第14話 崎 永遠音

 足が重い。

 鉛のような足という表現は良く聞くが、事実その通りであると感じたのは、生まれて初めての事だった。


 さきほどからチラチラと、紅那がこちらに視線を送っている。たまに僕の肩に触れようと手を伸ばし、そして引込める動作が、少しだけ心を慰めてくれる。こんな自分でも、誰かが心配してくれるから。


「ねえ、お兄ちゃん、……無理かもしれないけど、元気、だして?」


 ありがとう、と絞り出すように声をだした。

 元気をださないとな、と思いつつ、一歩力強く踏み出す。歩いていると思考が研ぎ澄まされるというが、僕のそれは鈍いままだった。

 ただぼんやりと、ゲームのルールと都さんの言葉を思い出す。


 ――このゲームに勝ったものは、望んだ世界をまるごと与えられる。

 ――あのゲームは――こんな世界だったらと、何かを強く望む人の前にしか現れないそうです。


 それならば。

 雛乃は一体、どんな世界を望んでいたのだろう。どんな世界で生きたいと思っていたのだろう。考え始めた僕の思考は、すぐにそんなことは分からないと白旗をあげる。雛乃とは――楽しい話や、嬉しい話が中心で、思えばお互いの深い部分など、話し合ったこともない。姉さんのひきこもりについてですら、彼女には何も告げていなかった。


 それは、必要以上の心配をかけたくないからであり、姉の名誉のためでもあり、そして――雛乃とは、心底腹を割って話せる中ではないという、証明……なのかもしれない。だったからこそ、僕はあのとき、彼女に――。

 ……いや、まてよ。

 僕は本当に、彼女と深い話をしたことがなかっただろうか?


「あはっ。君、暗い顔してるですの?」


 澄んだ声が聞こえてきたのは、そのときだった。振り返ると、小さな女の子が立っていた。小柄な妹と同じぐらい……いや、僅かに低くすら見える。彼女には、これ以上ない特徴があった。

 ――髪の毛が、澄んだ瑠璃色をしている。

 透明ガラスのような透き通った濃い青色は、神秘的な雰囲気をこれでもかと撒き散らしている。その不思議な色合いがとにかく人目を惹きつけるのだろう。道行く人達が、彼女に視線をちらちらと向けていた。


「あ、今、永遠音の髪の毛のことを考えているです? これは、染めたんですの」


 僕と、それから一緒に振り返った妹の視線に気がついたのか、少女――永遠音は、ひと房髪の毛を掴むとパッと離した。髪質は良いらしく、さらりと自然に流れていく。肩より少し上ぐらいの長さのため、ひょっとしたら手入れが易いのかもしれない。


「えっと、何か用かなっ?」


 紅那がはきはきと尋ねる。瞳は期待感で満ちており、彼女は楽しそうだった。人と関わるのが元来好きで、初対面ゆえの気負いなど、彼女には無関係なのだ。


「んっと、用というほどの用はないです? しいて言えば、背後から負のオーラがどよーんっと漂っていたので、とても心配になったですの?」

「ん。そっかぁっー」

「何かあったです?」

「いやー。面目ない話なんだけど、実はお兄ちゃん、彼女と喧嘩中で」


 ちょっと前までは馴染みの軽口だったはずなのに、『彼女』という単語は思いのほか僕を傷つけた。雛乃とは小さな頃ではあるが、それこそ当たり前のように互を好きだと言ったり、手をつないだりしていた。


「わあ。本当だ。どよーんが重たくなったです」


 そんな僕の様子をみて、永遠音は大きく開いた右手を口元にやった。驚きを表現しているのだろう。彼女はそのまま、とことこと僕によってきた。そして、クッキー型のポシェットから、何かを取り出す。


「これ、どうぞです? 心が落ち着くアロマキャンドルですの」


 それは、花の形をしていた。色合いは優しい緑色で、確かに心地よさそうな雰囲気だった。


「プリンの容器で作ったのです」


 と、永遠音が胸を張る。「わあ、すごいすごい手作りなんだ!」と、妹が歓声をあげた。そのまま、「ほらお兄ちゃん受け取りなよ」と、僕の脇腹をつついてくる。僕は彼女からアロマキャンドルを受け取った。


「ありがとう」

「いえいえ、どういたしましてなのですよー? どよーんな気分をしている人が、少しでも元気になれば嬉しいのです」


 ニコニコと、邪気のない笑顔で永遠音は言う。そんな様子を見て、妹は、どうやら彼女をすごく気に入ったらしい。


「ね、ね、お名前なんていうの? 友達になろうよっ」


 永遠音は――一瞬だけ、氷の表情を見せた。

 その違和感を尋ねる前に、彼女は再び笑顔になる。まるで、取りこぼした仮面を付け直すかのように。


「永遠音なのです」


 少女は、自らの名前を紡ぐ。


「崎、永遠音なのです」


 それは、どこかで聞き覚えのある名前だった。


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