとっても好都合ですよ?」

「――っ」


 息を飲む僕を、永遠音はじっと見つめてきた。その顔は、やはり笑っている。


「あなたに、彼女は救えないですよ?」

「え?」

「だってどー考えても、一ゲームで貯まるポイントじゃないんですよ、七十ポイントは」

「あ――」


 目の前にたたきつけられた絶望に、僕は狼狽した。姉から聞いた、崎永遠音の裏切りを思い出す。



『わたしは、誰もが笑うだろうけど……世界の平和を願ったの。世界中の人間みんなが幸せな世界……。人に言ったら、絶対笑われるような、素朴で盛大すぎる夢を、わたしは本気で信じていた』

『そして、あのゲームの中で出会えたの……。わたしと同じ理想を持ってるって感じた女の子――永遠音ちゃんに』


『とっても良い子だと思った。ゲームの外でも仲良くしてたの。でもね――ある日、わたし、知っちゃったんだ。彼女こそが、この残酷なゲームの仕掛け役だったんだって』


『彼女はね、そのことを、事も無げにわたしに教えてくれたの。そのとき――自分との、補いきれないほどの溝を感じた』

『彼女はこのゲームの構造も教えてくれた。そして、わたしに言ったの。『世界平和は、犠牲なしには成り立ちませんよ?』って』


『わたしは……っ。本当に、彼女のことを……っ。わたしを理解してくれる、一緒に夢を追いかけてくれる、同志だと……っ。かけがえのない親友だと、そう思っていたの……っ』

『そうして――あのゲームの何もかもが怖くなって、逃げ出したんだ』



 思考を切り替える。

 目の前の現実に集中すると、永遠音が立ち上がるところだった。


「楽しみですねぇ。明日の悪魔退治」


 にっこりと永遠音は、悪魔のような笑みを残して去って行った。

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